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気持ち "だけ" を受けとるのも悪くない。

テレビつけていたらら、こんな「お題」がでていた。

祖父母が孫を喜ばせようと、ランドセルを送ってくれたのですが、気に入らずに使おうとしません。あなたが親ならどうしますか

「正解の無いクイズ」という番組だった。
いろんな人に「こたえ」を尋ねて、「どれがいいか」を選ぶ番組らしい。

クイズ番組だから、

  • デコって孫が欲しがるように誘導する

  • ランドセルアレルギーだと、祖父母に伝える

  • 素直に頂きつつ、つかわない

  • (使わないと聞いてがっかりした)祖父母の泣き叫ぶ音声を孫の耳元で流す..

などなど、まあ、工夫をこらした面白い答えがでてきた。

「本人が使いたくない」って言ってるんです…と、そのまま祖父母に言えばいいんじゃないの? と単純に思う。
本人が使いたくないっていうんだから、致し方ない。
祖父母に対しては、残念ながら好みじゃないので使わないけれど、気持ちは嬉しかったーと正直に感謝とお詫びを言えばいい。
使わないランドセルをどうするか(返品する?取り替える?etc…)は、それから祖父母と、自分と、子供と3人で考えることができる。

「迷い」とは「架空の悪い物語」へのリアクション

悩む人の気持ちもわかる。
使わないと、祖父母ががっかりするのでは、自分の子育てを批判されるのでは。
無理に子供に使わせても、親子関係が関係が悪化するのでは..
などなど妄想は走るだろう。

こんな時、私たちはその「妄想」のストーリーの中に生きてしまっている。
まだ何もおきていないのに、その妄想のなかの「祖父母」や「孫」に対して「あーでもない、こーでもない」と考える。頭の中の「架空の悪い物語」に反応しているのだ。

そんな時は、いったん「いまおきていること」に戻ろう

「祖父母がランドセルをくれた」「孫が使いたがらない」
たったそれだけだ。

その後で、それぞれの望み を確認する。もちろん、自分も含めて、だ。

こういうには「ランドセルをどうするか」という「具体的」なことに目を奪われがちになってしまう。なので「どうするか」は一旦脇に置いて、祖父母、親(自分)、子供の3者が「どうするか」を通じてて望んでいることにまず目を向けてみる。

● 祖父母:ランドセルをあげる → 孫に喜んでもらいたい
● こども:ランドセルを使わない → ご機嫌になりたい
● 私(親):(方法はわからないけど)→ 祖父母にも子供にもご機嫌に仲良しでいてもらいたい。

要は、みんなで Happy でいたい。ふふふ、当たり前すぎだよねえ。

全員が Happy でいることを自分が望んでいることがわかったとき、1つ大切なことは「祖父母と子供の両方を幸せにしようとしている」というとてつもない難題に挑んでいるということ。で、考えている時は、これが無理だってことにあんまり気がついていない。
(無理だからこそ、クイズとしての面白みがあるんだけど、それはまた別の話)

🎁

家族のように身近な人の幸せを望むのは自然なことだけど、それを自分の力で望み通りの結果を出せるわけではない。そもそも「祖父母がランドセルを送ったのに子供が喜ばない」というところだけで、悲しいかな、それが無理だということが証明されちゃってる。
まあ、でもなかなか、あきらめきれないのもわかる。
周りの人が幸せでゴキゲンでいれば、自分も幸せでゴキゲンになりやすいもの。

というわけで「自分の力で何とかしよう」とする執着だけ手放そう。

ちなみにデコる、黙ってもらっておく、祖父母の泣き叫ぶ声をきかせる、ランドセルアレルギー、といった番組での回答は、いずれも自分の行動だけで相手を何とか相手を動かそうというこだわりからの生み出された苦肉の策だ(だから笑える)。

「おきていること」と「気持ち」を共有しよう。

「自分の幸せ」は望んだままで大丈夫。自分の力で何とかするんじゃなくて、当事者全員で自分の幸せをそれぞれにさがす。つまりは「話し合う」こと。

ま、そんふうに考えると冒頭の

● 本人が使いたがらない…という、「おきていること」を言う
●ランドセルを本人が使いたがらないことについては残念だと思っている。
●ランドセルをくれたことに対しては、感謝している

になる。

「何が起きていて(=状況)、自分はどう思っているのか(=自分の気持ち)」を相手と共有する。自分の気持ちを相手と共有するのには、ちょっと勇気がいるかもしれないけれど、どうぞ伝えて欲しい。それは、相手は「状況」に対してあなたと違う「気持ち」を持っていて当然のことだから。

その上で、「どうしたいのか」「どうしてほしいのか」を伝え合い「どうするのか」を決める。

🎁 

親であるあなたはどうしたいのか率直に伝えればいい。「どうしたらいいのかわからない」のであれば、それでもいい。祖父母側から提案があるかもしれない。

祖父母は案外と「そりゃ仕方ないわね」とすんなり受け入れてくれるかもしれない。喜んでもらいたくてあげたランドセルなのだから、孫が喜ばなかったことについてはおそらく残念に思うだろう。でも、気に入らないランドセルをしぶしぶ使って可愛い孫が嫌な思いをするのはもっと望まない。
孫には楽しく、幸せな日々を送って欲しいと祖父母は願っている。そして、それは孫の親に対してもおんなじだ。
祖父母が「仕方ないわね」と受け入れてくれたら、そこにも感謝を伝えればいい。感謝の表現が言葉にならなかったら、別の形でも構わないと思う。

それから、子供にもきちんと説明するだろう。
祖父母は「ランドセル」を通じて「愛情」をプレゼントしてくれたのだと。

気に入ったランドセルではなかったかもしれないけれど「たくさんの愛をもらったんだよ」ということを心の中に残しておいてあげればいい。自分は愛されているーという思いは、生きていく上での大きな力になる。

「お気持ち、ありがたいです」は魔法の言葉

「お気遣いありがとうございます」「お気持ち、ありがたいです」という言い回しがある。定型文として何の気なく使いがちだが、「イマイチ」なものを贈られた時に本当に役にたつ。

「いただいたモノについてはNoだけど、あなたの気持ちにはYes 」と自分の気持ちを嘘偽りなく伝えることができる魔法の言葉だと思う。

相手が送ってくれたものが自分の好み出ない時は、相手が送ってくれる心遣い、思いやり、愛を受け取れば十分。それに対して感謝のことばを伝えればいい。

あ、ちなみに自分のタイプではない方からの恋愛の告白を兼ねたプレゼントに関しては話は別なので、これはまたそのうち書きます(笑)。

ベースにある相手への愛や信頼、感謝を表現することを覚えておきながら、自分の気持ちを率直に伝える。
祖父母からの気に入らないランドセルは、互いにとってそんな伝える力を育むいいチャンスになるだろうなあ〜と思いながら番組を見ていた。

■今日の一言

気に入らないものを断る時
率直に「お気持ちありがとう」と伝えるのも悪くないよ。

今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。

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おぬき じゅんこ/心理セラピスト

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