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ビブリオバトルでは、なぜ「チャンプ本」と呼ぶのか?

ビブリオバトル普及委員会のマシュマロに、ご投稿いただきました!

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ご質問ありがとうございます!

ビブリオバトルの「チャンプ本」に関するお問い合わせですね。
そもそも、なぜビブリオバトルでは「チャンプ」ではなく「チャンプ本」という言葉を使っているのかから、考えてみたいと思います。

ビブリオバトルは「チャンプ本」を決めるゲーム

ビブリオバトルでは、ゲームの最後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準にした投票を行い、「チャンプ本」を決定します。

ビブリオバトル公式ルール
4. 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員一票で行い,最多票を集めたものを『チャンプ本』とする.

このとき決めているのは「チャンプ本」であり、「チャンプ(=人)」ではありません。

なぜ人ではなく本なのでしょうか?
これには、大きく二つの理由があります。

本と著者へのリスペクト

1つ目は、本と著者へのリスペクトです。

ビブリオバトルは、「本」というコンテンツを読者という立場から紹介し、多くの聞き手に「読みたい」と思わせることを目指すゲームです。

紹介している本と、著者、編集者、イラストレーター、出版社など、その本を生み出した方々への敬意が、「チャンプ本」という言葉には込められています。

どんなにプレゼンが上手く、巧みな紹介によって多くの人を読みたい気持ちにさせられたとしても、それは土台となっている「本」の魅力があってこそです。

ビブリオバトルは、よく競馬や馬術に例えられます。
優れた騎手が馬や厩務員さんへの敬意を忘れないように、ビブリオバトルのバトラーも、本やその本を生み出した方々へのリスペクトの気持ちを持ち続けることが大切です。

自己の否定に対するリスク回避

2つ目の理由は、バトラー自身を否定されたように感じることに対しての、リスク回避のためです。

もしビブリオバトルが「チャンプ」を決めるゲームだった場合、勝つのも人ならば、負けるのも人になります。
このとき、バトラーによっては、自身の人格自体を否定された気持ちになる方もいるでしょう。

「ビブリオバトルで勝敗をつけているのは人ではなく本」というルールになっていることにより、負けたときの心的ダメージを緩和する効果が期待できます。
「負けたのは自分自身ではなく本」と思えることで、自身を否定されたわけではないと理解しやすくなるでしょう。

ビブリオバトルのバトラーは、本を紹介していると同時に、本によって守られている存在でもあるのです。

「チャンプ」と呼ぶのは間違いなのか?

以上の二つの理由から、ビブリオバトルの公式ルールでは「チャンプ(=人)」ではなく「チャンプ本」という言い方をしています。

ルール上も、投票しているのは「一番読みたくなった本」であり、「一番読みたい気持ちにさせられた人」ではないので、投票の結果決まるのは「一番多くの人が最も読みたいと思った本」ということになります。
そういう意味でも、「チャンプ本」という言い方がふさわしいでしょう。

一方、ビブリオバトルの大会などで「優勝:〇〇(バトラー名)」という言い方をしたり、「チャンプ」としてバトラーを称えるケースがあります。
ここには、「ビブリオバトルでチャンプ本を獲得したバトラーを、この開催の優勝者(チャンプ)とする」という大会規約が隠されています。
そのため、「優勝:〇〇(バトラー名)」「チャンプ」という言い方は、必ずしも間違いとは言えません。

競馬や馬術が、馬と騎手どちらか片方だけでは勝てないのと同じく、ビブリオバトルも本とバトラーが噛み合ってこそ、チャンプ本を獲得できます。
そのため、チャンプ本を獲得したバトラーが称えられるのも自然なことです。

ただし、ビブリオバトルで決めているのはあくまで「チャンプ本」だという前提を忘れず、前述したような本や著者へのリスペクトを欠かさないようにしましょう。
実際に表彰される際には、ほとんどの場合チャンプ本の書名が併記されていますよね。


回答になっているでしょうか。
ビブリオバトルで「チャンプ本」という言葉を使っている理由を、多くの方に理解していただければと思っています。

参考

ビブリオバトルに関する質問・メッセージ募集中です。

お読みいただきありがとうございました。

執筆:益井博史

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