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播州赤穂

前の話です。

 窓から差し込む朝日に目が覚めたのは始発電車が終点近くまで行った時のことだった。
 ゆっくり目を空けて窓の外を見ると、そこには目覚め始めた街並みがあった。
 冷静に考えると、どこの街並みも細かいところはどうか分からないが、目に見える大雑把なところでは自分が住んでいる神奈川とそう変わりはしないような気がしないでもないんだけど……早朝の朝日と電車の車窓から眺める風景が、そんな感じをすべて打ち消して自分が異世界に来たかのような気分を味わわせてくれる。
 これだから電車の旅はたまらないのだ。

 これが新幹線や飛行機であっという間に目的地に行ってしまうとそんなことも感じないまま目的地に着いてしまう。

 感じ方はそれぞれなので、何が良いか悪いかという話ではなく、鉄道旅行の良さは、時間を贅沢に使って、見知らぬ風景を『退屈な同じ風景』ととらえずに、自分の知らない新鮮な世界だととらえることができるところにあるのではいかとボク個人としては考えている。

 ふと時計を見ると、まだ6時30分。
 電車はかなり西に進んだ。
 岡山の手前の『相生』という駅でボクは山陽本線に乗り換える。
 というのも、ボクが乗った始発電車は『播州赤穂』行きだったので、この電車に乗り続けると、電車は赤穂の方に行ってしまうからだ。
 このエッセイを書くにあたって、姫路からの山陽本線の始発電車を調べてみたのだけど、始発の電車は『岡山』行きで『播州赤穂』行きは始発の次の電車だった。
『播州赤穂』行きに乗ったというのはボクの記憶違いかもしれないし、もしかしたらダイヤ改正で変わったのかもしれないしそこは定かではない。

 つまり……そこはそんなに重要ではない。
 所詮、昔の記憶なのだから。
 書きたいのは記憶ではなくそこで感じたことなのだ。

 播州赤穂。
 赤穂と言えば、あの忠臣蔵の赤穂だ。

 時代劇が大好きなボクは年末の忠臣蔵を食い入るように見ていたのだけど、赤穂浪士の赤穂はどこの土地のことか知らなかった。

 そうなんだ……。
 赤穂浪士はボクと同じ兵庫県出身なんだな……。
 そんなことを思いながら電車の行き先表示板の『播州赤穂』という文字を感慨深く眺めたのを覚えている。

 いつか赤穂にも行ってみたいな……そんなことを思いつつ車窓を眺める。
 電車は海岸沿いを走る赤穂線の線路を離れ、当面の目的地である『岡山』に向かって行く。
 ボクは少しお腹が空いてきた。
 朝は何も食べていなかった。
 そして、せっかく関西に来たのにうどんを食べていないということにこの時、気づいた。

 関西のうどん。
 基本的には『讃岐うどん』をイメージしがちだが、実は讃岐うどんとは若干違うらしい。
 どこが違うのかと言われても実はよく分かっていなかったりする。
 ただ、基本的にはうどんはどこのうどんも好きである。
 小学4年生の時に関西から横浜に引っ越してきた折には関東のうどんが黒い出汁だったことに驚いたが、多くの関西人が言うように『これはあかんわ』とは思わなかった。
 あれはあれで味わい深いし、実に美味いと思っている。

 そんなボクだが、やはり食べなれている関西のうどんが好きで、この旅では一度は立ち食いうどんのお店でうどんを啜るのを楽しみにしていたのだ。

 電車は岡山駅に入電していく。

 それにしても岡山で食べるうどんは関西うどんと言っていいのだろうか?
 まあ、美味しければなんでもいいのだ。

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