なぜ缶詰工場を作ろうと思ったのか。 その1

 「たぶん、沢山の方に聞かれたと思うんですが、なんで缶詰工場をつくろうと思ったのですか」と二人の方から問いかけられた。その二人の方にすれば、古本屋で飲食店の私が、なんで畑違いの食品製造業に手を出すのがよほど不思議だったのだろう。

 もちろん、今年の2月に文学カレー漱石をレトルトとして売り出したのは、大きな原因だ。様々な要因と幸運が重なり、あのカレーはほぼ完売することが出来た。完売!どれほどの利益を手にしたのか、多くの方は御思いになるだろうが、正直な話、ほぼとんとんというところだ。無料の広告媒体としては効果的だったろうが、商品販売としては冗談のような結果だ。原価計算というのを、商品が出来上がった時点からするような人間がやった結果、と書けばあまりにも利益が無いことに、少しは納得してもらえるかもしれない。

 身を持って知ったことがいくつかある。ひとつは、他社に製造委託をしてもらった商品を、発売して利益を上げようと思ったら、よほどの個数を製造しないと割に合わない、ということ。数万個という単位で発注しないと、なかなか勝負にはならない。物をつくるということの面白さを知った、というのも大きなことだ。日々料理をつくり、飲み物も提供し、あまつさえ本も書いたことがある人間の言葉とは思えないかもしれないが、恥ずかしなら本当だ。ムッシュ斎藤の手で試作を重ね、お互いの舌でカレーを磨き、それにレシピを添えて工場に発注した。工場はそれを元に試作品をつくりこちらに送ってくれる。出来上がった試作品と、ムッシュのカレーを食べ比べ「コクが足りないからスパイスを三割増しにしよう」とか「セロリを入れて香りを強めに」などリクエストを工場に返す。というやりとりを四度行い、ようやく店のカレーに限りなく近いレトルトが誕生したのだ。このやりとりだけで3ケ月を要した。

 パッケージデザインも、デザイナーさんの手を煩わせ(息子のパパ友)て、何度も変更をお願いし出来上がった。完成品が届いたときは、産まれて初めて、やりとげた、という満足感に心が満たされた。あの喜びは、私の人生にはないものだった。書いていて思ったのだが、一人でやる「ものづくり」と、他人が関わってやる「ものづくり」は、とくに一人っ子気質の私にとって、大きな違いだったのではないかと思う。早速開けて食べたのだが、ゴーサインを出した最終試作品と、出来上がったものとでは、微妙と呼ぶには大きな違いがあった。試作品といえど人の手が作ったカレーと、大量生産で機械がつくったカレーの、出来上がりに差が出たのではないか、というのがムッシュと私が出した答えだった。後の祭りとは、よく言ったものだなと、やや唖然としながら、完成品を見つめていた。

 とはいえ、レトルトは大量にあり、全て売り切ってもとんとん、という厳しい状況にも置かれ、これもある意味人生初の岸っぷちに立たされた。2月19日の夏目漱石の誕生日に正式発売、それに先駆けて二子玉川蔦屋家電で行われた「本屋博」で先行発売とトークショーをやらせてもらえることになった。これは大阪梅田の蔦屋書店にいるMさんが押し込んでくれたお陰で、人気者の銭湯図鑑の著者塩谷さんをお誘いし、なんとか乗り切ることが出来た。会場では、妻と息子(小学四年生)が販売をしてくれ、持って行った100個を完売するという幸先の好いスタートを切ることが出来た。この模様は読売新聞に紹介してもらえ、これも記者さんのご好意の結果で、私の人生というのが、人の好意に乗っからせてもらっている波乗りのようなもので、この先それをなんとかして他人に返していくのが、課題だなと思っている。

続く

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