馬橋盆踊りを始めたころ

 社会の存在を知ったのは、子供と盆踊りのお陰だと思う。白地図のような私の人生に、産婦人科や保健所、児童館や保育園、そして小学校と、色が付き、時とともにそれが濃くなっていったのは、子供のお陰で、彼の背中を追うようにして、私が関われる場所や人が増えていったのだ。

 ことしで七回目になる、馬橋盆踊りの主催団体は、高円寺北中通り商栄会という商店会だ。商店会という存在があるのは知っていたが、それに関わるようになったのは、くしくも子供が生まれた年、今の店に移ってきてから。商店会が何をするためにあるのか、なぜ存在するのか、全くわかっていなかった。副会長になった今は今で、責任ある渦中にいるからこそ、この問いを問われる側として、きちんと答えが出せているかはやや疑問だ。商店会の路上で、年に二階行われるフリーマーケットを手伝っていただけの私が、どうせやるなら近くの小学校の校庭を借りて、盆踊りをやりましょうよ、と言ったのはなぜなのだろうかは、よく覚えていない。

 「そろそろそういう時期か」と呑気に会長が言ったのははっきりと耳に残っているから、都合よく自分のことは忘れているだけだろう。言ったのは良いが、何をどうすれば良いのか、まったくわかっていなかった。無謀の隣には無知がいて、無知と無敵の相性が良いのは、今ならばわかる。近隣の自治会の会長さんに集まってもらい会議をしよう、という会長のアイディアで(そのころの私は自治会が何かも知らなかった)その場で盆踊りに賛同してもらったのは良いが、8月初めの開催を予定していたにも関わらず、その会議は6月の初めに開かれていた。説明する資料はなく、進むべき道筋も提示できていず、時間はわずか二か月。それでも賛成してもらえたのだから、みんな鷹揚だったのだろう。泥のような物から何かが始まる、典型のような話だった。形がないところから、何かをつくっていくという経験ほど、人を成長させるものはないので、ここで幸運を拾ったのかもしれない。

 この辺から私の中で「社会」というものの種が植え付けられたような気がする。社会とは難しく考えず、大勢のみんなと何かをやっていくこと、またはその過程、で良いのではないかと思う。一人っ子として生まれ、たぶん親には溺愛され、小さなころからスナフキンのようなすね物で、人と交わることを好まず、ひとり釣り糸を垂れているような人生だったので、商売の経験は長かったが、真に人と付き合い、こすれ合うという経験は、なかったのだ。

 会長は、自治会の仲のいい人に、イベントのやり方というのを習い、私は知人友人で協力してくれそうな方に声をかけた。孤独のグルメで知られている、久住昌之さん卓也さんの兄弟漫画ユニットQBBさんにはポスターを作ってもらい、ミュージシャンのオグラさんにオリジナルの盆踊りを作詞作曲してもらった。今、一緒に働いている斎藤さんには音響を頼んだ。都合よく忘れているが、たぶん、その他大勢の方々に声をかけ、ご協力いただき、そしてご迷惑をかけたことだと思う。この場を借りてお礼申し上げ、そしてお詫びいたします。

 盆踊りの開催ににこぎつけたのは良いが、当日、事故もなく無事終えることが、よく出来たなと思い返すことがある。それは馬橋小学校周辺に住み、様々な立場でこの盆踊りに関わってくださった方がもつ、個人としての力のお陰だと思っている。なぜなら、この盆踊りを、計画段階からすべて把握掌握出来ていた人間がだれもいなかったのを、私はよく知っているからだ。「だったらなんで全体の計画を立てないんだ!」ごもっとも。今ならわかるが、我々がやろうとしたのは、江戸時代の人間が、レシピもなく、食べたこともない、舌平目のムニエルをつくろうとしたのに似ている。舌平目はどんな魚か。ムニエルというのはどういう調理法か。何で味付けをするのか。その答えを、商店会の中ですり合わせることなく、各々勝手に考え行動し、その場その時で動いていたという状況だった。それでいて、舌平目のムニエルならぬ、盆踊りが出来てたのは、関わってくれたみんなの中にそれぞれの「盆踊り」という共通理解があったからだと思う。

 余談になるが、この成功体験をもとにその後、商店会の中で様々な活動を起こしていき、そしてことごとく失敗するのは「盆踊り」のような共通認識のないものを始め、そしてその認識を参加しているみんなに共有させることができなかった、私の無能のせいだと思っている。後ほど書くかもしれない「北中テレビ」など良い例だと思う。

 櫓をひとつ借りるのも、どこに行ってどういう手続きをすればいいのか、それを誰に聞けばいいのか?盆踊りまでの二か月間は?と!の連続だった。店の準備はおろか、店を開ける時間もなく、売り上げは前年比で半分に減ってしまった。そんなことに構うことなく、盆踊りの準備にのめり込んでいった。商店会も沸騰したスープのように煮えたぎり、人と人がぶつかり、大声で喧嘩をし、その結果、関係を深めてもいった。

 ふたを開けてみれば、初めての試みにも関わらず、馬橋小学校の校庭には二千人を超す人が来てくれた。今でもまざまざと思い出す、校庭に溢れるあの人々を。2012年8月3日、暮れいく空の下でのあの栄光は、私の人生にとって初めての社会的な成功体験だったのだと思う。社会的どころか、人生において初めての成功だったのかもしれない。あの日、あの時から、私の人生は走る路線を変え、今に続いている。これは確信しているのだが、盆踊りがなかったら、コクテイル書房はなくなっていただろう。そして、私の人生も今とは違う様相を帯びていたことだと思う。

 40過ぎの前厄に始めた盆踊りに、私は人生を変えられた。厄に向かって、おもいっきりぶつかっていったのかもしれない。とはいえ、しじゅうを過ぎて、変えられたでもないし、社会を知るでもないだろう、という思いもよくわかる。しかし、この文章を書き進める目標のひとつが、人はいくつになっても変われる、ということを実証したい、という思いがある。10代、20代、30代に、こなしていて当然の物や事、知っていなくてはいけない知識や常識、それらのことがすっぽりと抜けてしまっているいい年の男性や女性。もう先はないと焦れば焦るほど、立っている場所が揺らいでいく。どうやったら良いんだ、とストロング缶酎ハイを煽り、空を見上げても答えはない。答えは出せないだろうけど、ヒントくらいは拾ってもらえれば、と。

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高円寺にある古本屋と居酒屋がいっしょになった店、コクテイル書房を営んでいます。文学をテーマにしたおつまみやお酒を提供しています。店の外には本の交換が出来る「まちのほんだな」があり、お金を介さずに本を手に入れることが出来ます。2月9日には文学カレー「漱石」をレトルトで発売します。
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