教育の場でビブリオバトルが回るには
ビブリオバトル普及委員会のマシュマロに、ご投稿いただきました!
ご質問ありがとうございます!
ビブリオバトルの教育現場への導入で生じている課題と、その対応に関するご質問ですね。
教育現場に広がるビブリオバトル
2007年に誕生したビブリオバトルは、文科省の「第三次・第四次子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画」に記載され、中学校、高等学校の国語の教科書にも掲載されるなど、教育現場への普及も進んでいます。
実際に開催されている割合がどの程度かは、資料がないため不明ですが、全国高等学校ビブリオバトル(2015年〜)、全国中学ビブリオバトル(2018年〜)といった、中高生のための全国大会の開催が始まったこともあり、今後も教育現場で行われる機会は増えていくと考えられます。
ただし、質問者さんのおっしゃる通り、ビブリオバトルをきっかけに読書に興味を持つ方がいる一方、授業でビブリオバトルが行われることで、生徒・児童の方々にその準備が「課題」として与えられ、それに苦しむ声を耳にすることもあります。
本来楽しいゲームであるはずのビブリオバトルが、どうして「萎えぽよの翁」になってしまうのでしょうか?
ぴえん🥺です。
ゲームを授業で行うのが難しいわけ
ビブリオバトルに限らず、巷で行われているゲームを授業で行うと、本来の楽しさを味わえない場合が多くあります。
それには、ゲームそのものが持つ特徴が関係しています。
ジェイン・マクゴニガルは、著書『幸せな未来は「ゲーム」が作る』の中で、ゲームとは以下の4つの要素から構成されていると述べています。
①ゴール
②ルール
③フィードバック
④自発的な参加
ここで注目するのは「④自発的な参加」です。
これは、「自発的に参加していないと、ゲームがゲームではなくなってしまう」という意味です。
スマホゲームなどでさえ、強制的にやらされるのはなんだか嫌ですよね。
授業では、どうしても参加を「強制」させられるため、ゲームの要素が崩れてしまいがちなのです。
そのため、授業でビブリオバトル(他のゲームでも)を導入する際、先生は「どうやって生徒・児童に自発的な気持ちで参加してもらうか」を意識する必要があります。
しかし、自発的に参加する気持ちになってもらうには、先生自身がビブリオバトルの魅力や特徴をよく理解していなければいけません。
使い方を知らない例
また、ビブリオバトルの理解不足によって授業で失敗する典型的な例として、「公式ルールのアレンジ」が挙げられます。
教育のために…と考えて安易にルールを変えた結果、生徒・児童が楽しめなくなることは、実はとても多いです。
ここでは、ルールをアレンジした結果楽しさが損なわれた例を、3つご紹介します。
1. 紹介する本を、先生が指定した本の中から選ばせる
ビブリオバトルでの発表が楽しい大きな理由は、「自分が好きな本の魅力を他の人に伝えられる」からです。
先生が本を指定すると、紹介するモチベーションが湧かないので、発表が、そしてゲーム自体が盛り上がらなくなってしまいます。
「もっと難解な本を紹介してほしい」「不真面目な本を紹介しないでほしい」などの先生の思いはぐっと堪えましょう。
2. 負ける子が可哀想なのでチャンプ本を決めない
ビブリオバトルは、上手な発表でなくても集中して聞いてもらえることが多いゲームです。
それは、聞き手がチャンプ本を決めるために投票するルールがあるためです。
チャンプ本を決めないということは、真剣に話を聞くモチベーションが失われることを意味しています。
がんばって発表しているのに集中して聞いてもらえない時間は、真剣にビブリオバトルをして負けるよりも辛いのではないでしょうか?
3. 先生がチャンプ本を決める
子どもたちがチャンプ本を決めると、不真面目な本が選ばれてしまう、などの懸念から、先生(あるいは、少数の審査員)がチャンプ本を決める例がありました。
先生がチャンプ本を決めるので、ゲームに勝とうと思うと、先生に気に入られる選書や発表をする必要があります。
その結果、ゲームに真面目に取り組む子ほど、先生以外の聞き手をないがしろにする、という結果が生じます。
チャンプ本が自分たちの投票で決まらないことに加え、バトラーも先生ばかり意識している発表を聞いていて、他の子は楽しいでしょうか?
ビブリオバトルの公式ルールは、それぞれ意味があり設定されています。
ビブリオバトルの表層だけを見て、安易にルールを改変すると、上記のように楽しさが失われてしまったり、その結果ビブリオバトルや読書そのものが嫌いになってしまったりします。
ただでさえ強制の要素がある授業の場で、ルールも違っていたら、ビブリオバトルを楽しむのは困難を極めるでしょう。
先生がビブリオバトルを理解するために
では、どうすれば先生がビブリオバトルについて理解し、こうした事態を回避できるのでしょうか?
質問者さんのおっしゃるように、「先生方への研修」というのは有効な方法で、実際にビブリオバトル普及委員が教員研修で講師を務めることも多いです。
ただし、ビブリオバトルが普及する速度に比べると、教員研修の機会はまだ充分でないと言えます。
(これには普及委員会の力不足も感じます)
先生方自身が、授業への導入の前に、ビブリオバトルについて書籍や公式サイトなどから学んでいただくのも効果的ですが、なかなか難しいのが現実かもしれません。
教員研修などでおすすめしている方法として、授業への導入前に「先生方が生徒の前でビブリオバトルをする」というものがあります。
一見違和感を覚える方もいるかもしれませんが、これには多くのメリットが存在します。
先生によるビブリオバトル
先生同士でビブリオバトルをし、生徒・児童が聞き手として投票を行う。
これにはどんな効果があるのでしょうか?
①生徒・児童へのデモンストレーションになる
先生以上に、生徒・児童はビブリオバトルのイメージは湧きづらいものです。
最初に聞き手としてゲームに参加することで、ビブリオバトル自体のハードルが下がり、自発的な気持ちで参加してくれやすくなるでしょう。
②生徒・児童が先生を評価する構造になるので、場が盛り上がりやすい
先生同士のビブリオバトルは、いかに生徒・児童の票を集めるか?というゲームになります。
ふだんとは異なる構造に、ゲームとして盛り上がるものになる可能性が高くなります。
先生が真剣に行えば行うほど、その後の生徒・児童のモチベーションも上がるでしょう。
③先生が、ビブリオバトルをする側の気持ちを理解できる
これが一番大切なポイントですが、先生方自身のビブリオバトルについての理解が格段に深まります。
ビブリオバトルでチャンプ本を取るために選書し発表する、という経験をすることで、公式ルールが持つ意味も実感できるようになります。
ぜひ真剣にチャンプ本を目指していただきたいと思います。
ただし、先生同士のビブリオバトルが公式ルールをアレンジしたものでは意味がないので、公式ルールを守って行っていただくようお願いします。
まとめ
授業へのビブリオバトルの導入は、「強制」の要素が伴うため、サークルなどで行うビブリオバトルよりも、生徒・児童のモチベーションに配慮する必要があります。
ただし、導入する先生がビブリオバトルについて理解し、正しく実施することができれば、多くの生徒・児童の読書体験やコミュニケーションの経験を豊かにしてくれると考えています。
教員研修や教員向け資料の充実などでビブリオバトルの理解促進のための取り組みを行う他、先生同士によるビブリオバトルの促進などを通して、多くの生徒・児童の方々に「あげぽよ👆のビブリオバトル」を体験していただきたいと思っています。
回答になっているでしょうか。
もし他にもこんな方法が効果的だと思う、というアイデアがあれば、ぜひコメント等で教えてください。
参考
ビブリオバトルに関する質問・メッセージ募集中です。
お読みいただきありがとうございました。
執筆:益井博史