男女関係 ジェンダー 第二話 セクシュアリティと陰陽
本日も言葉の定義から参りましょう。
『性』を語るときに最低限知っておくべきこととして、前回お話した「ジェンダー」と「セクシュアリティ」という言葉の区別を確認しておきましょう。はじめに「セクシュアリティ」についてお話します。
Ⅰ.セクシュアリティとは
セクシュアリティとは、以下のように定義されています。
「セックスは両脚の間(性器)に、
セクシュアリティは両耳の間(大脳)にある」
カルデローン
(アメリカ性情報・教育協議会創設者)
もう少し具体的にみると、アメリカ心理学会の見解では、「セクシュアリティの構成要素」が以下の4つにまとめられています。
性的指向(sexual orientation)
生物学的性(biological sex)
性自認(gender identity)
社会的性役割(gender role)
それぞれについて、解説をしてまいりましょう。
1. 性的指向(sexual orientation)
ある特定の『性(gender)』を持つ人に対する持続的な魅力(例えば、情緒的魅力、恋愛対象としての魅力、性的魅力、情愛を注ぐ対象としての魅力)
同性に対して魅力を抱く同性愛(ゲイ(男性・女性の同性愛者両方を指す))異性に対して魅力を抱く異性愛(ヘテロ)異性・同性のどちらにも魅力を抱く両性愛(バイセクシュアル)これらに加え、異性と同性の両方ともに魅力を抱かない「Aセクシュアル」という立場もあります。
2. 生物学的性(biological sex)
性器の男女差:セクシュアリティを構成するものとして、生物的な性も含みます。しかし、これらも男女の二分法だけで考えていてはいけません。
Cf. インターセクシュアル(半陰陽、ふたなり)
生物学的に男性と女性の特性を持ち、解剖学的に男女の区別の判断ができない中間性を有する状態、あるいはそのような人のこと。最も典型的な例は、卵巣と精巣の両方をもつ「真性半陰陽」。出生時や幼少時に、本人の同意なく性器形成手術が行われていることが多いようです。
3. 性自認(gender identity)
「性自認」とは、私が男性である、あるいは女性であるという自己意識のことです。戸籍上の性、養育上の性、身体の性、社会的性役割が一致していると認識されている状態に比して、性別違和感を持つ人もいます。
この性別違和感をひとつの疾患単位としたのが、「性同一性障害(gender identity disorder)」という概念です。性同一性障害とは、「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性別に属しているかをはっきり認識していながら、その反面で、人格的には自分は別の性に属していると確信している状態」を指します。
つまり、身体の性別と心の性別が引き裂かれている状況です。そのなかでも、身体とこころの性別に対して強い不一致を感じており、形成外科的な手術で身体の性を変更したい人のことを「トランスセクシュアル(TS)」と呼びます。
一方、「トランス・ジェンダー(TG)」とは、身体の変更を必要としないで、異性装などの手段で社会的な性別を反対の性で生きる人のことです。性別違和感に強く苦しまず、自己表現の手段として男装・女装を選ぶ人も含まれます。
異性装は、反対の性で生きることを象徴するため、強くジェンダーに規定された衣装になることが多くなります。たとえば、男性が女装する場合、「女らしさ」を象徴するために長い髪でスカートといった装いになったり、女性が男装する場合、髪を刈り上げたり、タバコをふかしたりといった装いになることがあります。
4. 社会的性役割(gender role)
社会的に規定された性役割や身体理解などの文化によってつくられた性差を指します。前回もお話しした通り、ジェンダーの語源は名詞を性別化する文法的な分類にさかのぼりますが、現在は、男女の生物学的な二分法であるセックスと区別して用いられています。
1950年代以降のフェミニズムより、ジェンダーはセックスを前提とした文化的性別であるとされてきました。しかし、80年代以降、ポスト構造主義フェミニズムやクィア理論から、異性愛主義の差別性、性同一性障害のケアなどが指摘され、また生殖医療技術の進歩にも伴い、男性性と女性性の対立に偏りがちなジェンダー概念への問い直しが始まっているところです。
関連用語であるジェンダー・バイアス(gender bias)とは、ジェンダーに基づく偏見のことです。また、ジェンダー・フリー(gender free)とは、ジェンダーに基づく心理的・制度的障壁からの解放を意味し、日本でも男女共同参画政策の標語として普及しました。しかし、性別の解体や性差を尊重しない主張として誤用されている場合も少なくないので注意が必要になります。
Ⅱ.セクシュアリティ、ジェンダー、
セックスの解釈
「セクシュアリティ」、「ジェンダー」、「セックス」を単純に<あたま>(こころ)[からだ]に分けると次のような関係が成り立ちます。
<あたま>→「セクシュアリティ」
(こころ)→「ジェンダー」
[からだ]→「セックス」
ⅰ) <あたま>はセクシュアリティ
セクシュアリティには、4つの枠組みがあり、生物学的性を除いて、自分の性を認める「性自認」を「ジェンダーアイデンティティー」としてジェンダーという言葉を利用していますし、「社会的な性役割」を「ジェンダーロール」のように、これもジェンダーを使用して表現するので混乱しやすいのですが、これらはあくまでも、社会的役割や自らの性を自分がどう担うのか、という個々人の視点であることが言えます。したがって、文化的な視野を強調したいときはジェンダーを利用し、個々人の視点で意志や志向性を総称して表現するときにはセクシュアリティーを使用するという理解で良いと思います。
ⅱ) (こころ)はジェンダー
ジェンダーという言葉は、世俗的な性嗜好性を表現することが多いので、そこにははじめから文化的な背景があります。様々な環境から私たちは影響を受けており、文化と(こころ)は非常に密接に関連しています。セクシュアリティとジェンダーをどこで分けるかといえば、
セクシュアリティは、
より個々人の私的な問題を問う時に使う
ジェンダーは、
より集団の公的な問題を問う時に使う
ことが望ましいでしょう。
ⅲ) [からだ]はセックス
これは、言葉の定義としてはあまり説明が要らないかと思いますが、身体の心に対する影響力は非常に大きなものがあります。ですから[からだ]は単に体(からだ)だけではなく、身(み)として内部の視点もあります。さらに、外面の社会構造や情報ツールなどの影響力も構造に含まれます。ここでは詳しい説明はせず、次回以降に内面や外面、内部や外部の見立てをお話致します。
次に少し視点を変え、一つの試みとして、東洋医学の立ち位置から「性」を取り上げてみたいと思います。
Ⅲ.陰陽(東洋医学の観点から)
陰陽五行の成り立ちから男女を分かつと、まず単純に[からだ]を持つ私たちの男性と女性は、男性が陽で女性が陰ということになります。
1)八網辨証(八網弁証)の見立て
東洋医学でも日本漢方の見立てには、『証』という考え方があり、八網辨証(八網弁証)という分類法があります。
病人の『証(病期の進行)』を決定するにあたって、陰―陽、表―裏、寒―熱、虚―実の4対8項目に基づいて、病状を分析する辨証方法で、表-裏は病気のある場所、寒-熱は病気の性質、虚-実は病邪の盛衰と身体の正気の強弱を表し、陰-陽はこれらをの総括を表す概念とされています。
陰-陽を総括するために、表-裏、寒-熱、虚-実の三要素があるということです。
これらを<あたま>(こころ)[からだ]に分けると次のような関係が成り立ちます。
表-裏 <あたま>
寒-熱 (こころ)
虚-実 [からだ]
仮に上記のように解釈することも可能であろうと思います。
ⅰ)表-裏の<あたま>
私たちは、よく「裏腹(うらはら)」という言葉を使います。本当はこうしたいのに、そうできなくて、自分の思うことと違う表現をしたり、意図的に思索を変化させてしまうような場合にも使う言葉です。これは心の中でも、精神に関与している場合が多く、精神とは思ったり感じたりするときの意志であると思います。
また、表裏が前後の関係を担うものであるとすれば、それは過去と未来の壁を意識することができる<あたま>の働きによるものです。この場合、表が陽、裏が陰になります。
ⅱ)寒-熱の(こころ)
暖かい空気は上昇し陽の性質を持ちます。冷えた空気は下降し陰の性質を持ちます。このように上下関係を担う水平面は(こころ)に関与し、感情の結果生じる熱の伝播を担います。(こころ)の冷たい人や暖かい人と表現されるように、寒熱を以て人の心を表すのは、このような感覚があるからかもしれません。
しかし、このジェンダーの陰陽は、女性が陰だから心が冷たく、男性が陽だから心が温かいという単純なものではありません。性別に関係なく(こころ)の暖かい人と冷たい人はいるものです。
これはお互いの違いを尊重する態度と『陰極まりて陽と為す、陽極まりて陰と為す』という循環や巡りを前提としています。特性として、男性的なエネルギーの移動の仕方、女性的エネルギーの移動にも関係しています。このあたりは、また検証が必要な段階でしょう。
ⅲ)虚-実の[からだ]
一般的には実が陽、虚が陰ということになります。虚実とは虚が細さを、実は太さをイメージすることが多いので、虚が女性的な線の細さ、実が男性的な線の太さという印象があります。ここでは病期のお話ではなく『性』に関する陰陽のお話なので、とりあえず[からだ]の力強さや強度など外観的な視点から考えていただいてよろしいでしょう。
つまり、<あたま>(こころ)[からだ]にそれぞれ陰陽があるということになり、男女の関係でいえば、<あたま>の男性性、女性性、(こころ)の男性性、女性性、[からだ]の男性性、女性性があるというこになります。この辺りに付いては、解釈に幅があり虚実の概念なども含めて、今後も少しずつ検証していく必要があります。
2)少し思い当たること
(note 追加記事)
※以上、以前記した内容をもう一度読んでいて論拠に更なる検証が必要な印象があったので、今回視点を変えて「性」を見直し腑に落ちた点をお話しておきます。
そもそも「証」は病期を見立てる方法であることを考えれば、男女性の成り立ちなど生理的な状態を当てはめるのが難しいかもしれません。
そもそも、東洋医学の真骨頂は、目に映りにくい内部の見立てで、それは、気質や性質や体質という質的な内側の見立てという視点もあります。
気を<あたま>
性を(こころ)
体を[からだ]
とすれば、さらに分かりやすくなります。
いずれにしても、病期の進行ではなく、例えば、性同一性障害の同一性をどう見るかに応用が可能だといえます。
この辺りは、大きな命題なので、今後も様々な角度から触れていく予定です。
次回は、<あたま>(こころ)[からだ]の『三つの側面』にそれぞれ『四つの象限』をあてはめ、ジェンダーやセクシュアリティの定義を「こころの立体モデル©」を利用してまとめていく予定です。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございました。
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