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夢を買うじいじ

赤いポロシャツのおじいさんが、宝くじ売り場に吸い込まれていった。ゆったりと楽しげな足取りと、中肉中背よりはややがっちりとしたその後ろ姿に見覚えがある。

わたしの父だった。

先日、買い物を終えてスーパーマーケットを出たら、父が宝くじ売り場へと歩いていくのを見かけた。このスーパーマーケットは地域では中心的な買い物スポットになっていて、宝くじ売り場がある。なんとかジャンボの季節には宝くじを買おうとする人が列をなしていることもある。

そんな人気宝くじ売り場へと向かう父を見て、わたしは首を傾げた。父に宝くじを買う習慣はないはずだ。

父はわたしが幼い頃から、宝くじに興味がなかった。「そんなん、まず当たらへんねんから、買う気せえへんわ」と言っていた。宝くじが好きな人も多いから、表立っては口にしなかったけれど。そういえば、ギャンブルもいっさいしない。

わたしは父が宝くじ売り場をあとにしたところで声をかけた。父はいつものように飄々ひょうひょうとした様子で「お、買い物してたん」と笑った。

「お父さん、宝くじって買うんやね」

思わず言ってしまったわたしに父は、にひひとまた笑った。

「若い頃は、3000円つこて当たるかわからんもん買うくらいやったら、そのぶん貯めとくか、ちなみちゃんらの教育費に回したいとおもてたからなあ。その頃に比べたら、気楽やからな」

父は一つの会社に40年以上勤めた実直な人だった。ザ・昭和平成のサラリーマンである。そして、わたしと妹を小学校から私立の学校に通わせてくれた。きっとたくさん節約したり、いろんなことを我慢したりして、わたしたちの学費やらお稽古代を出してくれていたのだと思う。

父と並んで歩きはじめたわたしは、じーんときた。改めて感謝の気持ちがこみ上げる。

「そっかあ、ありがとう。で、宝くじ当たったらなんに使うの?」

「なんに使おかな? 母さんと豪華客船に乗ってもええし、双子と王子を留学させてやってもええなあ」

王子とは、わたしの妹の息子(7歳)を指している。天真爛漫で、ときにかわいらしいわがままを言う孫のことを、父は「王子」と呼ぶようになった。双子とは我が家の双子の娘たちのことだ。

「そうなんや、夢が膨らむね。昔は『宝くじなんて……』って言ってたから、びっくりしたわ」

そう返したわたしに、父は照れくさそうに笑った。

「夢を買ってみるのも、ええもんやな」

そうやねー、と返事をして、わたしはなんだか胸がいっぱいになった。父は子育てを終え、現役を退いた今になってやっと夢を買うくじの楽しさを味わっている。

子どものような無邪気さを持ち合わせた人だから、当選番号が発表されたらドキドキしながら自分の手もとにあるくじと照合してみるのだろう。いっしょにスクランブル交差点で信号待ちをしながら、いつまでも父が夢を買って楽しんでくれたらいいなあ、と思った。

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