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闇の豊かさ

先日、庭文庫さん(@niwabunko)から選書していただいた、谷川俊太郎さんの「夜のミッキー・マウス」を読んだ。

数々の詩は、決してきれいな表現だけではないのに、むしろそれだからこそ、夜の闇に包まれているような安心感を覚えた。

一番最後に収められている詩のタイトルは、「闇の豊かさ」。

一枚の古いモノクロ写真の描写から始まるこの詩は、こんな一節で結ばれる。

今はもうほとんど退屈な細部なのに 
それらが時折痛いような光となって
私の内部を照らし出し
私は知る
自分と世界をむすぶ闇の豊かさを

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この詩を読んで、思い出したことがある。

あれは、社会人1年目の秋。

慣れない仕事に必死だった私は、週末になるとスイッチを強制的に切り替えるかのように、札幌の近代美術館に足しげく通っていた。

紅葉の季節も終わりかけ、もうすぐ冬が始まりそうな11月に催されていたのが「ジョルジュ・ルオー展」だった。

薄暗い館内の中、ライトで照らされていたのは、人間の生きる苦しみに焦点を当てた数々の絵画だった。

中でも、黒一色で描かれた母子が抱き合って微笑み合う絵に、目を奪われた。

「でも愛することができたなら、なんと楽しいことだろう」というタイトルが添えられていた。

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その頃、仕事がうまく回らず、かろうじて息をしているような思いで働いていた。

随分前の失恋を引きずり、何だか八方塞がりのように感じていた。

学生時代の友人と飲み明かしても、心は癒えなかった。

そんな中、遥か昔を生きたルオーが描いた人々の苦しみと、闇の中で見出した希望に、じんわりと温かい気持ちになった。

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闇は、怖くない。

目を凝らすと、本当に大切なものが見えてくる。

自分の心の闇はどうだろう。

怒り、嫉妬、悲しみ、見栄…

直視するのは怖いかもしれない。

だけど、思い切って見つめてみると、そこにはきっと愛すべき自分がいる。

闇の部分、弱い部分、それすらも愛することができたなら、もっともっと人生の豊かさを感じられるんだと思う。

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