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携帯電話が使えない日常

携帯電話はもう人の体の一部に
限りなく近づいているのではないだろうか。

そのくらい切っても切り離せないものになっている。


世界一周した船「ピースボート」で、
僕は世界約20ヵ国ほどいろんな国を見てきた。

しかし、この船のおもしろいところは
各地の寄港地よりも「船内」と答える人も多い。

降りてからこの話をすると、
まわりからは不思議に思われる。

ピースボートの船旅は3ヶ月半ものあいだに、いろんな国に降り立つが、そのほとんどの滞在時間は1〜2日。

実はその旅のほとんどを船内で過ごすことになる。


せっかちなひとは「え!時間の無駄じゃん!」とか「さっさと飛行機で移動すればいいのに」と思うだろう。

実際その方が安く済むことも多く、
各地での滞在時間も増やせるので決して否定はしない。

でも「船旅」という非日常体験は
飛行機に負けず劣らず案外、楽しいものだった。


普段と圧倒的に違うこと、
それは船の上では「携帯電話は使えない」ということ。

当たり前だが、広い広い海の上に電波は通っていない。

緊急の場合のみwi-fiカードを2000円で買うことができたが、有料ともなれば使うひとは限られていた。


普段僕らがどれだけ携帯電話に
時間を割いているかお分かりだろうか。

僕は、noteをiPhoneで書いていることもあり、少なくても6時間多いと8時間は1日に使用していることもある。

自分でもゾッとしてしまう。

船内にいるあいだは、日本のニュースは愚か、YouTubeやテレビ番組、そのほとんどの情報が遮断された。

見渡す限りは海、海、海。
360°に地平線が広がり、
今自分がどこにいるのかもわからない。

そんな幻想的な状況だった。


あなたは携帯電話を使用しない
自分の1日を想像できるだろうか。

ちなみに僕はもう無理です。笑

でも自然とあのときは何も問題なく過ごせていた。
それだけ船の上を楽しめていた証拠だと思う。

船の上のあいだは、誰ひとりとして仕事のことなど考えるひとはおらず、ともだちとの予定を組むこともなく、ただただ1日を消化し続けることのみに徹する。

そんな夢のような生活だった。

朝起きる。何もすることがない。

ボサボサの頭でとりあえず朝ごはんを食べに出かける。

すると、誰かしらがボサボサの頭でご飯を食べている。

一緒に食べる。その後も一緒に動く。

こういう流れが多かった。


携帯電話が使えないので、仲良しの友だちとご飯の待ち合わせの連絡を取ることもできず、そのひとの部屋までいって部屋をノックするというなんとも古典的な方法をとるしかなかった。

しかし、これによって乗客みんなと分け隔てなく話すことができ、より多くの人と話し、仲良くなることができたのもある意味では携帯電話がなかったおかげだと言える。

しかも24時間一緒が3ヶ月半も続く。
各地で一緒に行動すれば思い出も共有できる。

これによってまるで高校の同級生だったみたいに、とんでもない数の人と尋常ではないスピードでお互い仲良くなることができた。

手持ち無沙汰になったとき、とりあえずプラプラと歩いてみる。あのときの誰に合うかわからないちょっとしたドキドキとワクワクが入り混じった緊張感は、今でも忘れることはない。


じゃあ今、携帯電話を使うのをやめたら当時のように友だちが増えるかと言われればそういう事ではない。

あのとき、あの状況だったからそういう結果につながっただけで、今同じことをやったとしても、ただ遊び道具を取り上げられた子どものように口をあいてボケーっとすることしかできないだろう。

ただそれだけ重要だったものを手放すと、今まで見えなかった景色に興味を持ち、今まで気づかなかったものに興味を持てるかもしれない。

いや、確実に想像もしなかった
自分を見つけることになると断言してもいい。

ただ当時は使えなかったからできただけで、
使えるのに使わなかったわけではない。

ここにはまた一歩、大きな差がある。


我こそはと自信のある方は、1日だけでもそういう日を設けてみるのもアリなのではないでしょうか?

僕がこれを可能にするにはnoteのストックが必要なので
当分は無理そうです。笑




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