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かわのりこ 『Outside LOVE』 (福岡県豊前市)

福岡豊前市という町のことを一度外に置いておいて、『愛』というものについて考えてみる。

例えば『愛は与えるもの』とかそういうのはぼくはピンとこない。時に哀しいほど無償でも時にステークホルダー化する。与えた言葉に酔いしれ、次の瞬間ただの肉塊と化す。たいがい行為(好意)は先で、後には来ない。指先でくすぐると、脳にまで達する、その『神経』の過敏さだけを杓子定規的に愛の正体と錯覚し、結局は自問自答の言い訳が多い。これは、本当は、愛風味だとわかっているはずなのにまぁかっこつけてロマンチックを覆いかぶせてしまう。許す認める受け入れる。許して認めて受け入れて。うーん。

きみとぼくは「ちがう」と境界線を引くことに(その線にだけ)ときどき『愛』を感じる。許すもなにも「おんなじ」じゃないし「ちがう」からっていう感覚に安心する。愛は線。もっと言えば交差する『点』の時にだけ愛を感じる2本の孤独な線。三拍子と四拍子が、同時に奏でられ、三と四の公倍数の時だけキス。あとはそれぞれ好き勝手ハモるなりなんなりご自由にどうぞ、と、ぼくにとっての愛とはそんなイメージ(占いで『しばらく孤独』と出てました)。

そんな寂しい愛のイメージではなく、包み込むような愛の感覚があったのは『こども』が生まれた時かと思う。

点が3つ、つながって線がひかれて面になる。ごはんの時も、ふとんの上でも、手を繋いで歩いても、面。包み込むような愛の感覚。屋根があって、雨を凌げてる感じ。内側にいると思っていた。けれど、手を離すと一瞬で孤独な点(Outside)に逆戻り。みんな家族は大切に。

レビュウに戻ります。

福岡の秘境(←秘境とは彼女曰く)豊前(ぶぜん)で、祖父母と暮らしながら写真や言葉を編む かわのりこさん による手のひらサイズの ZINE は愛の境界線の物語。等身大のことばと体験を紡いで、愛みたいな感じの『点』と『線』の可視化を試みているように思う。

『愛の外側』と表現する彼女。上記で述べたように、ぼくも『愛』は境界線の外にあると感じる。自分ごとにできない何か、大きな小さな、分厚くて濃い、でも薄くて透明な、『隔たり』を感じながら生きてる。ときどき鈍器で殴られたみたいに、一瞬クラクラして判断不可能な状態で(フリして)、やり過ごすこと(関係)もあるけれども、その意識がだんだんはっきりとしてきた頃には、けっこー遅い。つらい。それに気づく頃にはもう別のバイアスがかかってたりするから『愛』なんかには見えない。愛に似た肉塊。もうダメだ(なんの話?)

例えば肌と肌。言葉と言葉。そのあいだのゆらぎ。あらゆる接地面から伝う温度。舌の上の、味覚を感じる神経から、1回のまばたきのカウント。キス。国境線。世代。時間。歴史。血。すべての境界線にうっすら見える朝焼けのような『愛』の、その『外側』の感情を、まるで自転車に乗りながら、料理でもしながら鼻歌を歌うみたいにまとめあげてる ZINE 。こういった ZINE 特有のナルシシズムなモラトリアムポエム調を感じさせないさっぱりした仕上がりなのはあくまで『愛の調査中間報告書』であるからか、本人の性格か。

引き続き調査中との報告あり。

こんなレビューは野暮だと言うくらい
今回ぼくがいちばん好きな ZINE です。

昨日の残りのカレーみたいな愛の話、みんなも好きでしょう。

(例えが悪い)

おしまい。

ー Written by  加藤 淳也PARK GALLERY

エントリー 福岡県豊前市

かわの りこ

豊前市という田舎で祖父母と暮らしています。本が好きです。

『Outside LOVE』
都会での1人ぐらし、田舎での介護生活、海外に行ったことの中で考えたり触れた愛についてのこと。

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