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【2023年度内定者】稲村賢人

PROFILE

稲村 賢人 KENTO INAMURA

鹿児島県出身
熊本大学大学院 自然科学教育部 土木建築学専攻 修了予定
大学で建築学を専攻し設計士を目指すが、就職活動を経てデベロッパー志望に方向転換。
大手選考を経てコロンビア・ワークス(以下CW)と出会う。開発業務を一貫して行うことで得られる事業の手触り感を魅力に感じ、CWへの入社を決意。
趣味は映画鑑賞。アルバイトは居酒屋と地元ラジオ局のスタッフ。
漫画とハイボールが好き。

大学再入学を経て建築の世界へ

鹿児島県鹿屋市で2人兄妹の長男として生まれました。

小学1年生から空手を習い始め、中学3年生まで約8年間心身の鍛錬を積んできました。

細かいことは覚えていないのですが、両親と区民体育館に足を運んだ際に空手と出会い、挑戦してみたいと思ったことがきっかけです。そこからのめり込んでいき、最終的には黒帯(二段)まで実力をつけることができました。

一方で中学からチームスポーツをやってみたいと思い、バレーボール部に入部しました。

野球やサッカーなど経験者が多い部活と違い、私が所属したバレー部は初心者が多い部活だったので、即戦力として活躍できることを期待したためです。
結果的に比較的早期でレギュラーの座を掴むことができたのですが、私の場合はその先の苦労の方が大きかったように感じています。

先輩に混ざってプレーする私をよく思わないチームメイトもたくさんいましたし、当時は私自身天狗になっていた部分もありまして…。(笑)
次第に衝突も増え、2年生の秋には部活を退部することになりました。

しかし部活を途中でやめてしまったことに大きな後悔があったため、進学した高校では再びバレー部に入部しました。
2年生の夏に膝の半月板を故障してしまい、戦線から離脱するも、サポートメンバーとして最後までチームに貢献できたことで自身の成長を感じることが出来ました。

一度は困難から逃げてしまいましたが、その後に残る虚しさや後悔を知っているからこそ、次からは逃げずに頑張ろうと思えるようになれたことが一番の成長でした。

大学は宮崎大学の土木系の学科に進学しました。

元々絵を書くことや建築物に興味があったので、他大学の建築学科を志望していたのですが、合格ラインに届かなかったため、このような進路を決定しました。
故に入学してから周囲との温度差や将来への漠然とした不安を感じるようになり、入学して約4ヶ月で宮崎大学を退学し、熊本大学の建築学科への再入学を目指すことにしました。
周囲からは大学に通いながら受験勉強することを勧められましたが、敢えてそうしなかったというのも、必ず建築を学びたいと強く思っていたからです。

約半年に渡る受験期を経て、無事第一志望であった熊本大学の建築学科への進学を決めることが出来ました。

建築に関する基礎的な知識は勿論ですが、その他にも市と協業してまちづくりのプロジェクトに携わったり、学園祭の展示で芸術的な建築表現にも触れたりしてきました。卒業設計では大規模なフェリーターミナルの設計を行うなど、実践的で実りのある時間を過ごせたと思っています。

学部3年生のときに一度就職活動を行いましたが、大学院に進む道も視野に入れていたので非常に葛藤しました。早く社会に出て両親に恩返しがしたいと思う一方、自分のスキルに自信が持てないことへの不安があったので、悩んだ末に大学院に進むことを決断しました。

卒業設計

建築を学んで経験した挫折

就職活動についてですが、当初は設計士を志望していました。

前述の通り、絵を描くことや建築物に興味があったので、まずは設計事務所に就職したいと思っていましたし、そのために建築学科に来たみたいな部分がありましたからね…。

ただ、深く建築を学ぶ中で少し挫折を経験したことがあります。

“絵を書くのが好き”なだけでは設計はできないんだなと思ったんです。

論理で構築されていったものの先に自分の表現があるというか、どんなにやりたいデザインやアイデアがあっても建物として成立していなければそもそも意味がないみたいな考え方が私自身苦手なんじゃないかな、と思ったんですよね。

大学の課題一つにしても、“こんなものを創りたい”はすぐ思いつくんですけどその実現方法とかプログラミングが分からなくて、結局平凡で安牌な結果になってしまっていた気がします。
一方で他の学生は畳2枚程の模型を作ってくるなど、とにかく熱量が違うなって思いました。ただ何かを表現するとか、創り出すという根本の部分がブレた訳ではなく、設計以外の選択肢も含めて検討する必要性を感じました。

“周囲の期待”ではなく“開発の手触り感”を求めて


そこからは大手デベロッパーを中心に10~15社程度選考を受けました。

選定の基準は、何かを創り出している会社、特に大きな構造物に携われること。
また少なからず周囲を安心させたい気持ちもあったので、経営基盤が安定している会社であること。
最終的にご縁を頂いた先もありましたが、全体を通じて手応えみたいなものはあまりなかった印象です。

今思い返すと結構無駄なこともたくさんしていたなと思います。(笑)

面接官の雰囲気に併せて話を展開したり、取ってつけたような志望動機をたくさん用意したり、会社の組織図を暗記したり…。

勿論全部が無駄だったとは思っていませんが、いずれも小手先だけで私の本心でないことに気づきました。人事の方も優秀なので、もしかしたら見抜かれていた部分もあったのかもしれませんね。(笑)

このまま両親の期待に応えるために就職先を決めていいのか。
本当に自分がやりたいことは何なのか。それらを考え直すきっかけになった就職活動だったと思います。

CWと出会ったのはそれらの就職活動を一通り経験した後でした。

魅力に感じたポイントは大きく2つあります。

まず1つ目は裁量が大きいと思えたこと。

仕入れから企画、開発、売却までを一貫して担う点を魅力に感じました。

私自身ものづくりや何かを表現することへのこだわりは強い方だと思っているので、全部の中の一部ではなく、全部やることで得られる手触り感を求めていました。

2つ目は働く人や組織のカラーへの共感です。

これは選考を経て私が感じたことですが、面接を担当いただいた社員の皆さんに就活生としてではなく1人の人間として向き合って貰えている気がしました。

定型的な質問はなく、とにかくキャッチボールのテンポが早かったな、という印象です。

1つのトピックに対して様々な角度から質問やご意見を頂くことが多かったため、“稲村賢人という人間を本気で理解しようとしてくれている”という印象を受けました。

対策は…できないと思います。(笑)

不動産業界についても、建物についても勉強不足な点が多いため、現時点ではサービスを組み合わせた複合施設みたいなものを想像してしまうのですが、根本はやはり自分が創ったもので人に喜んでもらえるようなそんな仕事がしたいです。

そのためにも用地の仕入れは欠かせませんが、それとは別にもう少し中長期的な目標として20代のうちに建築士の資格を取得したいと思っています。

難しい挑戦だと思いつつ、折角ものづくりの会社に入ったので良いものを創るための自己研鑽を怠らずに頑張りたいなと。

内定式

就活生に一言


失敗談をもとにお話しすると、私の場合一つの物事に熱中するとそれ以外見えなくなってしまうタイプなので、結構不器用な就活をしていたと思います。もう少し上手くやれよって自分に言いたくなるくらい。(笑)

ただ良くも悪くも就職活動というものに時間をかけてきた分、自分のやりたいことをたくさん考える時間があったと思っています。なので時間をかけるべきという話ではなくて、色々経験して自分がやりたいことを妥協せずに探し求めてほしいなと思います。

今はやりたいことがなくても、様々な人や会社の話を聞いて自分の可能性を探す時間にできると有意義な就職活動になると思います。

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