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【ミステリ小説】セイレーンの謳う夏(3)

(あらすじ)民宿兼ダイビングショップ『はまゆり』でバイトする(顔のない)ぼくは、お客さんが不思議な生き物と遭遇したことを知る。
 『はまゆり』美人姉妹の妹、夢愛(ゆめ)さんは鋭い推理力も持ち主。ぼくはそんな夢愛さんが、駅前で男と言い争うのを目撃する。

  3 人魚のアリバイ

 八月の最終金曜日午前――
翌日の金曜日は、龍ヶ崎で行われるダイバーズ・フェスティバル準備のため、バイトたちも駆り出されることになった。

「今日はバディ組んでもらえないんですかぁ」
 まぁちゃんの言葉に後ろ髪を引かれながら、持ち場に向かう。
「午後からのダイブには、間に合うと思います」

 バイトが受け持つ仕事は三種類あり、「遊泳監視」、「水中ゴミ拾い」、「駐車場の整理」のどれかにくじで割り振られるという。
「水中ゴミ拾い」は実効性には疑問のあるパフォーマンスだが、涼しくて一番人気であり、炎天下で陽にさらされながら運転手からの苦情も受ける「駐車場整理」がもっとも人気がない。

 朝の八時半に、海水浴場の海の家に仮設された実行本部に集められたぼくらは、先っぽを箱のなかに入れた棒を選ぶように言われた。

     1/3 青

 おみくじのような箱から引き抜いた棒の先は青に染められていた。箱の中に三本だけの大当たりだ。

 ぼくは「遊泳監視」をやるように言われた。
 龍ヶ崎の海岸は、大まかに言って東半分が一般の海水浴客、西半分がダイビングに割り振られている。
 海水浴客用の遊泳区域は、安全ネットで周囲を取り囲まれていて、外海に出られないようになっていた。

 遊泳監視役は、ダイブ区域の東側にある遊泳区域で溺れている人がいないか見張る役目だった。
 金属のパイプで組んだ三階屋くらいの高さの監視塔の上から、双眼鏡で受け持ち区域を見張るのだが、午前中は遊泳客も少なく比較的楽な役どころだ。

 監視塔の上は平場になっており、緊急放送用のスピーカー、風の具合を見る吹き流しなどが側板に取り付けられている。
 通信用のトランシーバとちゃちなオペラグラスを持たされた。通信ならケータイで充分な気もするが、トランシーバのノイズが入った音声は、監視員らしくて格好いいなと一人悦に入った。

 今年のフェスは好天に恵まれるようだ。波も穏やかで秋が近い空は、明るく突き抜けている。
 赤の短パンに白のTシャツを羽織っていたのだが、シャツはすぐ汗でびしょびしょになった。それでも、紫外線からお肌を守るためにシャツを脱ぐわけにはいかない。

 差し入れのミネラルウォーターの、なまぬるくなった水を口に含む。
 監視役が熱中症になったらシャレにならないので、必ず補水するように厳命されており、水を飲んでいるかどうか地上から監視する、と脅されているのだ。

 龍ヶ崎は陸の孤島のように、最寄り駅から陸路で来るのが難しい。片道一車線の海岸沿いに走る十七号線が、シーズン中は渋滞するためだ。
 このため、夏期のみN港から定期船が運航する。朝一番の定期船は十時前に着岸し、混雑はその頃から始まるので今の時刻は比較的空いている。

 マリンジェットの轟音が静寂を破る。遊泳区との境界ぎりぎりを疾駆するため、波が立って浮き輪が上下する。
 転覆する浮き輪がないか緊張する一瞬だ。
 もう少し距離をとって欲しいが、彼らもだれかが見ていてくれないとやり甲斐がないのだろう。

 綺麗な空の下、青い海を眺めていると幸せな気分になる。
 子どもの頃のぼくは、この季節はいつも喘息で寝込んでいた。ほかにもいろいろと病気がちだったぼくは、かーちゃんに疎まれないよういろいろと取り繕ったものだ。

 喘息は呼吸困難を伴う発作が起こるため、運動も苦手で水泳は大嫌いだった。
そのぼくが初めてスキューバに出会い、水の中で呼吸したとき世界が変わって見えたものだ。
 アクアラングの発明者ジャック・イブ・クストー万歳。
 ぼくが感謝のミサを捧げていると、元漁労長の清水さんがとぼとぼと歩いて来て、塔の下から声を掛けてきた。
 バイト仲間にも受けの良い、面倒見がいい親爺さんだ。

「ちょっと頼まれてくれんかな」好々爺然とした印象で、赤銅色に焼けたその肌は年季が入っている。「ついさっき漁労の事務所に変な電話が入ってな」
 長年この龍ケ崎の網元として君臨してきた清水翁は、当惑しているように見えた。

「東の崎の立ち入り禁止区域に、車が一台入り込んだらしいんだが、そん中で誰か倒れていると言うんだ」
「寝てるだけじゃないですか?」
「わしもそう思うがの」
 清水さんはぺたりと禿頭を叩いた。つるぴかの頭に汗が浮かんでいる。
「放っとくと脱水症状を起こしてしまうし。ちょっくら行って、確かめてきてくれんか」

 龍ヶ崎の東端は、右手のほうに見えている。
 オペラグラスでのぞくと、上昇気流で海面の空気が揺らいでぼんやりとかすんでいる。確かに赤い車が見えるが、運転席の状況まではわからない。

 元漁労長の頼みとあらば嫌とは言えなかった。海を挟む直線距離なら五百メートルくらいで、一瞬泳いでいこうかと思ったくらいだが陸路だと大きく迂回しなくてはならず、億劫な距離には違いなかった。

 やれやれ。龍ヶ崎は北に向かって半円を描くようなビーチで、『はまゆり』の前にある西の突堤と、定期船が着岸する東の桟橋が両側から爪のように飛び出している。

 東の桟橋の陸側には、観光客用の駐車場がある。さらに東から海岸に迫る山波のたもとに細い突堤が伸びているが、この突堤へはビーチから直接歩いて行くことができない。
 問題の車が入り込んだのは、この東の突堤の先だ。ぼくは監視塔を下りると、一端陸側に向かって上り坂を歩き始めた。


     2/3 赤

 金曜日は、龍ヶ崎で行われるダイバーズ・フェスティバル準備のため、バイトたちも駆り出されることになった。

 バイトが受け持つ仕事は三種類あり、「遊泳監視」、「水中ゴミ拾い」、「駐車場の整理」のどれかにくじで割り振られるという。「水中ゴミ拾い」は一種のパフォーマンスだが、涼しくて一番人気だということだ。

 朝の八時半に、海水浴場の海の家に仮設された実行本部に集められたぼくらは、先っぽを箱のなかに入れた棒を選ぶように言われた。
 昔から優柔不断で決断力に乏しいぼくは、なにかを選ぶのが苦手だ。考えても詮のないことだが、別の選択肢を選んだときにはどんな運命になっただろう、とくよくよ考えてしまう。
 
 もしあのとき、別の道を選んでいた今とちがう自分がいて、すてきな女の子と楽しい毎日を過ごしていたのではないか。理性の声がいつも皮肉な口調で告げるのだが。
 ――別の道を選んでいても、おまえの現在は変わっていないよ、と。

     *

 ぼくが箱から引き抜いた棒の先は、赤に染められていた。当たりだ。
 実行性に疑問はあるが、デモンストレーションとしての水中ゴミ拾いは、涼しいうえにスキューバを楽しめるとあって人気の作業だ。
 広報活動として地元のケーブルテレビの取材もあるとのことで、発言には気をつけるよう注意を受けた。局のカメラや音声さんなども出張ってきているらしい。

 十人ほどのダイバーが、こちらに向けられるカメラに少し緊張しながら湾内の東端からエントリーし、水深五メートル程度の浅い海岸を西に向かってゴミ拾いをしていく。
 水中に入ると、コー、コー、という呼吸音が伝わる。一番好きな瞬間だ。
 朝の海は水温が低く、透明度が高い。すぐにイシモチの魚群に出会った。

 ついている。
 呼吸をコントロールし、中性浮力をとることで安定した体位を保持する。ゆっくりと息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら近づいた。こうすることで、魚が逃げる呼吸音をたてない時間を稼ぐことができる。

 頭の中のイメージではシャッター半押しのまま近づいてフォーカスをとっている。静かに近寄ったつもりだったが、次の瞬間、魚群はいっせいに身を翻した。 
 ちくしょう、逃げられた。うまくシャッターチャンスをものにできなかった。エア水中写真は失敗。

 注意深く海底に着床してゴミを探す。
 空き缶が一個、半ば砂に埋もれていたのを拾い上げて持参のネットに入れた。砂を巻き上げてしまうと、濁りがとれるのに時間が掛かる。
 以前、手元を見ずに降下し、ウニの棘のうえに手を置いたことがある。幸い棘が刺さることはなかったが、ウニの棘は返しがあるので刺さると引き抜くのは難しい。

 周囲を見ても、めぼしいゴミはない。水中写真撮影のシミュレーションで時間を潰す。
 デジカメはどんどこ連写すればいいのだが、つい貧乏性の地金が出てしまう。水中写真はメモリとバッテリが許す限り連写し、不要な画を捨てるのが基本だ。自分の貧乏性がうらめしい。

 始めたばかりとはいえ、ぼくが撮った水中写真は魚の正面顔か尻尾ばかり。
 図鑑などで見慣れた構図である、魚の横腹を撮るのは実は難しい。
 彼らはテリトリーに入ってきた侵入者を警戒して、顔をこちらに向けるか逃げ去るかなのだ。初心者であるぼくの構図は、正面顔かおしりが圧倒的に多くなる。
 だが、ぼくにとってその写真は重要な意味をもつ。ぼくがもっている障害の克服のため、「顔」に向き合う機会を与えてくれたのが、水中写真だからだ。

 相貌失認―― それがぼくの機能障害だった。
 かんたんに言えば、顔を識別することができないのだ。視覚に異常があるわけではない。
 目、鼻、口などのパーツはきちんと認識できる。ただその総和として、個々の顔の特殊性や表情を読み取ることができない。

 というか、ぼくにとっては個人個人で顔がちがったり、喜怒哀楽に応じて表情が変わっている、というのは頭で覚えた知識に過ぎず、実感としてわからないのだ。
 脳機能の障害で発症することもあるらしいが、ぼくは生まれつきだった。このため、最初は知育の遅れが疑われて、とーちゃんかーちゃんの不仲の一因にもなったらしい。

 役者さんがいろいろな役を演じている、ということがよくわからず、同じ人が別の服を着るとわからなくなってしまう。極端な話、かーちゃんが服を着替えると別の人かと思ってしまうこともあった。

 動物は他の動物と遭遇した際に、相手の感覚器が集合した部位である顔、表情から相手の行動を予測するため、二つの目と口に相当する三点を見ると、本能的に顔と認識してしまうらしい。
 これを”シミュラクラ”と専門用語でいう。なんでもない壁のしみが顔に見えたり、風景写真のなかに「顔」を識別してしまう心霊写真などは、この現象の実例だが、ぼくには無縁だ。

 小学生の頃、同級生は次々に服装を変えてぼくの前に現れ、別の人のふりをしてどれくらい長くぼくを欺していられるか、という遊びをした。
 当時助けてくれた友だちといえる男の子は、ひとりだけだった。
 福原ソウ君というその子の顔すら、ぼくは覚えられなかったが、彼はそのことを気に掛ける様子もなかった。ソウ君はやさしい雰囲気と言葉遣いの子だったが、今思えば親から体罰を受けることがあったのか、腕や体に打ち身の痕や痣があり、悲しいことにそれが彼を識別するのに役立った。

 悪ガキのひとり、体格がソウ君に似た子が彼のふりをしてぼくに教科書を借りにきたとき、ぼくには相手が偽物だとすぐにわかった。
 しかし、その子を突き飛ばして怪我をさせたため、ぼくは両親に連れられて相手の家に謝罪に行かねばならなかった。
 ソウ君が転校していったあと、ぼくは学校に行かなくなったのだ。 

    3/3 黒

 金曜日は、龍ヶ崎で行われるダイバーズ・フェスティバル準備のため、バイトたちも駆り出されることになった。
 バイトが受け持つ仕事は三種類あり、「遊泳監視」、「水中ゴミ拾い」、「駐車場の整理」のどれかにくじで割り振られるという。
 炎天下にアスファルトの照り返しの中で排気ガスにまみれ、ドライバーから苦情を言われこそすれ感謝などされない駐車場係が、もっとも人気がない。

 なにか不運に見舞われた際、もしあのとき十分速く家を出ていたら、もしあのとき右の道を選んでいたら、と思うのが常だ。ちょっとしたタイミングの違いで災厄は避けられたのではないか? 
 それでも理性の声がいつも告げる。別の道を選んでいても、どうせおまえは災厄に見舞われるのだ、と。

     *

 朝の八時半に実行本部に集められたぼくらは、箱のなかに入れた棒を一本選ぶように言われた。
 ぼくが引いた棒の先は、マジックで黒く塗られていた。昔からくじ運の悪いぼくは、順当に外れの駐車場整理に選ばれたのだ。

 龍ヶ崎海水浴場には海岸への入り口に第一駐車場、入り口の手前で外海側へ曲がる道から入る第二駐車場がある。
 第一駐車場はゲート式のコインパーキングで人手は要らないが、第一が満車になったあとに第二のほうへ誘導するため分岐路にひとり、第二駐車場にひとり整理要員が必要とのことだった。

 龍ヶ崎は、東京方面からのアクセス法が片道一車線の国道十七号線しかなく、不便なため車で来る人は少ない。
 通常は三十台程度で満車になる第一駐車場だけで充分だ。
 ダイバーは宿泊する民宿の駐車場を利用するし、日帰り客はN駅からの定期船で往復する。しかし、お盆休みとフェスの前後はそれでは足りなくなるため、便の悪い第二駐車場がそのときだけ使用されるのだ。

 駐車場の係は、まず先週の台風で木の枝や葉っぱなどのゴミが散乱したままになっている、第二駐車場の掃除をするように言われた。
 第二駐車場は東の﨑の付け根にあるアスファルトの平地で、白い区画線によって二十台程度の駐車位置が表示されている。
 駐車場からは幅三メートル程度の突堤に向かう側道が延びているが、先っぽは海に突き出してデッドエンドになっており、間違って車輌が入り込まないようトラロープが張ってある。

 しかしそのロープが緩んでいて、赤い車が突堤の真ん中あたりに駐まっていた。突堤の外海側にはテトラポットが設置してあり、釣り人が糸を垂れている。
 夜は花火などで入り込む人がいるらしく、打ち上げ花火の残骸があり、干潮時に露出する砂浜の近くにはバーベキューの残りらしい炭などが放置されていた。

 ぼくらは数人で、ポリ袋片手にゴミを集めて回った。
「あの車、注意しなくていいかな」
「うかつに注意したら、えらい目にあうで」

 もーやんと呼ばれている『カモメ荘』のバイトが答えた。
 夢愛さんが嫌っている関西ネイティブ。
 ぼくと同じS大の一回生だが文学部、浪人留年数年のつわものでもちろん歳上。将来の夢は吟遊詩人という変り種だ。通称もーやんの由来は聞いたことがないが、皆そう呼んでいる。

 もーやんが前に別の駐車場係になったとき、迷い込んだような車に注意したところ、中ではカップルがあの行為の真っ最中だったそうだ。
 男のほうが怒り出し、パンツ一丁で股間を屹立させたまま追い掛け回された、とのこと。

 釣りをやっている人の車にしてはスポーティだ。
 朝っぱらからコトに及んでいるとも思えないが、ぼくも他人には係わりたくない方だから彼の意見を尊重することにした。

 三十分ほど清掃をすると、目立つゴミはなくなった。そろそろ第一のほうが満車になるので、分岐路での誘導要員がいる。ジャンケンで役割を決めた結果、ぼくがその役になった。

 二台の車がやっとすれちがうことができる程度の、細い山道の途中に分岐点があり、そこにパラソルと小さな椅子を設置する。
 さらに麦わら帽を被り、タオルを首に巻き付けて強い日差しを避ける。トランシーバから第一駐車場の様子が連絡され、満車に近くなると道を上ってくる車の前で手を振って、第二のほうに誘導した。
 第二駐車場から海水浴場まではかなり距離があるので、歩いて行くお客さんに苦情を言われる。損な役回りだった。

 海が近いというのに、ちょっと離れただけで山の風景になるのが龍ヶ崎の面白いところで、波の音をかき消すほどにセミが啼いている。
 ぼくが準備していた五百mLのスポーツドリンクの水分は、あっという間に体を通過して汗になり、大気の中に融けていった。

 十時前になって誘導にも苦情にも慣れてきた頃、トランシーバのアラームが鳴った。
 慌てて送信ボタンを押して返事をする。第一駐車場とは別のチャンネルだ。
「こちら漁協の事務所。東の……に車が入り込んでいる……」

 トランシーバの音声はノイズが混ざって聞き取り辛い。
 そのうえ相手は高齢のようで滑舌が悪く、わからない部分がある。連絡ならふつうに携帯にすれば良いのに、と思いながら適当に返事をすると、
「救護センターから人を……るらぁ」

 一方的に連絡してきた。「らぁ」というのはこの地方特有の方言語尾だが、ぼくはネイティブではないのでなんだか要領を得ない。どうやら怪我人かなにか出たようで、救護センターの担当者がやってくるらしい。

 何事だろう? 
 と思いながら待っていると、数分してシルバーのワンボックスカーが海水浴場のほうから走ってきた。運転していた色の黒い男の人が目の前で車を駐め、手短に事情を説明してくれた。

「東の突堤に入り込んだ車の中で人が倒れている、と漁協の事務所に電話があったんだ」
「ああ、その車ならぼくらが配置に着く前から駐車してました。釣りをしてる人の車かと思ったんですが」
「じゃあ、車が駐まっているのは間違いないんだね」

 ぼくが頷くと、イタズラ電話ではない、と悟ったようで顔つきを引き締めて突堤のほうへ車を向けた。
 原住民らしきおばさん二人連れが、好奇心丸出しで話しかけてくる。
「なんか、あったの?」
「駐めていた車の中で、熱中症かなんか起きたようですね」
 ぼくの解釈を含めて答えると、
「まあ、熱いからねぇ。あんたも注意してね。飴ちゃんいる?」
 却って喉が渇きそうで丁重にお断りすると、「塩飴だから、塩分の補給にいいのよ。舐めときなさい」
 無理矢理押しつけられた。

「アンタ、秋月さんとこの人じゃないの?」
 飴おばさんの連れがぼくのほうを見て言う。
「『はまゆり』でバイトしてます。今日はフェスのお手伝いで」
 ご苦労様、とねぎらってもらえるものと思ったら、
「妹さんのほう、今日公民館に手伝いにくるはずなのに、まだ来ないって言ってたわよ」

 料理の下手な夢愛さんに炊き出しの手伝いをさせて食中毒でも起こしたらまずい、と判断した秋月さんが、婦人会が行っているステージ飾りつけの手伝いの役を回したらしい。
「あれ、八時頃に公民館へ行くと言って家を出たと思うのですが」
 サボって、どこかへ遊びに行ってしまったか。
「秋月さんとこも下の子はねえ。入れ墨なんかしちゃってねぇ」
 おばちゃんに、散々グチられてしまった。
(続く)
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