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デザイン音楽時々妖怪〜其の2

さてさて、
何から書こうかいろいろ考えていたけれど
考えすぎたら何にも書けなさそうなので
ひとまず書き始めてみます。

デザイナーと呼ばれる人の
半数以上、もしくは7〜8割の人は
子どもの頃から絵を描くのが好きだった人
だと思ってます(小松周辺調べ)。
僕もその例に漏れず
小さな頃から絵を描くのが大好きな子どもでした。

僕の生まれ育ったところは
伊万里の中でも超ど田舎で
四方を山に囲まれた盆地の町で
自然しかない、そんなところです。
なので、明るいうちは外で遊んで
家にいるときは
新聞に入ってくる裏が真っ白のチラシや
いろんなところに(家の壁とか)
かたっぱしからいろんな絵を描いている、
そんな子どもでした。

保育園の頃はお化けの絵だったり
見ていたTVアニメの絵が多かったように記憶してます。
小学生になる頃には
キン肉マンやドラゴンボールなど
ジャンプ黄金期と呼ばれたころの漫画をひたすら模写していました。
するとまわりのみんなから
絵が上手だと褒められ、嬉しくなってまた描く、
それを繰り返しているうちに
自分の描いた絵を見たみんなが喜んでくれることが
とっても嬉しくて楽しくて大好きで、

「誰かを楽しくさせることは自分を楽しくさせることだ」と


幼いながらもぼんやりと意識しはじめたような気がします。
この時芽生えた想いは、
僕のその後に大きな影響を与えると同時に
僕の中の「軸」のようなものに育っていくのでした。

そんな体験を経たからか、
自然の成り行きなのか、
少年の小さく狭い世界の中から
将来なりたい職業として
保育園の年中さんの頃に導き出したのが
「漫画家」になりたいという夢でした。

そこからはずーっとぶれることなく
将来の夢は「漫画家」と言い続け、
小学校4年生くらいからは
オリジナルマンガを描いてはみんなに見せ、
という具合に
確実にその夢へと歩んでいったのでした。

小学校5年生から中学までは野球部に所属しつつも
(僕らの学年は1クラスしかないくらい少人数校だったので
本当にやりたかったサッカー部がなかったのでしかたなく・・・)
部活が終わって家に帰ると
ノートやチラシの裏に絵を描くという
パターンは相変わらず続いていました。
(もちろんオリジナル漫画もケイゾクしてました)

そうしていくうちに高校受験の時期となり
みんなが志望校をどうしようか悩んでいる中、
僕はいち早く進むべき高校を決めていました。

佐賀県立有田工業高校デザイン科。


伊万里市のお隣であり
有田焼を一大産業とする焼物の郷にある唯一の高校。
僕は漫画家の修行になるという想いと、
地元テレビ局のニュースで観た
有田工業高校デザイン科の卒業制作展の作品の
圧倒的なクオリティに度肝を抜かれ、
「この学校に行きたい!」と思ったのでした。
(余談ですが、ウチの地元の大人たちは
絵が上手い子を見つけると「デザイン科に行け」と言うくらい、
デザイン科の生徒=絵の上手な子が行く所、という
認知のされかたをしている学校です。)

こうして中学生の小松少年は
将来の夢のために
いよいよ本格的な絵の勉強をするべく
進路を定め、高校受験へと向かっていくのでした。

保育園の年中さんからなりたいと願っていた
漫画家ではなく
広告デザインの世界を夢見るようになるなんて、
その時には露ほども想像がつきませんでした・・・。

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