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【2019年中途入社】営業本部長 魚住剛

PROFILE

魚住 剛 TSUYOSHI UOZUMI

熊本県出身
早稲田大学 理工学研究科 修了
大学院にて建築学を学んだ後、新卒で森トラスト株式会社に就職し、用地仕入れと開発に従事する。その後は同じデベロッパーであるヒューリック株式会社に転職し、都心をメインに数々の案件で企画開発を担当(渋谷PARCO再開発、HULIC SQUARE TOKYO、介護付き有料老人ホーム、宿泊特化型ホテルなど)。株式会社三越伊勢丹ホールディングスへ2年間出向し、フィリピンのマニラでの大規模複合開発等を担当。
2019年よりコロンビア・ワークス株式会社(以下CW)に参画し、現在は営業本部長として手腕を振るう。
■関連記事「【2019年中途入社】投資開発事業部 投資チーム 部長 魚住剛×課長代理 西木容平

設計かデベロッパーか。
きっかけは”祖母の家”から

高校まで熊本で育ったのですが、大学生活はとにかく東京に出たかった…!
ラグビー部の活動に全力投球する一方、進学校だったので“早稲田か慶應”に入ってキャンパスライフを謳歌したいと思っていました。
そんな当時、キムタクが建築家を目指すドラマが流行っていたという、ひょんなことから建築家に興味を持ち、気づいたときには早稲田大学理工学部の建築学科に進路が決まっていました。(笑)

なので入り口は本当に些細なことがきっかけだったのですが、入学して学びを深める過程で建築の世界にどっぷりハマっていき、将来は建築家になろうと思っていました。

意匠系の大学院へ進学後は、アジアの調査研究グループに所属して、先輩後輩とアジア各国に出かけて行ってはフィールドワークを実施し、半ば現地生活の様な時間を重ねていましたね。

しかし大学院生活も後半に差し掛かったころ、自分の進路を改めて考える出来事がありました。自分の祖母の家を設計することになったんです。

人生で初めて(今となっては最初で最後かもしれませんが)、自分で設計をした建物です。先生方や友人の協力も得ながら、現地に住み込み、細部のディテールにもそれなりに拘り、自分の中では名作です。(笑)

当然祖母もとても喜んでくれました。
ただ喜んでくれたのが、自分の拘ったポイントと全然違うところで…
勿論喜んで貰えたことは嬉しかったですよ!
だけど、設計した建物の価値を共有する事って難しいんだなと痛感した経験でしたね。祖母の家だったので、ある程度自分のやりたいように設計させてもらったのですが、本来はお金を払う人(施主)の想いを形にするのが設計だと思うんです。

そうなると、この先自分が世の中を良くするとか、革新的な建物をつくりたいと考えたときに、お金を出す側(施主)として建築づくりに携わることが一番素直で近道だと思いました。自分が思うことを伝え、設計は他の人にやってもらおう!と(笑)

なので、デベロッパー業界に就職することに、急遽方向転換しました。

今の自分を作った新卒時代。しかし…

結果的にデベロッパーに新卒入社を果たすわけですが、入った会社は金融思考が強くて、超合理主義。学生時代に好んで見ていた階段や陰影の美しさとか全く誰も興味ない!逆に、簿記が一般常識で、Excelが出来ないとお話にならない。
今みたいに情報が沢山ある時代でもなかった事を差し引いても世間知らずすぎる社会人デビューで、しばらくはカルチャーショックでした。(笑)

ただ、今思えば貴重な経験ばかり。
当時の一番の思い出の案件は、入札で取得した約5,000㎡の開発用地を核に、周辺の土地所有者を巻き込んで開発区域を大きくし、ビルや道路や神社のお社を建てる開発でした。
一方で権利調整や行政協議に時間がかかりすぎるので、暫定利用でも仮設エンタメ施設をつくって、とか。とにかく日々大変で…。結局1つのプロジェクトの都市計画提案に5年もかかりました。

ただ5年かけても形として残るのは担当の私の意思が乗っかった建物ではなく、合理性で決まったもので、自分のオリジナリティって全くなかったんですよね。

自分の介在価値を高めたいと思ったのが、最初の転職のきっかけです。

転職先は、変わらずデベロッパーです。
今でこそ有名な企業ですが、当時は今ほど知名度の高い会社ではなかったと思います。私くらいの年代でプロジェクトマネジメント経験者がほぼいなかったので、ロジカルに説明すれば、何でも挑戦させてもらえる刺激的な環境でした。
 気が付いたら社内で、新しいアセットタイプやキワモノ案件は魚住にやらせよう、といった感じになっていて、「特命案件専任」という名刺を持たせてもらっていました。(笑)

そして、その延長で?、大手百貨店で不動産有効活用を内部から推進しなさいということで、2年間出向することになりました。
その百貨店では、2大百貨店の合併の余韻がそのまま残っていて、内向きな派閥争いなんかを目の当たりにして。

もちろんそこでも色々な出会いや、海外不動産開発など貴重な体験をさせていただいたのですが、ふつふつと大企業への懐疑心みたいなものも芽生えていって・・・。

ちょうどそういった時期にCWのことを知って、話を聞いてみたいと思ったんですよね。

同じ目線の仲間とやっていけるワクワクを感じた。

最初の面接は、代表の中内と当時の人事担当とでした。
自由闊達な議論が盛り上がって、結局2時間くらい話し込んで…。(笑)

CWに将来性を感じたし、自分がエンジンとなって組織を引っ張っていけるのではないかと思えたことが入社の決め手でした。
一方で名前も知らない会社に転職をすることへ、周囲の驚きももちろん沢山ありましたけどね。

ただ、昔から『ROOKIES』や『スラムダンク』のようなスポ根系の漫画が大好きで。特に弱小チームが仲間と一緒に困難を乗り越えて強くなっていく、みたいなストーリーが好きなんですけど、CWにも同じようなワクワクを感じたんですよね。

CWに入社して今年で4年目になりました。

最初は投資事業部という仕入れチームの部長からスタートしましたが、ベンチャーでのマネジメントは初の経験だったので、本当に苦労したことを覚えています。
当時のCWは自由な社風そのままでした。自分も、自由に最前線での業務を行いながらも、最低限のルールを敷いてチームマネジメントする必要があり、組織編制や日々の報告の仕組、ツール導入などきめ細かい事での効率化をトライアンドエラーで進めました。

また、オフィスや賃貸マンションのブランド名(BIASTALUMIEC)やロゴ作成に当たっても、若手社員と一緒にファシリテーターとして取り組んだのも良い想い出です。

BIASTA渋谷道玄坂

今は営業本部の本部長と、投資開発事業部(旧投資事業部と開発事業部)の部長とを兼任しています。投資チーム、開発チームといったデベロップメントの部門だけでなく、ホテルや固定資産の運営を担う運営チーム、営業部隊のサポートに当たる業務支援チームの責任者です。

この4年だけでも、会社として取り組みの幅は格段に増えたし、人数は倍くらいになったし、大きく景色が変わったと思います。

案件は、賃貸マンション開発をベースに、オフィスや、医療系施設へと広げています。
コロナもあり現在は手控えていますがホテルや商業の華やかな開発もやっぱり再開したいし、物流施設へもCWらしい切り口で虎視眈々と参画を狙っています。
また、「別荘」もホットなテーマで、都心とリゾートをつなぐハイブリッドな生活提案の実現に向けて、箱根で設計を進めているものもあります。

日々の変化はベンチャー企業ならではですが、これからも建物を使って、街や都市を良くしていきたいという私自身のテーマは変わりません。

今も、目玉となる開発プロジェクトをたくさん動かしているので、今後のCWに期待していてください!

未来のCW社員へのメッセージ

―新卒で入る会社は大手がいい?ベンチャーがいい?


会社が新卒社員にやってほしいことが決まっていて、これだけやっといてという環境を選ぶか、自分次第だけどなんでもやっていいよっていう環境を選ぶかだと思います。

個人的には、ラグビー部卒の採用をしたくて。(笑)

ラグビーは、前に進むのにパスは後ろにしかしてはならないとか、タックルは痛いスクラムは臭いとか、監督は試合中に直接指示出来ないとか、誤解を恐れずに言うと、理不尽極まりないスポーツです。(笑)

ただ、面白いのは色々な長所を持ったメンバーを適材適所に配して、みんなで次のゲームの動きを想像しながら、各自違うタスクをやる競技で、自分の強みをチームに還元しながら勝利を目指すので、ラガーマンには「蟻の目」、「鷹の目」、「魚の目」を備えている人が多いはず。

チームのため、社益のために、どうすることが最善なのかを、常に各自の立場で考えることのできる人と一緒に働けたら嬉しいなと思います。

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