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911 から 18年。

18年前の今日の朝のことは忘れられない。
夜中につけっぱなしにしていたテレビが騒いでいる声で目が覚めた。

アメリカで同時多発テロが起きた日。
私は夫と一緒に西海岸のある街のホテルにいた。

前日の晩、CNN(ニュースチャンネル)を見たまま寝落ちしていた。騒いでいる声は明らかに異常な、ニュース性の高い出来事があったことを語っている。

6時半にもなっていなかったと思う。
「こんな朝から、一体なにがおきたんだ?」、とぼんやりテレビを見たらビルが燃えている。

国土の広いアメリカには時差がある。西海岸の6時半はテロのあったニューヨークやワシントンのある東海岸でいえば9時半だ。おそらくテロが起きた直後のニュースだったのだろう。

寝ぼけた頭で英語のニュースなのだから、理解度が半端なく低い。当初「飛行機がワールドトレードセンターにつっこんだ」といっても、ヘリコプターとか小型機の事故だとばかり思っていた。そのあとハイジャックされた旅客機がつっこんだこと、首謀者はアフガニスタンのテロリストらしいと知ってだんだん呆然としていった。

当時私はアメリカに住んでいて、国内を飛行機で移動することが多かった。ハイジャックされた路線も半月前に似たような時間に乗った路線だった。自分も巻き込まれていたかもしれなかった ー 背筋がゾッとした。

何ができるわけでもない。そのまま適当に着替え、テレビをずっと見続けた。

ワールドトレードセンターが崩壊していく映像に対して
「これはCGや合成ではありません」とニュースキャスターが補足する。
CGや合成であってくれれば、と誰もがきっと願ったであろう。

午後になって「淳子と行ったワールドトレードセンターがなくなるなんて」という学生時代の友人からのメールを読んだ時、ふっと涙が出てきた。その時はじめてずっと緊張していたことに気づいた。



その日は1日中ホテルの部屋でテレビを見たり、ネットで情報収集していた。よくわからない英語の声、煙だらけのニューヨークの様子...頭がヘンになりそうになったので夕方になってから夫と2人、ホテルの周りへ散歩にでかけた。

オレンジ色の鮮やかな夕焼け、原っぱの虫の声。
高速道路には何事もなかったように自動車が走っている。
テレビの中の画面と違ってあまりにも平和で、それがせつなかった。

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テロから3日ほど経った日、ようやくオープンした空港で厳しいセキュリティチェックを受け、自宅に戻った。

911後のアメリカは、一転したように見えた。大リーグの7th innings stretchに「God bless America(神よ、アメリカに祝福を)」が歌われるようになったのは911の直後からだ。あのときアメリカ国中が深い悲しみと恐怖の中にいた。ニューヨークは特にそうだったと思う。国のランドマーク的存在を破壊され、多くの人々の命が失われたのだ。また自分の身近なところでテロが起きるかもしれないという不安感も高かった。ある意味、みんなが悲しく、そしてピリピリと張り詰めていた。

そんな傷ついた心を表現し、自分自身を守るために、相手を攻撃するという手段しかとれないこともある。いわゆる「報復」だ。

その後アメリカは「団結(United)」し、テロに立ち向かうという姿勢をとっていった。
「平和を生み出さない」と当時の大統領の姿勢を批判する声も数多くきかれた。けれども、それしかなかったのだと思う。おそらくは。

 そして、アメリカをテロの、つまり攻撃のターゲットとしたテロリストたちにも思いは及ぶ。

自分が幸せだったら、わざわざ他人を貶める必要はない。テロという強烈な破壊行為に到るまでの「不幸感」のエネルギーはとてつもなく大きい。
あの地域で生活していた人々は、何を日々感じていたのだろう。誰かを破壊すること以外では表現しようもない巨大な絶望感や無力感だったのだと思う。それも昨日今日、という話ではない。何年間、いや、何十年間、世代にわたり沈黙していたような感情。

テロリストのリーダーは個人個人の持っているそんな感情をすくい上げ、行動に移すサポートをしていったのかもしれない。もちろんそのリーダーのなかにも、破壊に結びつく大きな不幸感があったのだと思う。

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自分たちの悲しみを癒し恐れから身を守るために相手を攻撃することを、人は時に「正義」と呼ぶ。あのとき、テロリストもアメリカも「正義」だった。

もちろん悲しみを癒すこと、身を守ることは悪くない。
「正義」の名の下に行動を起こすことを、否定しているのではない。
もちろん、テロ行為を肯定しているわけでもない。

ただ、自分の「正義」を相手にふりかざしたいときは、
それだけ自分が傷ついていることがある、ということは覚えていてもいいと思う。相手の「正義」が見えなくなっているときは特に。

「自分を正当化したくなったら、
それは自分の中に見過ごしている傷ついた心があるときだ」

私は911からそれを学んだ。だいぶ時間は経ったけれど。

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911から18年。まだ世界中にはテロがあり、テロに対する報復もある。
武力ではない方法での攻撃と報復もたくさん行われている。

けれど思うのだ。
攻撃に至る前の自分(たち)の心のありように、
私たちはどれだけ気づいているのだろうかと。

自分は本当は、何に傷ついているんだろう。
何が辛いのだろう。
何が悲しいのだろう。何を表現できずにいるのだろう。
相手に何を望んでいるのだろう。何ができるようになりたいのだろう。

ひとりひとりが、自分の心のありように気づくことができれば
相手を責めることはなくなるだろう。
もっと建設的な話し合いもできる。

それはひとりひとりの、小さな平和を作る力だ。
それが集まっていくことが大きな平和を作る力になる。

じぶんのこころを知る。
それは平和への小さな、そして確実な第一歩なのだと思う。
誰かを攻撃しなくても、こころ丈夫に生きられる人が増えますように。

そのために、自分のこころにつながることの大切さと
その方法を伝えていくことを私は続けていこうと思う。


今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。

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