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どうでもいいかぁ。どうせ死ぬし。

―挑戦に不安は付き物だ。

僕は気が小さい方で、行動しようと思った直後には、「失敗したらどうしよう」、「あの人に嫌われちゃうかな」とか、行動したことによって起こり得るありとあらゆる”良くないこと”が頭の中にあふれて止まらなくなってしまう。
そんな妄想を繰り返しているうちに、なんだか面倒くさくなって、

「やっぱりやめよう」

そう思ってしまうことが、たくさんあります。


そんなときは、極論おじさんからの教えで
「どうでもいいかぁ。どうせ死ぬし」
と思うことで、一歩踏み出す勇気をひねり出しています。

「極論おじさんて…誰?」
という声がこのnoteのPV数だけ聞こえてきそうですね。
それもそのはず、「極論おじさん」とは、僕と妻との間で生まれた架空の人物なのだから、知らなくて当然です。

いまから少し前、なにか失敗したときに「まぁいいんじゃない?どうせ死ぬし」てな感じで、適当に慰め合うことが夫婦間で流行ったときがありました。
どうしてそんなことが流行りだしたのか、いまとなっては定かではありませんが、とにかく流行っていたのです。

料理の味付けがイマイチだったときも、茶碗を割ってしまったときも、散歩中に雨が降ってきたときも、身の回りに”良くないこと”が起こって、気分が落ち込んでしまいそうなとき、僕たちは「まぁいいんじゃない?どうせ死ぬし」を口癖のように繰り返していました。
慰められた方は、謝る代わりに「出たよ、極論おじさん」と軽くツッコミ、ふたりして「ははは」と笑う。
いま思えば、まったくもって意味不明なやり取りですが、とにかくそのときは「極論おじさん」なる謎キャラが毎日のように現れていました。

今では、そんなわけのわからないおじさんが現れることなんてなくなりましたけどね。

でも、きっと今も極論おじさんは僕の心の中にいて、ふとしたときに、声が聞こえるんです。
…いや、聞こえる気がするんです(笑)

例えば僕が仕事中に、今までのやり方よりも効率のいい作業方法を思いついたとする。
上司に提案して、うまくいけば作業効率が上がり、空いた時間で他の作業ができるかもしれない。
他の人とも共有すれば、みんな定時で帰れるようになるかもしれない。

そう考えると同時に、また悪い妄想が止まらなくなる。
実はそのやり方には決定的な問題があって、ちっともうまくいかないかもしれない…。
誰かにその方法を教えたところで、その人はすでに同じことをやっていて、「なにを自慢げに」と嫌われるかもしれない…。

そんな悪い妄想を断ち切ってくれるのは、極論おじさんだ。
「どうでもいいじゃん。どうせ死ぬんだぞ?」

そうだ。僕たちはどうせ死ぬんだ。

うまくいかなくたって死ぬ。
誰かに嫌われたって死ぬ。
たとえ作業効率が上がったからといって、寿命が延びるわけでもない。
誰かに好かれたからといって、交通事故に遭わなくなるわけでもない。

「なんという極論だろう」と思いますが、真理だとも思います。

ある意味「投げやり」になることで、行動する勇気が湧いてくることもあるんです。
ネガティブな意味で「投げやり」になることは良くないと思いますけどね。

仕事じゃなくたって、「あることに興味があるんだけど、周りから変な目で見られないかな」とか、「あの人と話してみたいけど話しかけられない」とか、些細なことでも躊躇して行動できないことってたくさんありますよね?

そんなときは、極論おじさんの声に耳を傾け、ある意味「投げやり」になることで、一歩踏み出す勇気が湧いてくるかもしれません。

心の中に耳を澄ましてみてください。
どこからか声が聞こえてきませんか?

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