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大槌 秀樹 『神々の撮影』(山形県山形市)

これは半裸の男が林のような茂みを背景に石の上で西洋の彫刻像のポーズをとっている自作のカレンダー。

笑った。一発でやられてしまった。

大槌は主に、山形県内に多く存在する消滅集落や廃村、山でその撮影を行い、その様子を映像や写真として発表している。無法に生い茂る草木になかで生身の現代人の肌は一層白く感じる。その体が生身であることの違和が作品としての条件を支えているものとしても、少なくともそこに写っている彼は彼本体ではなく、西洋の彫刻像という理想化された人体を模すパフォーマンスをする、いわば役として機能している。
はずだった。

聞いてみたい。
聞いてみたいぞ。
一体だれがこれを『カレンダーにしよう』と言ったのかと。

カレンダーにデザインされたことによって、写真の中の彼は完全に役から降りてしまっているように見える。妙な緊張感から解けて、内内のリハーサルのような、あるいは滑稽な悪ふざけに見える。この落差を彼本人が思いつき、彼の中に同時に存在しているなら(その可能性が高いわけだが)狂人じゃないか。

この「すごく共有できない」感じ。大好物です。

ー written by 大滝 航(crevasse

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エントリー 山形

大槌 秀樹 / Hideki Ozuchi

美術家

『神々の撮影』
古代のギリシャ人にとって、神話の神々は〝作りもの〟としてそこにあるのではなく、現に人々の前に立ち現れ、人々の生き様の現身として共に生きる英雄達の姿であった。
生きた現実がそこにはあった。
そして、人々はそれを共有する為に言葉で語るのではなく、自ら演じることで語られてきたという。
きっかけは、友人の美術家に頼まれ、西洋彫刻像のヌード撮影を行った事に始まる。
人間と同じ姿を持つ神々を通し、現状を見つめ、私達の生きた現実とは何かを考える。
撮影は主に、山形県内に多く存在する消滅集落や廃村、山で行った。
自然へ帰化する集落は様々な光景を見せた。
覆い繁る草木、大群の虫、獣の気配。
熊除けの鈴は終始美しい音色を奏でていた。
その四季折々の撮影記録をカレンダーにしました。
ー 大槌 秀樹


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