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短歌にどう入門するか?

いきなり実戦の世界


実は短歌には入門などというものはない。いわゆるゲームのように「ビギナーレベル」「中級レベル」「上級レベル」なんて段階もない。

生まれて初めて作る1首から、いきなり本番であり、かつ、実戦である。

人によっては、この1首で世界を震撼とさせることもあるし、箸にも棒にもかからないというケースもあるだろう。人生で最初の1首、たとえば、はじめて投稿するときの1首とか採用されるために作った1首は、生半可な気持ちで世の中に出しては行けないと思う。

投稿するとかしないとか、いろいろ選択はあるけど、ぼくは新聞などには投稿したことがなく、枡野さんが教祖のかんたん短歌ブログ、笹師範の笹短歌ドットコムを経たあと、いきなり結社に入った。

はじめて半年くらいで文章を書いていたと思う。というより確かブログの延長で、日記を書く癖があったから、そのまま流れでどんどん内容が難しくなり、批評ぽくなった。

短歌用語を脳内にインストールしていった感じかもしれない。その間浴びるように本を読んでいたと思うし、その原動力になったのは、入門書だけではなく、「真剣に短歌について話す歌人たちの姿」だった。

ちょうど大辻隆弘さんと吉川宏志さんが、「週刊時評」というタイトルの青磁社のホームページで、2週間に一度のペースで時評を交互に掲載して、お互い意見を戦わせていた。それを見て奮い立つというか、自分でも亢ぶるから、アクセルがぐっと入る。ぼくが短歌をはじめたころ、インターネットは「批評の時代」だったのだ。

(80年代ぐらいの未来では、もっと月旦(会員の作品評)が戦闘的で、田井安曇さんと岡井隆さんが、作品を読みながら「それは違う」「これはだめだ」みたいな対談をしていたらしいから、相当濃かったようだ)

いまも「自分の病気を悟ったから」という理由で、アクセルは入れっぱなしと言うか、毎日最低5000字、いろんな話題の文章を書くなんて時期が来るとは思わなかったけど、短歌の場合、アクセルをぐっと入れ続けたらそのスピードで走ったほうがいい。一度ペースを掴むまで加速し続けるのが大事だと思う。

短歌の雑種化


いまの現代語の「短歌」は、まさに「柔道が国際化」したみたいにいろんなジャンルから「短歌」に入ってくる人もいるらしい。枡野さんは短歌の仕事をするはるか前に替え歌をつくっていたらしいし、たしか山田航さんは回文だった。木下さんの由来も、「自由律虚無俳句」だとTANKANESSで宇野なづきさんが語っていた。短詩型文学にも、メジャー・マイナーがあるらしい。

これはオリンピックの競技に柔道があるから、ということで、ロシアでサンボをやっている人や、ブラジルで柔術をやっている人が柔道に乗り換えるのに似ている。異種格闘技戦みたいだ。いろいろなジャンルで面白い人が、57577のリズムを知って、また「短歌には金メダルがあるんだ!」と知って、短歌に流入する。そういう人がいまの短歌ブームを引っ張っていることになる。けっこう短歌ってなんでもOKというか、季語もないし、リズムに収まればいいくらいの感じなので、違う畑で活躍した人たちでも入りやすい。

ただその雑種性を昔からの短歌の人たちは嫌うから、「短歌ブームを苦々しく見ている歌人」も一定数いるということになる。短歌は狭い世界で、自分の作品に自信がない人ほど人の短歌を叩こうとする。木下龍也さんが「群れるな」と言っているのは正しい。ぼくも群れていたころは「なんで?」と思っていたけど、ほんとうのことを言うには、人間関係なんて気にしていてはダメだと痛感した。

木下さんたちの短歌は、歌レベルでは面白い歌もたくさんある。既存の歌人たちは、誰もこういう「前提」をあきらかにして、自分たちと木下さんが「前提」が違うということを言えないまま、つまりは、比べられない(批評の基本だ)まま「私はこう思う」なんて解釈ばっかりやってるから母屋をとられるのだ。

ただ眉をひそめるだけのおしゃべりなら、僕は加わらない。木下さんは文フリでお目にかかってぼくは「すごくいい人」だと思ったから、批判なら批判で真剣に堂々と、木下さんたちに向けて書きたいと思っている。

遥か前に枡野さんに短歌賞を与えなかった「ジェニュイン(正統的な)」短歌の人たちは、この雑種性に鈍感すぎた。そもそも「短歌の雑種性」って短歌そのものが持つ要素である。だから、自分たちで「なんでもOKですよー」みたいな言い方をして、途中で「短歌じゃない」とかいうのはフェアじゃない。それに自覚的じゃない人たちが多かったのだと思う。でも枡野さん、賞とってしまったら、かえって「歌集を出すとき」に大喧嘩したんじゃないかな? とも思う。ぼくは古い歌壇も嫌いだから、枡野さんは最終的に、小高さんみたいなちょっと偏っている人が健在だった、あの頃の「歌壇」に入らなくてよかったと思う。

                ※

面白い感じの短歌とか、内容をよくしたいという方など、短歌ブームのなかで既に参考になる歌人がいる人は、そのままそっちに乗っかっていったほうが良いと思う。そういう短歌も、短歌の世界ではOKだ。だけど、雑種的な短歌ばっかりがブームになって、もともとの短歌が忘れられるとしたら、それは悲劇だけど、実は今までの短歌の「自業自得」だ。

歌人から金をとって成立するような古い短歌のビジネスモデルと、それに抗議の声すら挙げられない歌人たちが「自分たちを衰退させているだけ」ということに気づかない。僕は常に「既成歌壇」のほうに厳しい。

短歌ブームはのびのび続いて欲しい。
必要なのは、「既成歌壇」の改革だと思う。

入門するなら      


ぼくはド短歌、というか、とにかく昔のように型があり、なりけり、がしっかり書いてあって、「こんな言い方現代にもあるんだ」みたいな、古色蒼然とした短歌がカッコいいと思う。現在、結社に入っている若い歌人には、「自分のこだわりの言い方がある」という人が多い。

そっちのほうがトラディショナルなのだけど、いま結社の魅力が弱まったように見えてしまったから、トラディショナルな歌の作り方、味わい方を教えられる人がブームから取り残されてしまった。そういう短歌はあまり短歌ブームには取り上げられない。メディアが作った短歌ブームでは「内容が面白い」ほうを大事にするから、「こだわりの言い方」なんて言われてもピンとこないかもしれない。

しかし短歌は伝統的には内容より、格好が命の文芸である。同じ内容なのに格好が違うから全然パリッと見えるなんてことはたくさんある。

※ちなみに「けりをつける」って言うけど、これはもともと短歌俳句の言葉だ。なりけりの「けり」である。「けり」をつけるのが上手い人は、若い人にはあまり見当たらないけど、僕より同世代か年上、あるいは還暦から後の世代の人には、ものすごい「けりの付け方」をする人がたくさんいる。「将棋で渾身の王手をかけたとき」みたいにすごく高いところから「ぴしーっ」とけりが響くなんて歌もたくさんある。

              ※

ぼくが講座を開くとしたら、という感じでずっとタイトルを考えていたのだけど、最近、いろいろ考えてやっと「これならいいかな」というタイトルを考えた。

ずばり

短歌ブームにのれない人のための短歌入門


である。

ブームに乗ってみんな地すべり的に「面白いこと」を言うほうに流れる。それはいいのだけれど、ぼくから見たら基本になる「型」がメチャクチャで、とてもじゃないけど読むに耐えない歌が多い。歌そのものに力がない。57577の形を活かせていない。一個一個の言葉を活かせていない。

一つの歌を三時間推敲する。下の句がでてこなければ何年もほっておく。
そういう体験ってみんなしたことあるのだろうか。

『プライベート』という歌集が有名な(キャラメルコーンの歌が有名というのか)枡野浩一さんの「かんたん短歌」出身の佐藤真由美さんは、上の句だけつくっていてしっくり来ないから何年も寝かせていたら、ふっとある日下の句がでてきたという話をしていたことがある。

歌を作る大変さを偲ばせるエピソードである。

枡野さんの「かんたん短歌」がぼくに教えてくれたのは「自分のアイデアを人に見せるようにするためにどれだけ命を削れるか」ということだった。枡野さんのかんたん短歌ブログはめっちゃ選が厳しくて、どんなに頑張ってもぼくは1首も載らない。同じ題で掲載された歌を見ると、「この歌なら僕は負けるわ」という歌ばかりで、納得がいった。

もし、いまの「面白い歌」がなんだかピンとこない、という人がいたり
ぜんぜんX(Twitter)でバズっている短歌には惹かれないという人がいたら
いつ始めるかもわからないが、「短歌ブームに乗れない人のための短歌入門」でぼくが紹介する歌を見てみて欲しい。

(次回から歌を紹介したりするけど、好評なら何かの仕事につながると思うので本気で書きます。この文章は最後に入門書について書いて終わります)

入門書のすすめ


短歌には入門はない。いきなりボールを蹴ってOKだ。ではなんで入門書があるのか。多くの人が、「いきなり蹴るはちょっと…」という場合が多いからだ。あと出版社が「売れる本を出したい」からだ。あるいは短歌を知らない人の場合、「どのジャンルにも入門があるように、短歌にも入門があると思っている」ケースが多いからだ。

ぼくは入門書は2つの種類に分けられると思う。

・自分でいきなり蹴る勇気と力を与えてくれる入門書

・先生から短歌の蹴り方を習うため(あるいは教える側向け)の入門書

の2つだ。実はぼくはちょっとだけ「カルチャーセンターで講座を持っていたこと」がある。そのときに入門書は全部買って読んだ。そのときの経験をちょっと書いてみる。

まず、自分でスタートするための入門書を3つ上げる。

自分でいきなり蹴る勇気と力を与えてくれる入門書3選


じつはこのタイプの入門書は最近までこの2冊で「不動」だった。最近新顔が加わった。

不動から行く。

ぼくらの頃の不動の入門書、略称「短爆」である。かなり前にぼくもこれの書籍版をかっていた履歴がAmazonにあった。実は版が変わって、枡野浩一さんの解説が加わったり、21世紀の短歌についてのロングインタビューが乗っているらしい。

ぼくは新版は読んでないし、久々に読んだら実はこの本に第一章があって、西崎憲さんがホーミーを吹いている話を知らなかった。

実は僕は、この本で穂村さんのセレクトした短歌、本の内容でいう「構造図」のみを繰り返し繰り返し読んでいたのである。

その川の赤や青その川の既視感そのことを考えていて死にそこなった                            

早坂類

早坂さんの歌とかメチャクチャ衝撃的で、これは穂村さんが「短歌の構造図」といいながら「短歌の型」を書いた本だと思った。僕もこれに衝撃を受けたのだった。ある時期まで穂村さんは、わかりやすい形で短歌には型があるということを指摘してくれて、それをどう破るかを教えてくれる優秀な現代短歌の先生だったと思う。

だからぼくらも穂村さんを熱狂的にフォローしたのだけど、その穂村さんが急に、「型がなくてもおもしろければいい」みたいに見える歌を褒めだして、「あれれ」となってから、なんか「短歌ブーム」の内実が作られた気がする。

穂村さんは二歩三歩先が見える人だから、もしかしたらぼく自身が見た光景というか、投稿してくる若者の日本語力の低下を見て、「現代の若者にこんなことを教えても仕方がない」と諦めたのかもしれない。ダヴィンチの「短歌ください」は、ぼくから見れば「形なし」の宝庫である。

「若い人が持っている限りのできるだけの能力で一番面白い」短歌を、という感じで短歌を選んだのが穂村さんだとしたら、穂村さんは「短歌ブーム」の功労者だけど、型のある短歌が滅亡しかけた原因を作った張本人でもある。だからぼくは尊敬の念は持ちながらも、いまの穂村さんを批判するのである。

ぼくは若い人の投稿欄なんて持ったことがないから、穂村さんの見た風景はよくわからないのだけど、ぼくはまだあきらめが悪い。自分の生きているうちに過去に自分が作っていた歌の型を否定するような歌を褒めるようなことはできない、つまり穂村さんみたいにはなれない。そんな感じである。

            ※

もう一冊は何度も登場しているけど、私の教祖枡野浩一さんの「かんたん短歌」の入門書である。

これもぼくはピンク色の書籍版しか持っていない。もともとはキューティーコミックという漫画雑誌の投稿コーナーだったらしい。

ぼくはこれに衝撃を受けて、「ああ、現代の口語でもきちんと定型に載せられるんだ」と思って現代仮名遣いの口語で短歌をはじめた。その頃は「歴史的仮名遣いの存在」を知らなかった。

実は「なりけり」を一切使わない現代口語オンリーの歌というのはすごい当時は難しかった。枡野さんの場合、字余り字足らずなしの57577、である。いまの人はあまり意識しないけど、当時は口語でどう歌を作るかなんて型がなかった。かなり前(戦前)に口語短歌はあったけど、なんか57577は抑圧的だ、といってみんな自由律だったから、枡野さんが「57577(定型遵守)の口語短歌の創設者」と言っても誤りではない。短歌ブームの始まりというのも間違いじゃない。

ぜひ、枡野浩一、天野慶、加藤千恵、伊勢谷小枝子、脇川飛鳥、といったきらきらした定型口語短歌をインプットして欲しい。枡野さんの「短歌のルール」をきちんと意識して作ると、「仕上げる力」=「推敲力」が自然と身につき、自作を見る目が厳しくなるのでおすすめである。

ここに最近新顔が登場した。それが木下龍也である。

この本はとにかく言い方がカッコいい。そしていろんなところで実は寺山修司へのオマージュがあったりして、意外と「知ってる」のがわかる。ぼくが歌人になってから読んだ本だけど、この2冊のあとに加えてもいいんじゃないかと思った。

内容はぼくは「既に知っていること」が多かったので特に言わないけど、
実はこういう入門書に共通するのは書き手の一つの態度であることがわかる。

「短歌初心者を短歌初心者として見ていない」

ということだ。つまりは入門させる気がない。ひとりの人として見ているから、手取り足取りなんてやらない。だからみんなやる気になる。

短歌をわかりやすく教える、ハードルを下げるなんてできないので、短歌の全力をいきなり目の前の人にぶつける。それが「自分でいきなり蹴る勇気と力を与えてくれる」誠実さなのである。

ぼくはこの3冊を強く推薦します。

先生から短歌の蹴り方を習うための入門書2選


こういう入門書は親切だけど、上の3冊のように「意識付け」というか「やる気にさせる力が弱い」。もう「やる気満々」という人ばかりならこういう本でもいいのだけど、ちょっと「自分一人で読む」のは難しいかもしれない。

だから、講座とかで先生がテキストにしたり、グループとかで回し読みするときにいいと思う。歌論ではないから気軽に読めるし、用例の豊富さとか、字の大きさとか、技法の解説とか、みやすいように創意工夫されていて親切だ。

横山さんの本はどちらも素晴らしいけど、僕の歌が乗っているから「のんびり読んで~」のほうをおすすめ、なんて言わない。のんびり~のほうが歌のセレクトが若い人中心。はじめての~が「文語中心」だった気がする。

カルチャーではぼくは横山さんの本と梅内さんの本をテキストにしようと思った。こちらは梅内美華子さんの本です。どっちも生徒にすすめました。

こちらも整理されていて、見やすくて、教えやすい。

はい、紹介ここまで。

             ※

あれ笹さんのは? 平岡さんたちのは?

っていう声が心配だけど…。

平岡さんはマイフェイバリットなので、まだ人に教えたくない短歌入門書。
笹さんは僕の投稿時代の歌が乗っているので恥ずかしい。

という理由でおすすめを避けた。

笹さんは、ぼくも参考にしたひとつの型の優秀な指導者だと思う。1冊買うより、2冊買ったほうがいいと思う。

これと。

これ。

笹さんに入門するのは素晴らしいことだ。ただし、笹さんに習う場合は笹さんの哲学をまるごとそのまま吸収したほうがいいと思う。そのまま未来短歌会の笹選歌欄「抒情の奇妙な冒険」へ入りましょう。おすすめです。

             ※

ところで、ぼくも講座やるかやらないか検討中です。多人数ではなく、1対1の個別指導。

「短歌入門講座」

実はその人の特性を見極めて最適な方法をアドバイスするのが僕の一番得意なやり方で、ぼくが見たひとはこっそりだけど、みんな賞歴があったりする。コンサルティング要素の強い短歌入門講座みたいなものです。

(たとえばこんな人におすすめ)
・まったくの初心者で、これから投稿を目指している人
・長く続けているけど、自分の歌を見つめ直したい人
・なにか自分の能力で賞に挑戦したい人

(状況に応じてこんなことをやります)
初回:コンサルテーションです。(無料)

好きな短歌、小説、音楽、映画、考え方、どんな歌を作っているか、どんな人かなどをお互いにすり合わせていく作業です。雑談みたいなものです。次回もやりたい場合は課題を出します。相談でもいいです。他の指導者のほうがいいな、と思ったらすぐその人を紹介しちゃうかも。

次回以降毎回
・その人に会いそうな短歌の紹介
・作ってきた短歌の見直し・一緒に改作の作業
・日本語講座
・短歌の読み方・意味・おもむきなど、自分でも真似できるように技法を全部紹介。わからない歌、全部教えます!
・自分で仕上げられる(推敲できる)ように、評の言い方、書き方なども教えます。
・評論もOKかも。

などなど。

月2回を基本に、短歌に向き合う時間に応じて1~4回まで増減可能です。
基本はリモート(zoom)です!
ハラスメントの防止などの対策を考えます!
まだ準備中!!
やりたい人の数をみて内容をブラッシュアップします!!

やりたい人はコメントかメッセージください。

それでは!!



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