【コギトの本棚・エッセイ】 「祖国はありや」

数年前から事務所にも禁煙の波が押し寄せ、入口を出たところに設置された灰皿の前でタバコをふかしていると、打ち合わせに訪れたとある監督さんに声をかけられた。

先週の原稿を読んだとのこと。聞けば同じ郷里である。

文化不毛などと悪しざまに書いたのでおしかりを受けるかと思いきや、少なからず共感を得たとのこと。思わず恐縮するとともに、見ず知らずの脚本家の文章にも目を通す勤勉さに感心した。

僕と彼の郷里とは県内でも西と東に別れ、距離がある。だが、彼は、こう手を虚空にまあるく描き、西も東もひっくるめて、あの一言では表しがたい文化不毛さを一緒くたに表現した。

時間にして、二人の会話は三十秒ほどだったかもしれないが、それでも共感し、郷里のその雰囲気を指し「なぜなんでしょうね」と二人して首を傾げた。それまで満足に会話も交わしたことがなかった方と深く同じ疑問を抱けたのは喜びだった。

僕の方は怪しいものだが、しかし少なくとも文化にひっかかっていなければ成り立たぬ商売だし、彼はと言えば、僕なんか問題にならぬほど近い未来に必ず大成する監督だとお見受けする。他にも周囲を見渡すと気付けば活躍する同郷人が多いような気がする。

そういうことを考えると、あながち『不毛』でもないかもしれない。つまり不毛から大望が生まれているわけだ。土地と作物の関係を疑いたくなる。そういえばトマトも水を与えぬ方が甘くなるそうだ。

本来なら今頃、田舎に住まい、ゆくゆく廃業するしかなかった家業の工場を父から押し付けられ、首を括ってこの世にいなくなっていたかもしれない僕なのだが、文化不毛の地に育って、なにゆえ、かりそめにも売文などに手を染めているのか。

先週、祖父が本読みだったと書いた気がするが、それは父方の祖父のことで、同じく、母方の祖父も本読みだった。

親類一同、見渡してみても、他に本読みが見当たらぬので、おそらく両祖父の方が、どちらかといえば一族の亜種だったのかもしれない。

母方の祖父の方は極端に目が悪かった。彼はそれを読書のせいだと、生前教えてくれた。

生来身体の弱かった彼は戦中徴兵検査丙種により内地勤務となりとある旋盤労働に従事したらしいが、作業中も本が読みたくてたまらず、辺りを暗くして目立たぬよう、片手で機械を操作しつつ、傍らに本を置き読み続けたという。それが視力低下の原因となったらしい。

してみると目の悪くない僕などは本読みではないということだろう。

いずれにしろ少年期よりこの二人に興味を抱いた僕は彼らの経験した戦争とはいかなるものだったか、なにかにつけて少年なりに調査した。そして知れば知るほど彼らを尊敬するようになった。

自分の同時代はいうに及ばず、戦後派と言われる親の世代にもなかなか模範を見つけられなかった僕は、今にして思えば、ずいぶん昔の人ばかりに興味を抱いていた気がする。

中学に上がり、頭脳の方も少しだけマシになってきたころ、熱を上げたのは、ちょうど昭和と共に死んだ手塚治虫だった。

文学ではなく漫画であるところがまたなんというか、的外れであるが、彼のマンガは充分に好奇心を満たしてくれた。

他によく読んだと言えば、今では首を傾げざるをえない司馬遼太郎などもある。

当時の僕にしてみれば歴史ものの入門程度に手をつけたわけだが、年が下って、同世代のいまだ司馬史観に塗れている朋輩に接するといたたまれなくなる。

松本清張も多く手をつけた。後年、探偵小説に熱を上げたが、その先鞭だった気がする。

友人と競って読んだのは、北杜夫などのユーモア小説だったりもした。

ここらあたりまではいわば同級生と共に進める穏当な読書サークルだった。

なんとなくこの読書サークルが今につながる原点なのだと勝手に合点していたのだが、最近は実は違うのかもしれない、いやむしろここで止めておけば、なにもわざわざ上京してわけのわからぬ道を進まずに済んだのではないかとさえ考えないでもない。

中学も二年、三年となるにつれ、相変わらず信頼のおける友人らとの読書サークルは続いていたが、なぜかそことは切り離された部分で本を読まねばならぬと僕は考えたふしがある。

たとえば、それは寺山修司であり、安部公房であった。

もっと繙けば、布石はあった。鉄火の中の家を逃れるように逃げ込んだ美術館で折しも大々的な戦中の日本シュールレアリスム展に出会った。これにひどい影響を受け、思えば今でも尾を引き摺っている。

この影響を友人の間に持ち込んではならないと、なぜか当時の僕は考えたらしい。なぜそう考えたのかわからない。とにかくそれらしい本を探し僕は隠れて読み始めた。寺山修司なり安部公房也だった。

そしてそれが終生の刻印となりつつある、ということが最近になって、ようやく意識されるようになった。つまり、最近まで僕はなぜ僕が今ここでこんなことをやっているか、自分の中にあるはずの理由を考えもせず、ただ漫然と言われるがまま書いていたわけだ。

寺山修司も安部公房も、当時は注目もしなかったがシナリオを書いている。

もちろん、彼らの戯曲、それを元にした舞台に注目せねばならなかっただろう。だが、何度も書いている通り、文化不毛の地に、生の舞台はやってこない。

代わりに僕が触れられたのはVHSだった。映画だ。

読書サークルのように、映画に関しても表向きは当時華やかだったハリウッド映画を好むとみせかけ、夜な夜なATG映画を密かに、まさしく人の目を盗み、注視していた。

『田園に死す』、『サード』、『砂の女』、『他人の顔』、『初恋・地獄変』……。

いずれもシナリオという観点からは、特に取り上げられることもなく、黙殺とまでは言いすぎだが、見過ごされている。顧みるべき点は多いと思うのだが。

とまれ、結局僕はこんな顛末で売文に手を染めたのだ。

だが、不思議なことに、僕は仕事を始めてから、あれだけ入れあげたこれらの作品に根を見出さずにいた。

なぜ僕は忘れていたのだろう。


いながききよたか【Archive】2017.10.05

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