小説『この瞼を愛している』

 この瞼を愛している。
 私はいつもそう思いながら、丁寧にアイシャドウを引く。流行りの色を瞼に塗って、私が現在をこの顔で生きていることを実感する。右目が奥二重、左目が一重の歪な顔はそれでも愛おしい。
大嫌いな元母似の右目、それなりに好きな父似の左目。昔はこの瞼が大嫌いだった。でも左右非対称の歪な瞼が、大学生になった今は私らしいと思えるようになった。
色々なことを思い出すと同時に、瞼に歩んできた今までの道が凝縮されているような気がするからだ。そんなことをつらつらと考えていたら、
「もう時間だから行きましょう。お腹すいちゃった!早く!」
 と新しい母が玄関で私に声をかけた。私は振り返って、
「お母さん、もうちょっとだけ待って」
 とカラーマスカラのキャップを取りながら言った。



「この瞼、嫌いなんだよね」
 と花ちゃんは糸のような眼を吊り上げて言った。セーラー服の襟を正しながら、花ちゃんは口をへの字に曲げて、
「全然可愛くない。アイテープしても限界あるし、ほんとにこんな瞼嫌。目が大きく見える人は本当に得だと思うってお母さんとも話してたんだけどさー」
 と言った。窓からきつい日差しが部屋に入り込み、私たちの顔の凹凸を際立たせている。
「あたしも自分の瞼が嫌いだから分かる」
と賛同したのは、星ちゃんだ。星ちゃんは花ちゃんほど細くないけど、厚ぼったい瞼を持っている。逆光のせいで、更に厚さを増しているような気がした。
「つけまつげ着けても、全然目が大きく見えないもん。それどころかこの瞼のせいで、違和感しか出なくて。本当、羨ましい」
 花ちゃんがうんうんと頷くのを、私はイチゴミルクを飲みながら見ていた。
「整形したいって最近、毎日思う。プチ整形とかもあるし」
 星ちゃんは携帯の画面を私たちに見せる。逆光で見づらかったが、そこには『収録の合間にプチ整形!』という見出しの記事があった。概要は、人気の美人女優達が映画の収録が終わり、まとまった時期が取れたら負担の大きくない施術を少しずつ施している。といったものだ。
「最高じゃん、これだったら私も出来そう。埋没法っていうんだ。こんなにすぐに終わって、この値段なんだ」
「ダウンタイムが短いの本当に良いね」
 花ちゃんは食い入るように画面を見つめている。花ちゃんの柔らかそうな瞼、私は好感が持てるのだけれど。そんなことを思っていると、私の持っていた紙パックからヂュゴゴゴという音がした。いつの間にか飲み終わっていたらしい。
「これ本当にいいね、すごくいい」
 花ちゃんはそう繰り返し、呟いていた。強い光に照らされて、口の中が妙に赤く見える。私は花ちゃんのその眼差しを見て、ああ花ちゃんは本気なんだなって思った。



 そして花ちゃんは夏休みに垢抜けて学校へ来た。涼しげで大きな目元がしっかり引いたアイシャドウを相まって、凛々しく見えた。
元から、ファッションやメイクには気を使っていたから、男が集まらないわけがなかった。そして花ちゃんは彼氏を作った。
今まで全然、気にも留めていなかったくせに。花ちゃんの良さは私達が一番わかってるのに。今まで花ちゃんがプリントを代わりに持って行ってあげても、ありがとうの一つ言わなかったくせに。男は現金だ。顔ばかり見て花ちゃんが可哀そう。
私はそう思っていたが、それは私だけだったようだ。
「最近あいつ調子乗ってない?」
 とマスカラを付けながら星ちゃんは言った。
「あいつ、最近男男ってそればっかり。今までずっと仲良くしてたのに、男が出来たからってあたしたちのこと捨てるなんてサイテー」
 私は花ちゃんが捨てただなんて思っていなかったから、驚いて何も言えなかった。星ちゃんは更に続ける。
「月子も言ってた、調子乗りすぎだって」
 月子というのはこのクラスのカーストの頂点に立っている女子だ。いじめを中学の時にしていて大問題になり、そこにはいられなくなったらしい。そしてこの地区に引っ越してきたとのことだ。全部噂でしかないけど、月子を見ているとあながち嘘じゃないんだろうかなどと思ってしまう。
「月子に、あいつ虐めようって言ってるんだ」
 星ちゃんは三日月のように目を細めて言った。
「可愛くなったからって自惚れんなよ、あいつ」



花ちゃんは学校に来られなくなった。
同じ頃、元母が外に男を作って出て行った。外で新しい家族と共に生きていくらしい。私はそれを私と父に対する裏切りだと思った。私たちに普段通りの顔で笑いかけながら、その実捨てる算段をつけていたのだ。確かに、母のアイシャドウが派手になってきていたことには気づいていた。それでもそれが男の出来たためだとは思っていなかった。男のために自分の顔を飾っていた母の顔を見るのが私は嫌になった。
そして私は自分の顔を鏡で見るのが苦痛になった。特にビューラーをする時に、うんざりした。私の顔立ちは元母に似ていたから、右目のまつ毛のカールさせるために鏡を覗き込んでは、いなくなった元母を思い出しては憎悪していた。自分の顔が酷く醜く感じた。
「あたしね、大学生になる前に整形しようかと思ってるんだよね」
 星ちゃんはシャーペンで歴史の教科書に落書きしながら言った。
「ちまちま整形するよりバーンとして、大学デビュー。それって素敵じゃない?」
 私は曖昧に笑いながら頷いた。大学デビューというものについていまいち、ピンと来ていなかったけれど。
「だって顔が人生のすべてじゃん。可愛けりゃ得するんだよ」
 ガリガリと星ちゃんは偉人の顔を塗りつぶしていく。
「でも先輩の雪さん、性格悪そうって言われるって悩んでたよ」
 私が同じ吹奏楽部に所属する先輩のことを思い出しながら言うと、
「あんたは馬鹿だねー」
 と言って、星ちゃんは鼻で笑った。
「じゃあ、美人が顔をブスにする? しないでしょ? 整形するのはブスの方。それを分かってて、言ってるんだよ。嫌味に決まってんじゃん、そんなの。気づかないなんて馬鹿だね」
 憐れんでいるかのように星ちゃんは言った。私はあまり頭が良くないからそういったことが分からない。でも胸がもやもやとした。



 私たちは卒業して、違う大学に行った。

「また遊ぼうね」

と星ちゃんは私に言いながら手を強く握ってくれた。私は涙をボロボロと溢しながら頷いた。

卒業してからも一緒に仲良くしようと言っていたけど、五月ごろに連絡しようとしたらブロックされていた。これは最近聞いた話だけど、星ちゃんはユーチューバーになって、東京で活躍をしているらしい。それとブロックされたことの因果関係は分からない。
当時の私は大学生活が忙しかったこともあり、星ちゃんにブロックされたことはショックだったけど、徐々に忘れていってしまっていた。
 それは六月ごろに新しいお母さんが来たことも関係している。父は交際の前に私にその女性のことをうちあけた。
私は父に新しい相手がいたことに驚きつつも、父が私をまっすぐ見ながら言った、
「お前が嫌ならば、もう会わない」
 という言葉に胸を打たれた。私のことを愛してくれているんだと心底思い、父の恋を応援することを伝えた。
 父は涙ぐみながら、
「ありがとう」
 と言った。父が薄い一重瞼をゴシゴシと擦りながら笑うのを見て、私は唐突にこの左瞼が好きだと思った。
父と同じ左瞼を持っているということが急に嬉しくなった。新しいお母さんとなる人を受け入れられるかは不安があったけど、それでもこの左瞼が私と父との絆だと思えた。



「あら、雌雄眼なのね」
 とその人は私を見て言った。

その人は二重ではなかったけど、しっかりとした一重瞼の人だった。シフォン地のピンクのワンピースはその人にとても似合っていた。初めて会うと会うこともあり、私は紺のスカートにシャツを合わせた割とフォーマルな格好をしていた。

初めての顔合わせ、少し高めのレストランでいい服を着て食事をする。そんなことは勿論初めてで、私は緊張しきっていたのだがその発言でポカンとしてしまった。
「左右違う瞼だと、目の形が異なるでしょう。そういう人のことを雌雄眼っていうのよ。雰囲気にミステリアスさが出るとか、角度を変えて顔を見た時に雰囲気が変わるって言われてるわ。有名な女優さんでもいなかったかしら、えっと」
 突然ペラペラと話し始めたから、私は呆気に取られたもののおかしくなって笑いだしてしまった。お洒落な器に乗った大きな海老も、華奢なグラスの中で踊る炭酸の泡も、私たちが打ち解けるには必要なかった。

そして私はひとしきり笑い終わったあと、この人が新しいお母さんになるのだろうと確信した。
 この瞬間から私は両方の瞼を愛せるようになったのだ。

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