見出し画像

責任転嫁し続けている限り、成長はありません。

今回選んだテーマは「責任転嫁」についてです。

まず責任転嫁の意味を簡単にお話しますと、「誰かのせいにする」「何かのせいにする」という思考です。

これを聞くと、「これは明らかに相手が悪いんです。私はなにも悪くないです」と話される方もいます。

僕のセッションに来られるお客さんも、最初はこのように話される方が非常に多いです。

では、明らかに自分自身のせいではない出来事が起こってしまったとします。

わかりやすく「痴漢」で例えてみます。

痴漢という行為自体を見れば、明らかに相手が悪いです。

それは誰しもがそう感じるはずですし、露出度の低い服装をしていても残念ながら痴漢されてしまう女性もいらっしゃいます。

加害者の男性には然るべき罰を受けて、罪を償ってもらわなければいけません。

痴漢などの性にまつわる犯罪は、肉体的な被害だけでなく、精神的な被害も莫大なものですから、加害者の責任はとても大きなものです。

ここで「責任転嫁してはいけない」という言葉を今一度しっかりと理解していただきたいのですが、「痴漢した相手が悪いんじゃなくて、痴漢された自分が悪いんだ」と感じなければいけないということではありません。

「痴漢した相手が悪い。私は何も悪くないんだから」と考え、そこから何も学びを得ないことが責任転嫁なのです。

悪い悪くないの概念に囚われすぎてはいけません。

悪い悪くないではなく、今後同じようなことが起きないように、自分自身ができることは何か、どうすれば同じことを繰り返さないようでできるかを考えなければいけません。

・真っ暗闇の夜道を一人で歩くのは極力さける
・女性専用車両に乗るようにする
・できるだけ女性の近くにいるようにする
・夜道を歩くときは電話をする(またはタクシーを使う)

このように、起こってしまった出来事を繰り返さないように改善策を考えていくことで、同じ苦しみを味わう確率を減らしていくのが理想です。

言い換えるならば「教訓」、つまり「学び」です。

この学びがあるかないかで、自分自身が成長していけるのかどうかが決まるのです。

「類は友を呼ぶ」ということわざがあるように、同じようなエネルギーを持ったもの同士が集まりやすいという法則があります。

別れてしまった彼氏が「ひどい人」だったとしても、彼だけを責めるのは簡単なことです。しかしそこからは何も生まれません。

共感と同情は得られるかもしれませんが、それは成長や学びの材料にはなりません。

別れてしまった彼氏がひどい人であったのであれば、自分がなぜそのひどい人と出会ってしまったのか、好きになったのかを考えなければいけません。

自分自身の波長が低かったからひどい人が寄ってきたのかもしれませんし、知らぬ間に自分も誰かに対して彼にされたことをしているのかもしれません。

・約束を破る
・裏切る
・自分のことしか考えない
・なにかあると逃げる

自分が誰かにされたことを一度冷静な心を持って、「自分は誰かに対してしてないだろうか?」と自問自答する時間が必要です。

これが「因果報応」と呼ばれるものです。

「自分がしたことは必ず返ってくる」です。

なかなか納得がいかないこともあるでしょうし、自分のしたことに気がついていない人もいるかもしれません。または、「自分はこういうつもりでやった。相手がどう感じるかは知らない」というような主観と客観の違いもあります。

「責任」というのは、良し悪しを決めるものではありません。

「自分自身の身に起きた出来事は、自分で責任を持って対処していく(考えていく)」というのが「責任を持つ」ということです。

自分と相手を天秤にかけて、はい、こっちが悪い、はい、私は悪くないというのは、心の自立が出来ていなくてとても幼稚です。

厳しい言葉かもしれませんが、責任転嫁している限り成長はなく、今後も苦しい日常が待っているだけです。

責める責めない、悪い悪くないといった考えを一度捨て去り、問題や不安を解決していくためにはどうするべきかを考えてみてください。

そうすれば、これまで気がつけなかったことにきっと気がつけるはずです。


ブログもどうぞよろしくお願いします。


「学びになった!」という方はぜひご支援よろしくお願いします!頂いたサポートは、ぷんた(息子)の貯金になります(・∀・)