見出し画像

大事な順番は、人、言葉、本

 先ほど投稿したツイッターに関して、年上の友人からメールをもらいました。投稿は以下に上げます。

言葉を綴じて纏めた本。素晴らしいが、とっつきにくく感じる人も多い。端正な佇まいは、ときに閉じているようにも感じる。だから本の街よりは言葉の街。書き言葉も、話言葉も大事。本を読まない、読めない人も参加してほしい。違う言葉を使っている人も仲間。大事な順番は人、言葉、本。

これに関して友人から言われたのが主に3つ。

・この3つに順番・序列などつけられないのではないか。
・人、言葉、本がお互いに手を取り合う、丸く手を取り合って共鳴し合うというのが本意ではないのか。
・「大事さでは本が一番下」と言われてしまうと、本に関わっている人間などはムッとしてしまう。

なるほど、と思いながらも、自分としてはあえてこの順番にしたので、その辺のことも書いてみます。書いてみたら、という助言もいただきました。本当にありがたいことです。

古本屋を長いことやっていて「この人は人よりも本のほうが大事だと思っているな」という人が結構います。本はとても美しく、物としてだけでも、十分満足するので、致し方ない面もあるのかもしれません。こういうタイトルの本を出している大学の先生もいますから、一部の愛書家の間ではそれなりの共通の認識なのかもしれません。こういう方に向けて、本よりも言葉、そして人が大事とまず言いたいです。

次に本よりも言葉ということに関してです。読書会をやっていて、コミュニケーションを通して、コミュニティが作られていくのだな、と実感しています。関係は言葉の先にあったのです。これは知人に教えてもらった読書会を長く続ける秘訣「読みたい本を先に挙げて、参加者を募る。人を集めてから本を選ぶと続かない」というのにも通じる話です。まさに、言葉が先にあったのです。

神の言葉を集めた「聖書」や「コーラン」。様々な仏典。悪い例を挙げれば「我が闘争」を掲げたナチスドイツ。言葉から本から生まれたコミュニティの団結は強いのです。

集団の核になる本も、種はだれかの言葉からできました。この人の言葉を後々まで残さなくては、という思いから様々な試行錯誤を経て、現在のような紙の本になりました。プラトンの『饗宴』の読書会をしたときです。数千年の時を経ても、あそこに書かれた言葉には熱があり、その感動をみんなの前で話をしました。感動の元には、プラトンが持った、ソクラテスの言葉を残さくてはいけない、という強い思いがあったはずです。本よりも言葉の方が大事、というのはこのようなことです。

貴い人たちの言葉を残す本はとても貴重で、言葉が本になるには並大抵のことではありませんでした。「戦前の小説で、数千部なんていったら大ベストセラーだよ」と先輩の古本屋から聞いたことがあります。近代の印刷技術が整った時代でも、本というのはそういう物だったようです。

現在はどうでしょうか。出版不況とはいうものの、街には大型書店があり、そこには沢山の本が並べられています。佇んでいるように見える書架ですが、日々入荷される本、返品される本で、蠢き、動き、書架は川のように流れているのです。貴い言葉をまとめた本を探すのも一苦労する時代です。

さらにいえば、そのような言葉を本にするのですか?と疑問に思うような本も少なくないと言われています。特定の国やそこに暮らす人々を、扇動的な言葉や、不正確な情報で、あげつらうような本など。その本の中にある言葉は、特定の人にとって、悪意としか取りようがないのではないでしょうか。

こういう世の動きに、少しでも抗うために、あえて私は、大事な順番は、人、言葉、本、と書きました。

言葉の街は、読書会を通して、コミュニティをつくっていきます。今は、私と、西荻の古書店で働いている杉田さんの二人だけです。二冊読書会をしました。楽しい時間でした。読書会のメンバーを募集しています。


この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?