パニック症は完全に治ったと思わない方がいい。嫌なものは嫌なままそっと心に置く生き方。
人は1日に約1万回〜6万回もの思考を繰り広げているらしい。
そしてそのうち80%はネガティブなものなんだとか。
5万回近くもネガティブなこと考えてるってなかなかすごい。
でも生きるってそういうことよね。
常に死がそばにあるんだから。
で、そのとんでもない量のネガティブ思考を「自分の邪魔をする存在」みたいに扱っていることもあるよなと思う。
私は不安が強いタイプなので、不安を邪魔に感じてしまいやすい。
もともとパニック症だったこともあったので、「これさえなければもっと気楽に動けるのに」と強く思っていた時期も長かった。
しかし、邪魔者にした途端、存在感が増してしまう。
私はパニック症で病院のお世話になったことはなく、自然療法のホメオパシーで大きく改善した。
(姉のこともあり、心療内科のお世話になることに強い抵抗があったのも大きい)
ホメオパシーをとればパニックがスッとおさまるようになったので、常備さえしていれば、万が一パニックになっても大丈夫だと思えた。
それで余裕が出てきて、「そもそも心の在り方が問題だった」とある日突然降って湧いてきたかのように気づいたのもホメオパシーのおかげだったと思う。
(ちなみにその当時は心の勉強など一切していない)
そうやって良くなっていったのだが、再発したら怖いなという思いから、長い間、カバンの中にホメオパシーを常備していた。
今では、そんなことはすっかり忘れて、出かけるようになっている。
「パニック症が完全に治ったなんて思わない方がいいな」
そう思えてから、私は自由になった。
もう何年も症状が出ていないからそんな気楽に言えるというのもあるけれど、「治った」って方が私はなんかプレッシャーになる。
「なんかのきっかけで出てくるでしょうよ、そん時はそん時や。」
くらいが私の性格にはちょうどいい。
パニック症は苦しい。二度と嫌だ。
でも、私の中にその可能性はずっとある。
その可能性も含めて私なので、心の中にそっと置いてあげてる。
で、これはパニック症のことに限らないと思っている。
「これがなければもっと楽なのにな」と思うものほど、追い出そうとせずに和解した方がいい。
嫌なものは嫌なまま、そっと心に置いておいてあげたほうが私は軽やかに生きられるなと今んとこ思ってる。
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