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やっぱり知りたい。そのむこうにある何かを。

去年の秋ごろから、わたしの中には、ある流れがあるようです。

それは、

加齢すること
老いること
どんなおばあちゃんになっていくのか、いきたいのかに、

心の目が向いていること。


やはり、アラ還という年齢のなすゆえか。。。
感じやすい年ごろなんです。


そんなこともあって、最近特に、心していることがあります。


してみたいな、したいな
ということを
今、できるように
実行にうつす

ということ。


前置きが長くなりましたが、そんな気持ちが、3月初めに、わたしをミュンヘンへ運んでくれました。

ミュンヘンでは、20代の頃の思い出をたぐりよせ、アルテ・ピナコテークを訪ねることに。


700点以上の絵画が展示されている美術館です。

アルテ・ピナコテーク館内


なので、かなり絞り込み、鑑賞することにしました。



その中のひとつが、アルベルト・デューラーの自画像。
入場券にも自画像の右目付近が使われていました。




実物の絵の前に立つと、静かで厳かな雰囲気を感じ、


アルベルト・デューラー『自画像』


みぞおちあたりに置かれた右手に、わたしは、惹きつけられていきました。
この手がなかったら。。。


この手があるからこそ、当時28歳だったデューラーの覚悟のようなものが、伝わってくるのでは、と思いました。


崇高なものへ誓いを立てるような厳かな想いです。

その顔は美しい。


膨大な数の絵画のなか、この作品の前でも、しばし絵の世界へ引き込まれていき、


アントネロ・ダ メシナ『受胎告知のマリア』


わたしの視線は、胸元に置かれた両手に向けられていました。

受胎告知のマリア

驚きや戸惑いがあったのでしょうか。
上に置かれた左手には、心なしか、力が入っているように見えます。


両手は、厳粛な告知をうけたマリア自身を支えているのかもしれない。


そうも思いました。


それにしても、向かって左側のストライプの色!
紫がかった青が光を放っていて、
そこには、宇宙があるよう。


最後にあげる作品は、時代は移り、19‐20世紀の画家、グスタフ・クリムトのものです。
本来ならば、ノイエ・ピナコテークの蔵品ですが、改築工事中につき、アルテ・ピナコテークへ出張中。

グスタフ・クリムト『マルガレート・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像』


またしても肖像画の前に佇んでいました。


クリムトの色使いにみとれただけでなく、この女性から漂う雰囲気にも感じるものがありました。


そして、彼女の組み合わせた両手は、

待ち遠しさ
はにかみ
はやる気持ちを抑えるような

自分でも気づいていないかもしれない隠れた感情を、語っているようにも見えました。


こんなふうに、いくつかの絵画に出会いながら、

手の動きを静かにとらえ、そこにこめられている感情をすくいあげようとするわたし

をみつけることができました。


20代の頃のわたしには、そのようなまなざしはありませんでした。


年を重ねながら人に出会い、その人と知り合っていくその過程で、ことばを聴くだけでなく、


その人のさりげないしぐさや
かすかな顔の表情の変化


に込められたものをも、心の耳を澄まして"聴きとる"ことができたら。。。

そんな願いがわいてくると、デューラーのように、まっすぐ前を向いて、今というときを積みあげながら生きていこうと思うのです。


過去を振りかえり、足元の今をみつめる

そんな一人旅になったのが、うれしい。



Reiko













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