交換日記「大人の成長とは何か?」

子どもと大人の成長に違いがある。
その説明投稿を読んで、なるほどなぁって思った。

私たちはたくさんの経験を積み重ねて生きている。小さい頃に作ったガードは今はもう不要で、大人はそれを選択できる。この選択できるようになるのが難しい。
経験が邪魔をして、選択肢が狭まってしまう。
そこが成長のキーワードなのではないだろうか。


パートナーと出会って、子どもの時の経験から自分を護るために、何枚もの絆創膏を貼っていることに気づかされた。
(時々、付箋と表現したりする)

その傷の痛みが現れる度に、その傷がえぐられるような?塩を塗られるような?そんな感覚から目を背ける(隠す)ため、もともとあった傷に、また絆創膏を貼って何層にもなっていた。

深い傷や思い出したくない傷は、絆創膏をはってなお、瓶に入れて硬く蓋をした感覚の痛みさえあった。

そして、常にその傷の存在に怯え、私のインナートークは「起こっていないメッセージ」に溢れていた。

何より恐れていたのは、その傷が他者にバレることだった。知られたくない傷を隠すように、明るく振る舞い、誰にでも愛想を振り撒いていた。

今思うと、隠したい傷は、まだ子どもで「対処の方法がわからなかっただけ」というのもあるし、「言葉の意味がわかっていなかった」とか、「解釈を間違えていた」というのもあった。

いろいろな傷の大元を、パートナーは丁寧に聞き取りをしてくれた。
「その時の感情は?」
「その時の願いはなんだったのかな?」
「どうしたいとおもっていたの?」
などなど。

一番印象に残っているのは
『それはほんとう?』
初め意味がわからずその答えに悩んだ。
そしてそれは妄想やマイナスな拡大解釈な事が多かった。

ただ痛いだけに反応して、傷を見ることすらしていなかった、実際には「できなかった。」
けれど、冷静に聞かれると大したことのないようにも思える。そんな風に思えたのは、私が大人になったということと、その傷を外に出しても大丈夫というパートナーとの信頼関係があったからだろう。

引用
武器やガードが無くても大丈夫なんだと知ることや、武器やガードがあったからこその代償を認識し、捨てる選択をすること

成人発達理論を説明したパートナーの投稿。
その通りだと思った。
ただ一人では此処に辿りつけなかだただろう。

パートナーのギフトは、痛みがある者に寄り添うことが出来ることだと思う。

私の傷に気がつき、芯を捉え、萎縮した心を気長に緩めてくれた。ガードがなくても大丈夫ということを体現で教えてくれたのだ。

研修では厳しい存在だそうだ。
目に見えるようだ(笑)
でもそれは、「お金を払ってでも自分を変えたい」と思っている人に、真摯に向き合っているからこその対応だと思う。

傷にたいして、本人自信が一番苦戦してきたから。
(現在進行形)

引用
武器やガードを捨てるということは二度と手にしないことは意味しません。必要な時にはまた武器やガードを手に取る判断力と自由を身につけることが大人の成長です。ただ、多くの場合、不要であったり、効果的に使えていないにも関わらず武器やガードを握りしめている人の方が多いです。

この「判断力」をつけることが難しい。
自分の内省無しに手放すことはできるだろうか。
隠している傷に自ら触れることは中々に痛い。

まずは「あること」を知ること、認知することがとても大事で、はじめは何もしなくていい。それが大きなポイント。
眺めていると自然とほぐれてくる。
絆創膏が剥がれてくる。
「こんなところに貼ってたんだ」
って驚きもあったりして、私は楽しくなった。
でも、調子に乗って剥がしていると、見たくなかった恐怖が現れたりする。

そんなとき、パートナーは言いました。
「だれも、なにもわるくないよ」

この言葉にどれだけ救われたか。一つだけの傷ではなく、どの傷にもその言葉が当てはまったからだ。
真実は本当にその通りだったから。

過去の出来事をを変えることはできない。
でも、認識は変えることはできる。
その時には見えなかったものが見えると、印象は変わってく。
そうすると、新しい自分に生まれ変わっていく気がする。
私はほんとうの自分に近づいた気がしてる。

痛みがない人なんていない。
どうやって痛みを回避してきたか、自分を護ってきたかはその人のギフトだと思う。

そのギフトに気付いて行くことが大人の成長なのではないだろうか。

パートナーの投稿とまたずれてしまったかな。

ではまた。

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