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弱さを抱えて生きる私に勇気をくれた本

宮崎智之 『平熱のまま、この世界に熱狂したい』増補版 ちくま文庫


これほどまでに、優しい本があっただろうか。
これほどまでに、心に届く本があっただろうか。

弱さを抱えて「今」を生きる。
この本は、自己肯定感が欠落している私に、力を与えてくれました。


「何者か」にはなれない

自分以外の「何者か」になろうとするよりも、すでにあるもの、あったものを見て、感じることの方が、自分の人生を豊かにできると確信するようになった。

「僕は強くなれなかった」より

筆者は、アルコール依存症や離婚を経験。
その立ち直りと模索の日々を通じて見えた自分の心情を赤裸々に語っていきます。

自虐的にならず、それでいて説諭的でもない。
「凪」の海をたゆたうようで、淡々と客観的に自分を見つめていく姿勢に、思わず身を委ねてしまいます。

私は通勤電車の中などのスキマ時間に読書をすることが多いのですが、この本は家から持ち出すのをやめました。
「流し読み」ではいけない。
読み始めてすぐ、そう思ったからです。

*ー*ー*

私は毎晩この本を紐解き、一文一文、心に染み込ませるように読み進めていきました。

筆者は時に、文学の名作を引き出しながら語っていきます。
でも、偉そうでも過度に哲学的にもならない。
とても平易な言葉でわかりやすく話を進めてくれます。

そして、等身大の筆者の言葉には、飾り気や嘘臭さが全くなくて、有り余るほどの「実感」がこもっている。
静かで淡々とした文章に、しっかりとした芯と熱を感じて、私の心を捉えて離しません。

それはまるで、真冬に暖かな湯たんぽを抱きしめるよう。
じわりじわりと心が温まってくるのを感じながら、そのまま寝落ちしてしまったこともしばしばです。

何がそれほどに、私の心を捉えたのだろうか。
それは「共感」。

ここには、私が言葉で捉えきれないモヤモヤが、明確に記されています。
そうなんですよ!!と窓を開け放ち、夜空に向けて絶叫したくなるほどです。

*ー*ー*

冒頭の一文もそのひとつ。
自由であることのあやふやさ。
人間は何かのあてがわれた役を演じない限り、何もできないと筆者は言う。

「何者か」などと言う役は存在しないから、そのまま舞台に立つことほど不安なことはないだろう。だからこそ、今「実感」のあるものを大切にするしかないのだと。


弱くある贅沢

僕の持論に「0(ゼロ)を作る理論」と言うものがある

「打算的な優しさと「0を作る理論」」より

筆者は、日本社会に支配的な「誰かがつらかったら、周りも同じぐらいつらい思いしなければならない」と言う考えを否定する。

5対5と言う均等な分配ではなく、10対0。余力のある人が全てを背負えば良いので、自分はそうしていると。それは優しさではなく、自分がしんどい時に楽をしたいという打算だと言ってのける。

弱者に対して厳しい社会。
あいつらは楽をしている。不公平だと。

だが冷静に考えてみたら、
人生、強者で居続けられるとは限りません。

誰しも予期せぬきっかけで、ケアされる側になる可能性を持っています。
いとも簡単に、まるで舞台が暗転するかの如く。
そんな悲哀を私もこれまでたくさん見てきました。

優しさとは、自分の将来への保険でもあると思います。
自分が困ったときに助けてもらえる割合は、自分がかけた優しさに比例する。
そう私は信じています。
「情けは人の為ならず」と。

*ー*ー*

そして筆者は、弱くあることは「贅沢」だと。

「強さ」を誇示することによって、生きづらさを抱えてしまうのが現代なのであり(中略)誰もがお互いの弱さを支えながら生きていける時代が始まったのだ、と。

「弱くある贅沢」より

「強さ」に固執する人は「弱さ」を抱えている人であり、自分の美しいと思うものを踏みにじらず、ありのままの人間でいられること。そして人間の「弱さ」に敏感で、「弱いやつ」の声を拾い上げていきたいと筆者は言う。

私は「弱いもの」としての自覚を大切にしています。

それは、身近な人々の死や、かつて福祉の仕事で目の当たりにした数々の生き様と死。そうしたものから学んだ人の儚さと弱さは、受け入れざるを得ない現実として私の人生の土台となっています。

私は弱さから免れない。
人の言葉に傷つきやすいし、引きずるし。
失敗に深く落ち込むことも多い。

妬みや怒りは捨てられないし、誘惑にだってすぐ負ける。

でも、そんな自分を受け入れて、常に謙虚に正直である方が、強がるよりもはるかに心が楽だと思う。自らの弱さを最も良く知る自分と、強がる自分との矛盾に苦しまなくて済むからです。

弱くあることは、実は折れない強さでもあるのです。


誰もが、かけがえのない存在

筆者はそんな弱さを持った人そのものの尊厳にも言及していく。

誰もが取り返しのつかない人生を背負った、のっぴきならない固有の存在である。その人を産んだ人もいれば、その人を愛した人もいる。僕は、この当たり前の事実に、とても注目している。

「僕の好きだった先輩」より

そして、身近な他者の痛みに敏感ではない人が、本当に社会や世界のことなんか考えられるのだろうかと疑問を投げかける。

戦争やテロなどを引き合いに出すまでもなく、いじめやハラスメントなどのニュースを聞くたびに、私はこのことを思います。

誰かの「気に入らない」と言う瑣末な感情で、傷つけて良い人生などあるわけがない。人には誰しも子どもの頃から築き上げてきた時間と人生がある。
そこにはいろんな人々の関わりがあり、1つの人生は、1人のものだけではないのです。

傷つける者は、傷つけられた者以上に弱い。
そんな自分の弱さを暴力でしか埋められない者が考えた社会や世界など、誰も幸せにならない闇に満ちたものでしょう。
私はまっぴらごめんです。


小さな自分のまま、大きな世界を見続ける

人生はあまりに短いからこそ、身近なことへの執着を積み重ね、想像することをやめないことで、世界や他者への「実感」を掴むことができる。
ありのままの弱い自分で、すでにそこにある世界を見つめ続けることこそ、挑戦的な生き方である。

「平熱のまま、この世界に熱狂する」

熱狂は時に暴力的であり、本質を見失う。
だからこそ「平熱」でいること。冷静に、今に目を凝らして、確かな「実感」を掴むことが重要だと筆者は言う。

空疎な「何者か」を追い求めるのではなく、弱い自分を自覚し、今、目の前にある現実と「実感」に全てをかける。そのことが、豊かな人生につながるのではないだろうか。

情報が氾濫して、正しいことの見極めが難しい現代。
そのことの大切さを、私は掴みかけています。

筆者は最後に、「今」を生きようと説きます。
まだ見ぬ未来に「実感」はなく、過去を眺めるのは寂しい。

でも、寂しさを受け止めながら、「今」に目を凝らして生きた時、その先の未来にかけがえのない過去となっていると。

日常は動画のようなものです。
ともすれば、ただ漫然と景色や時間が流れていく。

しかし、何かのきっかけで、静止画となる一瞬があります。

私がnoteを書き始めて掴んだ「実感」。
季節の移ろいや、まちの様子、自分の気持ちなど、些細なことであっても目の前の今に集中すると、その一点は記憶されていきます。

そんな小さな一つ一つが、生きることの1歩を確かなものにしていると最近感じ始めています。
ふわふわした未来や、取り戻せない過去。
私は「なりたい自分」から逆算して行動することはできません。

でも、「今」を積み重ねることで、未来が形作られていく。
私は「今」に対してしか具体的な行動ができません。


弱いままの自分で「今」を生きよう

この本の中には、等身大で生きるための珠玉の言葉が詰まっています。
優しい、でもある厳しい問いも宿しています。

筆者の伝えたかったことを十分に汲み取れているかは自信がありません。
この作品から受け取った感情と感動を、的確に表現できているのかも、とっても心許ない。

でも、自分の「弱さ」を自覚し、今できることに全力に、明日からも生きていきたいと強く思います。この本を座右に置いて。


言葉との出会いを・・・鴨葱書店さん

私がこの素晴らしい1冊と出会ったのは、京都市南区にある「鴨葱書店」さん。
名前からしてステキです。

心に春風が吹き込むような優しく暖かな文章が魅力の夏樹さんがnoteで紹介してくださいました。

京都市南区、JR京都駅から南東へ徒歩約10分。
河原町通から一歩路地を入ったところにある小さな小さな本屋さんです。

鴨葱書店さんの玄関

本の鼓動が聞こえてくるような静かな静かな空間で、本の背を撫でるように過ごしていたところ、まるで呼ばれるようにこの本に惹きつけられました。

他の本屋さんでは、この本を手に取ることは無かったと思います。
それほど、特別な空気が流れる本屋さんです。

本との出会いをくれた「鴨葱書店」さん、
そして、このステキな本屋さんと引き合わせてくださった夏樹さんに感謝しています。

ありがとうございます。

鴨葱書店さんについては、夏樹さんの紹介記事がとっても素敵なのでご覧ください。

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