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歳を重ねてみえてきた「木綿のハンカチーフ」の" 僕 "の気持ち

「木綿のハンカチーフ」。言わずと知れた70年代の名曲。
作詞:松本隆、作曲:筒美京平。
遠距離恋愛を男性と女性の会話という形でつないだ歌だ。

この歌の「僕」をめぐり、最近ちょっとした発見があった。

■なんてひどい男だ!

筒美京平のポップなメロディに太田裕美の透明感ある声。
爽やかに響くが歌詞はあまりにもせつない。
いきものがかり、草野マサムネ、宮本浩次などこれまでも多くのミュージシャンにカバーされてきた。最近では橋本愛がカバーしている。

流行った当時、まだコドモだったけれど、ボーイフレンドが都会へ行ってしまって地元に残った女の子が最後別れの言葉に 「ハンカチーフください 」と告げる歌だということは十分わかった。

「僕は旅立つ」と故郷を後にし、「見間違うようなスーツ着た僕の写真」で都会暮らしのリア充アピールをし、最後は「毎日愉快に過ごす街角、僕は帰れない」と別れ話をきりだすオトコ。

子供心に

えー、(彼女が)かわいそうすぎる...!!
なんてひどい男!ジコチューなの!!!(プンプン)


と思った…。

「都会の絵の具に染まらないで帰って」と送り出して、
そのとおり何も望まずただ待っていたのに、結末は ”別れ"。
彼女が欲しかったのは「木綿のハンカチーフ」なんかじゃなくて、
彼に「都会の絵の具に染まらないで帰って」きてもらったあと
二人で一緒に過ごす時間だったのに。

というわけで、コドモのわたしにとってこの歌は
「 都会にかぶれたオトコが、オンナを捨てた歌」
とインプットされたのだった。

曲自体は悲しみを表現しているが、
恨みつらみのようなジメっとした重さはない。
それは物語の中の女の子、「私」の最後の意地を表現してるように思えた。
(ま、当時はこんなふうに言葉にできてなかったけど。)


■じれったい!

それから10年あまりがすぎて、わたし自身が恋愛をするような年齢になった。
歌の登場人物たちと、ちょうど同世代になった頃だろう、
この歌はなんとなく 古臭いな  と思えた。

「草に寝転ぶあなたが好きだったの」とか言ってないで、
彼に会いに都会に行けば? と歌の中の「私」(彼女)に対して思ったのだ。
なぜ地元で待っているのだろう。
彼が好きなら行動すればいいのに、と。

あー、じれったい!!
モタモタするな!
自分からとりにいけ!
アホか!臆病なんだからもう!


わたしの心の中で、この歌は
「地元に残った女の子が、勇気を出せなかった歌」になった。


時代はバブル景気の前後だったか。
「男女雇用機会均等法」が制定され、
女性の社会進出が華々しく語られた時代だったかもしれない。
当時の私は「待つ」ことに古臭さを覚えたのだろう。
自分がどうだったかはさておいて(笑)。

それからしばらく、
この歌のことをあまり思い出すこともなく日々は流れていった。


■ごめんよ、「僕」。

この歌を再び思い起こすことになったのは、つい最近。
冒頭紹介した橋本愛のカバーを耳にしたときだ。

この歌を作曲した筒美京平が他界し、トリビュートアルバムが制作された。
そこで橋本愛がこの歌をカバーしたのだった。

ふと思った。

「見間違うようなスーツ着た僕」にとって
都会は、本当に「毎日愉快に過ごす街角」だったのだろうか。

初めて「都会にかぶれたオトコ」の方に気持ちが及んだ。

いや都会は、彼にとって本当は冷たい街で、
居心地が悪い場所だったのかもしれない。

そんな都会で過ごす、惨めな自分を見せたくなくて
「見間違うようなスーツ着た僕」の写真を送ってみせたのかもしれない。
惨めな自分を誤魔化すために
「毎日愉快に過ごす」ふりをしていただけなのかもしれない。

だからといって
居心地の悪い都会から身を引くこともできなかった。

「僕は旅立つ」と宣言して出かけてしまった手前、
惨めな姿を地元の彼女(や友達や家族)見せたくなかっただろう。
「毎日愉快に過ごす街角」の中での
うわべだけのつながりを捨てることもできなかったのかもしれない。

そんな自分を
「都会の絵の具に染まった」と思ったのだとしたら、
「都会の絵の具に染まらないで帰って」という彼女の望みを
自分はもう叶えてやることはできない。

都会の片隅のアパートで深夜ひとり、
地元で一緒だった頃の
彼女の愛らしい姿を思い浮かべながら、
「僕は帰れない」とメールを送る。

そんな「僕」の心の痛みには全く気づかず、
いや、もしかしたら、気づいても気づかぬふりをして
振り絞るように、「ハンカチーフください」と最後の贈り物をねだる彼女。

その返事をまた噛み締めるように読む「僕」。

そんな折れそうな青年の姿がふっと浮かんだ。

その瞬間、私のなかでこの歌は
「心のうちを伝えられなかった不器用な青年が、精一杯の別れを告げた歌」
となり、気がついたら涙がこぼれていた。


こぼれた涙を拭きながら
それまでずっと「僕」の思いに気持ちが至らなかったことに気づいた。
ああ、ごめんよ、君のことをジコチューだと決めつけていたね。
そうじゃなかったかもしれないのになあ。
...心の中で、歌の中の「僕」にあやまった。

■ほどけた痛み

同時に、歌の中の「私」(彼女)に
「自分から取りに行け、アホか!」と毒づいていたのは
わたし自身のなかに、誰かに取り残されて傷ついていた自分がいて
歌の中の彼女を見ていられなかったからだということもわかった。


「僕」をジコチューと責めていたのと、同じ心の痛みだ。


歌の中の「僕」も「私」も、
松本隆が書いたイメージそのものでもなく
太田裕美をはじめとする数々のアーティストが歌ったイメージでもなく
わたし自身のなかにあったイメージで、
それは、わたしの心の痛みが作り出していたのだと
当たり前のことに、ようやく気づいた。

今ならわかる。

「僕」はジコチューで、「私」は臆病だったかもしれないけど
ふたりは、それぞれが、その時々を、精一杯生きたことが。
それでも人生を寄り添うことにつながらないこともあることが。
「僕は帰れない」と別れを切り出す痛みも。
そしてこの2人には明るい未来を開く力もあることも。

誰も悪くなかった。

「木綿のハンカチーフ」が流行っていた少女の頃
まさかこんな歳をとってから
この曲で涙するとは思わなかった。
いつの間にか、
歌の中の「僕」や「私」の母親といってもいいぐらいの年齢(笑)。


若い頃に見えていなかった心の揺れをこんなにも見せてくれる、
この曲はやはり名曲なのだと思う。
すごいなあ、松本隆。
もちろん、橋本愛の表現力の素晴らしさも後押ししたのはいうまでもない。

そして歳をとるということは、
なんと心豊かになっていくことなのだろう。

「木綿のハンカチーフ」。
これまで重ねてきた月日の遠い道のりに思いを馳せる1曲になった。




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