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「ジョージクラベルの世界」を手放す

就職活動をしていた頃に聞いて、今でも忘れられない言葉がある。

「ジョージクラベルの世界に入ってしまったら、ずっとしんどいですよ」

落語家の方だっただろうか。

「就職活動で活かせるコミュニケーション力」のようなセミナーの登壇者が述べたその言葉に一瞬ドキッとして、でも向き合ってしまったらどこまでも引きずり込まれてしまいそうで、分からないふりをした。

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「ジョージクラベルの世界」とは、別にジョージクラベルさんという人のお話ではなく、「常時人と比べてしまう世界」のこと。

何だかダジャレみたいだけれど、その言葉の含む本質的な問いが心に突き刺さって、ずっと離れなかった。

「あなたは人と比べることで自分の価値を確認するんですか?」と。

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前回のnoteにも書いたけれど、私は一応北海道の地元では優等生だった。

生徒会長もしていたし、部活では部長もしていたし、試験では大体1番か2番だった。

それは、目に見えることで自分の価値を確認したいという、自信のなさの裏返しだった。

「私、あの教科は好きじゃないから勉強しなくていいんだ」ってあっさり言い切るクラスメイトが羨ましかった。

大学に入って、自分より遥かに優秀な人に囲まれてからは、「何とか単位を落とさない程度に要領よく勉強しながら、サークルや恋愛を全力で楽しむ大学生」になるために努力した。

実際、要領は全然良くなかったのだけれど、優しい友達に恵まれて何とか試験はパスしたし、一番好きだった人とお付き合いすることができたし、アカペラサークルでは色々なイベントで歌うことができたし、海外でインターンシップもしたし、目指していた大学生像にはなれたように感じていた。

それが、就職活動で東京に行って揺らいだのだ。

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帰国子女、雑誌の立ち上げ経験、何百人もいるサークルのリーダー。

いくら背伸びしても到底届かない経験を持った人たちがそこにはいた。

不安だった。だから1ミリでもその人たちに近づけるように、背伸びして背伸びして、自分のことを語っていた。今にも転びそうだった。

そんな頃に耳にした、「ジョージクラベルの世界」という言葉。

他と比較せずに、どうやって人や物事の価値を確認していくのか全く分からなかった。

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その言葉を初めて耳にしてから12年が過ぎた。

いくつかの組織で働いて、色々な人と出会って、自分の中にある「ジョージクラベルの世界」にどこかで苦しめられてきた。

比較にはキリがない。

会社の同期、先輩、後輩。

卒業して時間が経ったら、かつての同級生が仕事で活躍したり、結婚・出産をするたび、祝福する反面モヤっとすることもあった。

海外に住んだら住んだで、語学学校で出会った友人や、SNSで知る同年代の人の活躍に焦る。

それで、ふと思った。

「私は何に幸せを感じて、何をしてきたんだっけ?」

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どんなに活躍をして輝いている人でも、「じゃあその人と全て入れ替わりたいんですか?」と聞かれたら、それは違うと思った。

自分の足元を見れば、悩みながら選択を積み重ねてきた結果としての、一つだけの自分の道がそこにはあった。

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30代に入って、人と比べ、人と競い、人に勝つことで幸せを感じるなんて不可能なことだと身を持って感じている。

いくらスキンケアに気をつけてもシワは増えるし、体力も落ちてくるから長時間の残業だって辛くなる。最新の流行を作り出すのは、もう自分より若い世代の人たちだ。

だとしたら、そろそろ「ジョージクラベルの世界」を手放したっていいんじゃないか。

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「誰かからどう思われたか」それも多分大切。

だけど、自分が優秀になること・競争に勝つことで憧れられたいわけではない。

誰かが揺らいだ時に温かく寄り添ったこと。

とびきり嬉しかった瞬間を一緒に分かち合えたこと。

そんなことで、誰かの記憶に残れたらとても嬉しい。

それは、まさに私自身にとって幸せな瞬間でもある。

「ジョージクラベル」の世界を手放して、そんな瞬間を味わうために、他の誰でもない自分の道を歩んでいきたい。

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