私が、自分の会社を選んだ理由。
noteを書くのは、とても久しぶりです。
内定者時代だからこそ、正直将来の事を考える機会がとても多い。本当にこの会社で良かったのだろうか。これから幸せに暮らしていくことが出来るだろうか。もしかしたら、他の選択が正解だったのではないだろうか。
あのときに、心の底から正しいと思っていた自分の選択に一種の揺らぎが出始めてる。
きっと入社してからも、悩んで迷って沢山落ち込むと思う。何で、私は採用されてしまったんだと思う日もきっとあると思う。
この記事は、将来の自分が道に迷った時に、常に原点に立ち返ることが出来るように記録していこうと思う。
①人との出会い
短期バイトで、とある人に出会った。今までに出会った事がないような魅力的な人で、こんな人になりたいと心から思わせるような人だった。年齢も、私とそんなに変わらないはずなのに、自分と生きている世界も見えている景色も全然違う人なのだと分かった。
今振り返っても、その人は道しるべのような人だったと記憶している。ここでこの人に出会わなかったら、世界にこんなすばらしい人がいるって事を知らないまま大人になっていたんだろうと思うと、怖くもなった。
理想の大人の具現化みたいな人が沢山いる会社に入りたい。そして、人間的に魅力的で価値ある大人になりたい。そう考えた。
②会社説明会へ行く。
私の夢は、「魅力的で価値ある大人になること」。だったら、そんな大人が沢山いる会社に行けばいい。早い話、その人と同じ会社にいれば、その確率はめちゃくちゃ高いはずだ。
そんな単純思考で、同じ会社の説明会に足を運んだ。
会社説明会は、これまでに行ったどんな会社の説明会よりも楽しかった。学生への正しい訴求や、人事の魅力、事業内容も勿論、すべてが完璧に思えた。
私が行きたい会社はここだと直感で気づいた。
ここに入社できれば、人生が変わるかもしれないと毎日わくわくした。何度も、入社することを妄想した。日常が少しずつ変わりはじめる。
③直面する困難
「人の魅力」のみならず、事業内容も魅力的だった。特に海外経験のある私にとっては、おそらく少しは選考を有利に進めやすい企業であることは間違いない。
しかし、現実はそう甘くなかった。倍率はおよそ100倍。採用実績大学は、難関国公立ばかりだった。
学歴の壁、インターンで爪痕を残せなかったこと、コロナによる業界大打撃、周囲の優秀な就活生たち。やっぱり、そんなシンデレラストーリーなんてないよなって何度も思った。
それでも、夢は捨てきれず、入社するためには惜しみなく努力した。参考資料は、ほぼすべて目を通したし、自分が納得できる志望理由を作り上げるのには半年かかったし、人事には企画書まで持って行った。企画書は、1ヶ月に一回の頻度で更新し続けた。
③最終面接での思い
最終面接は、豪華なイスに役員が6人くらいが座っていた。どの方も年輩で、私の能力値なんてぱっと見て判断できるのだろうと察した。この面接では、賢く思われなくても良い。とにかく、素直で一緒に働きたいと思われる学生を演じようとスイッチを入れた。
正直、最終面接は一筋縄ではいかなかった。これまでの面接が一問一答形式で、ずばっと質問にたいして答えを単刀直入に返していたものの、質問があまりにもふわっとしていて、答えるのに苦労した。6割位が、覚悟を問う質問だったと記憶している。
④最後に伝えておきたいことはありますかと質問されて
面接の終盤で、「最後に伝えておきたいことはありますか」と質問された。
馬鹿と思われてもいいからと、あふれる思いを伝えた。
・会社説明会にいって感じたあの胸の高鳴り。帰宅してから、白紙にこの会社に入社すると紙に書いて、ベッドと机の前に貼ったこと。ずっと、夢見たあこがれの企業だということ。
それでも、最後に伝えたいことは、感謝の気持ちだった。こんな私を、なにも持っていない私を、最終面接まで運んでくれたこと。そこで、沢山成長させてくださったこと。
涙声になって、言葉が詰まりそうになったとき、役員たちが一斉に顔を上げた。前の面接官は、少し笑っていた。気持ちが伝わっただろうか、いやもし落ちてももう後悔はない。ここまで、成長させてくれた企業に会えて、本当に幸せだった。
③無事内定をいただく。
7月上旬、内定の電話をいただいた。最終面接が終わってからは、スマホは手放せなかった。土日がひたすら長く感じた。月曜日になって、何度も何度もスマホの着信を確認した。14時頃に、電話がかかってきて、内定が告げられた・
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