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絶望の中にいても、一筋の希望を求めてしまう【感想文】

好きな作品に出会った時、私は誰かにその話をしたくなる。52ヘルツのクジラたちは、まさにそんな作品だった。

52ヘルツのクジラとは―他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だと言われている。自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれる―。(Amazon 作品ページより)

あらすじを見た時に、最後まで読めるか不安だった。私は共感性が高い。昔から、誰かが亡くなってしまう話を見ては苦しくなり、時に泣きじゃくってしまう。だから、虐待が1つの事柄としてある本を読めるんだろうかと不安だった。

この本を手にしたのは、なぜだったのだろう。今となっては思い出せないけど、多分帰りの電車に乗る時に行きの電車で別の本を読み切ってしまったからだった気がする。

本を買う基準はさまざまあるが、私はたいていジャケ買いする。あらすじは読まず、著者もタイトルもわからない。「わー!キレイ」が私の購買意欲を1番にそそるポイントだ。

さて、前置きが長くなってしまったが「52ヘルツのクジラたち」の話をしよう。

害を与えてしまうことに隠された背景

「あの人はいいところの育ちだから」「あの子、虐待されているんだって」田舎で育ったこともあって、こういった噂が一人歩きする情景は容易く目に浮かんだ。それで、今思えば残酷だけど、子供だった私はその噂を鵜呑みにすることも少なからずあった気がする。

ただ、同作を読んで、そういう問題って当事者だけの問題じゃなくて、当事者が育ってきた環境や周りの人間たちの影響も大きいんだろうなと感じた。

「あの子、チャラいよね」彼女・彼氏を取っ替え引っ替えしている同級生を見ては、そんなふうに言っていたこともあったけど、それっていろんな原因があるのかなって思ってしまう。なんの考えなしのパターン、本当にすぐに人を好きになっちゃうパターン、誰かから愛されることに飢えているパターン。

「52ヘルツのクジラたち」を読んでいると、被害を受けているキナコと親からムシと呼ばれている少年(以下、52)、2人だけが辛い境遇にいるのではなくて、その2人をそういう状況に陥れてしまった人たちにもなんらかの事情があるのだなと感じてしまった。だからといって許されることではないけど。

でも、それを断ち切るってどうしたらいいんだろうね。小説の中では、孤独同士だったキナコと52が出会えてお互いを支え合えることになったけど、現実でそんなにラッキーなことはなかなかないと思う。

誰もが、幸せないつかに懸けている

キナコと52は、精神的にどん底まで陥ったことのある2人だ。もう何も期待していない、もうどうでもいい。まるでそのような行動や身なりだけど、きっと2人は「どうでもいい」だなんて思ったことはない。

だから52ヘルツで共鳴しあえたし、最初は疑心暗鬼ながらも相手のことを信じることができたんだと思う。

※以下、ネタバレ含むので有料です。

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