どこに自由を求めるか

それこそ「自分のやりたいようにやる!」と自由を求めて独立開業した主人だ。そして私も右腕として夫婦二人三脚で、地方都市の郊外で小さな飲食店を営んで6年目に突入した。

自営業、フリーランスは本当に自由なのか?

私も主人もこの問には頭を悩ませYESを出した。

開業時は夢見ていた頃と同じように、「自分のやりたいメニューをやれる」「上の指示で接客しなくても良い」という働く内容においての自由を手に入れたように思う。私も出勤時間は決まっていなくて、体調や予約状況に応じて店に出る時間も私の意思で変えていいよと言ってもらっている。髪型も髪色もメイクも私のしたいようにして良い。私は働くスタイルの自由を与えられた。

が、1年も経たないうちに気がついた。
私たち自身の言動、身なりは店のイメージと直結する。例えば私が友人と繋がる個人のSNSアカウントで暇だのお客様の愚痴や不満をこぼそうものなら、友人には「暇なんだ」「店行ってこんな風に思われるの嫌だな」と思われるかも知れない。私はSNS中毒なので、徹底して店の愚痴は書かないようにしている。書きたいときもある、あるけど打ち込んではグッと堪えて削除する。
最初は好きなように出来ると思っていたヘアメイクも、清潔感を欠くことは出来ないし、派手なカラコンも客層には合わないから着けなかった。

経営が厳しくなってきた3年目あたりでは、いよいよ「自由」なんて思う余裕もなくなった。もし経営が上手くいき、思うままに使えるお金が潤沢にあったなら自由だったかも知れない。毎月の支払いに追われる日々の中では、例え体調が悪くたって、精神が荒んでいたって店を開けなきゃいけない。お客様が来なくたって、開けなきゃ売上は0なのだ。この頃は自由なんかじゃなかった。仕事に出れば給料が貰える、会社員のほうが自由なんじゃないのかとも思ったほどだ。

今年ようやく節目となる5周年を迎えて、開業時の融資も予定通り返済した。そこでやっと少し肩の荷が下りた。今でもかなり細々とした日々だが、「5年やってる飲食店」という土台を得たおかげで、店の名前を出しても外でやれることが増えた。地元のまちづくりに関心を持ち続け、集まりに顔を出してもちゃんと名刺になるものが出来たのだ。

3年目くらいなら、今みたいにこうしてnoteに色々書き綴ることも、不自由さを感じてガチガチになった頭では出来なかったかも知れない。

働きたいときに働けばいい
好きなことをやれる
会社を通さないでギャラを貰えるから稼げる

なんて、安易な自由さを求めて自営業やフリーランスになることは、私は賛成出来ない。そこに自由さを求めるならば、実績を作るためにたくさん働かなきゃいけないし努力も必要だ。不自由さを感じる場面があっても、そこを耐え忍ぶ忍耐力もなくてはならない。

どこに自由を求めるのか。
自分の思う自由とはなんなのか。

その自由を手に入れるため何が必要なのか。

何度も自問自答して欲しい。

しかしどんなに辛くて不自由な時期があっても、辞めたいと思うことはあっても「誰かの下で働くのはもう無理だね」と二人でよく話していた。私たちが重要視しているのは、自分たちの意志で店をやることなんだと思う。店を辞めるときが来ても、そのときは主人が「辞める」と決意したときであって欲しい。それが私たちの得た自由なのだ。

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