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光に包まれた存在として。

「失敗した!」
大したことでもなんでもない。
失敗したのは、今朝のサラダの味付けだった。

刻んだ生食用のほうれん草と
空炒りした椎茸と胡麻を合わせて
マヨネーズ以外の何で食べようか?と思った。
塩とすだち酢だけでよかったところに
醤油を少し垂らしたら
醤油味が勝ってしまったからだ。

塩も酢も醤油もとてもいい物を
使ってはいるけれども、
もともとほうれん草と椎茸という
シンプルなサラダでいいと思って
作っていたのに、これじゃあ意味ないな
と反省しきり(苦笑)

もともと「既に在る」を
シンプルに確認するように目を向けると
そこには余計なものは何も要らないと、
料理は特にそれを教えてくれる。

自分にも「既に在る」を
忘れてはいないだろうか?

昨夜の就寝前に不思議な感覚を体感した。

一度眠気を通り越したら
目が冴え切ってしまい、
夜中のブログサーフィンをしていた。

そしたら突然目の前に
小さな三日月型した虹色の光が輝いて
現れた。

タブレットの見過ぎかと思った。
早く寝なきゃなと思って
灯を落として目を瞑った。

その虹色のキラキラと輝く
小さな三日月は、
目を瞑ったわたしの暗闇の世界で
金色の光になって

徐々に、全体に、視界に広がって
満たしていった。

眩しくて眠れやしない(苦笑)

柔らかな光に落ち着いて来た頃、
わたしは誰かに問うてみた。

「このようなことを
見せてくれてるのには意味があるのか?」

返事はない。(感じられない)

あってもなくてもさほど問題はないが、

すぐに寝落ちした?夢か?

と思っていたら
インスタの着信音がスマフォからして、
ふわふわとした視界のまま
待ち受けの時計を確認した。

2:00ちょうどだった。
再度目を瞑った時、心地よいと思って

「このまま朝、目覚めなく
なるかもしれない?」

と思い、
それでもいいかなくらい
気持ちがよかったからだ。

不安はなかった。

「まだ死ねないと思っていますので
それだけは勘弁してください」(笑)

「ありがとうございます」

そう言って眠りに落ちた。

朝がちゃんと来たことを
夫が洗面所に立つ気配で知り
無事目覚めた(笑)

特に夢などにも
あれ以降誰からのメッセージもなかった。

わたしの日常が此処に有った。

何かのサインかとも思うが、
今日も生きてるんだなぁって

あらためての“感謝!”とかの気持ちも
敢えて無く

ただただ自分の存在に気付かされた。

「既に在る」を忘れていないだろうか?

他人によく見られようと
様々なものを纏わせていないだろうか?

まだまだ足りないと
我欲を露わに出していないだろうか?

他人と比べて勝手に
過少評価していないだろうか?

そして、誰かの評価に期待し
その人の反応にいちいち落ち込んでは
いないだろうか?

そういう自分が明らかにいたと思う。
というか、ちょくちょくわたしは
陥りがちである。

『既に在る』から『共有』

そして『循環』へ

さて、
わたしはどんなものを出現させ
それを遂行していこうか?

自分から出た表現で共有するのは
作品やパフォーマンスか?

既に在る才能やセンス
磨き経験し築いて来た経験を基に

自分の書きたいと溢れてくるものを
書いていこう。

誰の目も気にせず
ただ生まれ出ずるものを共有して
それが有形無形を問わず

わたしの世界から
広がって循環していくことを
イメージしよう。

新たな時代を目前に。

こきゅう

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