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自分との「終戦記念日」を。

今日は74回目の終戦記念日。

第二次世界大戦での日本の戦没者数は310万人だそうです(wikipediaより)。あの2011年の東日本大震災の死者・行方不明者数が約1万人といわれます。改めて、戦争が桁違いの痛みと悲しみを伴うことを思わせます。

では、世界で一番小さな戦争はどこにあるでしょう?



●「あなたが望めば、戦いは終わる。」

その昔、クリスマスの時期にイギリスにいたことがあります。
イギリスといえば、20世紀のスーパースター、ビートルズを生み出した国。
ジョン・レノンとヨーコ・オノの「Happy Christmas (War is over)」がどこからともなく流れてくると、つい耳を傾けていました。↓この曲です。


このなかに War is over, if you want it. というフレーズがあります。
「あなたが望めば、戦争は終わる」ですね。1971年に発売された楽曲なので、曲中の「War(戦争)」は、おそらくベトナム戦争を示しているのかと思います。

ベトナム戦争後も、「戦い」「争い」はいたるところにあります。国家同士の戦争でなくても「争いごと」は多いですね。ニュースでお目にかかるのはテロやら、部族間戦争、政治家の派閥争いなど。

それから私たちの生活のなかでも、家族、パートナー、ご近所、職場でのもめごと、身近な人と喧嘩や言い争いなんていうのもあります。

では、一番ちいさな「戦争」はどこで行われていると思いますか?

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そう、実は、自分の心のなかです。

●自分を否定すること、それは自分と争うこと。

誰かと争う時、私たちは相手の存在を否定しています。
許せない、負けたくない、勝ちたいetc。相手が「×」で、自分が「○」です。

実際に相手と面と向かって戦わなくても、心の中で相手を責めたり、悪者にするぐらいのことは知らないうちにやっていたりします。心の中で「争い」をおこしているのと一緒です。

そして、他ならぬ自分自身に対しても私たちは「争い」をおこしています。

わかりやすいところでは「無理」がそうです。
たとえば「無理して働く」というのは、「休みたい自分」と「戦って」「働こうとする自分」が勝ったから「無理して働いている」。
「休みたい自分」=「×」で、「働こうとする自分」=「○」になっています。

「○」印がつけられるような自分になりたいのは当たり前。物事を前向きにとらえることは、すばらしいことです。
でも、「このままの私じゃだめだから」とか「これまでの私はだめだから」
という気持ちを持ったまま、がんばり続けると、必ず疲れます。

というのは、これまでの自分や今あるがままの自分を否定しているだけで、受け入れることをしていないからです。

「存在を否定する」というのは「争っている相手」に対するのと同じ気持ちですね。つまり「ダメな自分を変えようとがんばり続ける」のは、「あるがままの自分」と争い続けているということです。疲れて当たり前です。

これが一番小さな戦いです。

実は誰もが、いつもやっていることです。知らず知らずのうちに。これまでずっと。

まずは自分との戦いをやめてみませんか。

●自分との戦いだったら、今すぐ誰でもやめられる。

争いをやめるということは、相手のあるがままの存在をみとめるということ。

あるがままの存在をみとめるということは、あるがままの存在を赦し、愛するということですね。

自分との戦いをやめるということはあるがままの自分を認め、存在をゆるし、愛するということです。

「そのままでいいんだ」ということ。

私たちはよく、「ありのままの私を愛してくれる」誰かを求めてしまいがちです。そうした誰かを探してしまいます。そうした誰かがみつからくてまた苦しんだりします。

が、まず自分が自分に「あるがまま」を許してあげることは、今すぐできます。それで、戦争はおわるのです。あなたの心の中の「内戦」が。

「Happy Christmas (War is over)」ではこんな歌詞があります。

Let's stop all the fight
A very merry Christmas, And a happy New Year
Let's hope it's a good one, Without any fear
War is over if you want it

(すべての争いをやめよう。
メリークリスマス。そして良い新年を。
いいクリスマス、新年になることを願おう。恐れを捨てて。
あなたが望めば、争いはおわる)

そう、「あなたが望めば、争いは終わる」。
あなたの手には、ちゃんと選択肢が与えられているのです。
すべてにおいて。それは神様からのプレゼントでしょう。

世界中の誰もが、ありのままの自分を十分に赦し愛することができますように。

●幸せなら、誰かと争いたくない

以上は昔書いたブログがベースになっています。

書いた時から10年以上という歳月が流れていますが、自分のこころの中の争いを終えること、自分を許していく「自己肯定/自己受容」の大切さに対する思いは今も同じです。というよりも、しつこく声高に言いたくなってるかも(笑)。

そしてこの10年間で変わったなあと思うのは、「自己肯定/自己受容」の大切さがずいぶんと社会的に受け入れられるようになったということです。あ、特にnoteがそうなのかなあ...という気もしなくもないですが。

「自己肯定/自己受容」できてれば、基本的にしあわせです。自分が幸せだったら他人を傷つる気にはならない。争いをしかけることもないでしょう。
真の意味で自分を肯定していれば、被害者意識に陥ることなく自分を大切するために相手と交渉することができますね。やはり「争い」という目線はなくなることでしょう。

そういう意味でやはり「自分自身との内戦」を終えることは、平和なつながりを生んでいくと思うのです。

というわけで今日の一言。

ダメなわたしと、こころのなかで握手してみるのはどうだろう?
握手が無理だったら、ひっぱたくその手を止めるだけでいい。
すべては、そこからはじまるよ。


今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。

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