ただの愚痴


人は鏡だ、とよく言いますね。

人は鏡だから、嫌いな人とはなるべく早く離れよう、いつも近くにいる人の程度が低いと思うなら自分もその程度だ、というやつ。

【嫌いな人とはなるべく早く離れよう】
これは間違ってるとは思わないです。嫌いな人とは縁を切れるなら切るに超したことはないです。そっちの方が生きていくのが楽だからです。
でも、人は鏡だ、という文脈で出てくると、アレ?と思います。嫌いな人の真似はしないからです。「だって真似しようと思わないじゃん?」とかではなく、嫌いな人の喋り方や仕草は伝染らないからです。(そう聞いたことがある、というだけですが。)
ただ、嫌いな人を目の前にした時に、自分の心を守るためにその人を馬鹿にすることがあると思います。それが続けば、人を馬鹿にする癖がついてしまうんじゃないか、とは思います。だから嫌いな人と縁を切った方がいいのは間違いないです。
でも、断じて、鏡だからではないと思うんです。
嫌いだけどどうしても縁が切れない人が周りにいる、ということはよくあります。縁を切る事ができないからといって、その人のようになるなんて事は絶対に有り得ない(と信じたい)です。

【いつも近くにいる人の程度が低いと思うならなら自分もその程度だ】
こういう事を言う人は個人的に大嫌いです。
もちろん、類は友を呼ぶ、という事はあります。でも、呼ぶっていう程度で周りが自分と同レベルばかりになるわけはないです。
自分より明らかに優れている人と付き合いを続けていくのは確かに難しい場合が多いでしょう。
距離を置かれてしまう可能性の方が高いです。
だからと言って、いつも近くにいる人の程度が低いと思うならなら自分もその程度だ、って事になりますか?ならないです。全く繋がらないです。
世界中から無作為に選出された大勢と生活の一部を共にして、その中で友達を作ったのなら分からないでもないかもしれないけどやっぱり分からないです。
どういう人と付き合っていくか、っていうのは運に拠るところが意外と大きくないですか?
自分を磨けば必ずしも良い人と出会えるわけではないです。チャンスを逃しづらくなるとは思いますが。
学校に入学して、偶然隣の席が気さくだけどちょっとイヤな奴で、でも友達が多くて、いつもクラスを盛り上げてたら、どうしようもないです。そいつと仲良くなるしかないな、と少なくとも入学当初は(私なら)判断します。
ここで、こんな奴と仲良くするくらいなら孤立した方がマシだ、と割り切れる人は確かに素晴らしいけど、全員が全員出来るようになるべき事ではないと思います。人によってその判断の難易度は想像を絶する程に違うだろうからです。
上記の例で、自分の友達(?)がちょっとイヤな奴ばっかりになったら、それは自分がそういう奴だからってことになるんでしょうか。私は「その環境に自分に合う人がいなかった」と思います。当事者だったとしてそう思えるかはわかりませんが、現時点でそれが歪みの少ない認知だと思います。
私は中学3年生から大学中退までの間に、明らかに自分の努力でなんとかなるレベルではない程の素敵な出会いがたくさんあったのでこの思考に至れたけど、もし神に愛されていなければ今頃自分がどれだけひねくれた人間になっていたかわかりません。

「人は鏡だ」ということを否定したいわけではないです。全面的に肯定はできないけど、そこまで間違ったことを言っているとは思わないです。
ただ、「人は鏡だ」と言った時によく注意されているのが嫌いな人(良くない印象を持つ人)であるのが気になるだけです。気をつけるべきは好きな人じゃないんでしょうか?


先日、姉と久しぶりに会いました。
姉には2年弱前から付き合っている彼氏がいて、同棲しています。
姉にとっては(たぶん)4人目の彼氏ですが、初めてちゃんとした人と付き合えたと喜んでおりました。私も、姉がようやく幸せになれるのかと安心していました。
しかし、姉は以前とは変わっていました。
私の彼氏の趣味について話すと「え〜、そんなに好きなの?笑」と鼻で笑い、私が入りたいと言った小さな個人商店内で商品を指し声も落とさずに「こんなの絶対いらない」と楽しげに話し、とにかくいろいろな所で小さな違和感がありました。
その違和感が確信に変わったのは姉の彼氏と会ってからです。
姉の彼氏と、彼氏の友達数人と、私と姉で飲みに行きました。姉はその彼氏の友達数人と面識があるようでした。
最初は賑やかで楽しい人達だと思っていました。
でもみんな酔ってきたころ、姉の彼氏が私をとても強く侮辱し馬鹿にした言葉で笑いをとりました。その場に居た全員が笑っていました。もちろん姉も一緒にです。
その時に、「あぁ、お姉ちゃんは変わってしまったんだ」と思いました。
その後も、飲み屋には私の知らない人しかいないのに姉はお喋りに夢中で私はとても退屈でした。なのに、知らない人が気まぐれで「なんか疲れてるの?笑」だとかなんとか声をかけてきます。
そういった気まずさがあっても、姉は「そっちで話してればいいじゃん」と姉の彼氏の友達を指して言いました。
あんなに仲の良かった姉と、ここまで溝を感じることは今までありませんでした。

人は鏡というなら好きな人にこそ気をつけるべき、と言いたいのはこういう事でして、
もちろん姉が変わった要因は彼氏が全てではないと思うんですが、大きいのは確かなんじゃないかと思うわけです。
自分の好きな人のどこが好きで、どこが好きじゃないか、自分がどうなりたいか、どうなりたくないか、何が見習うべき点で、何を反面教師にするべきか、頻繁に考え、見直すのが大事だと思った出来事でした。
それに、大好き!と盲目的に溺れるよりも、自分にとって相手がどんな人間で、どんな要素があって、それに対してどんな印象を持ってるか、なるべく言語化ができていた方が「深い愛」であると私は感じます。
人付き合いは慎重に楽しくしたいものです。

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