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僕の叔父さん


突然だけれど、今日は僕の叔父さんの話を書こうと思う。
叔父さんといっても、それぞれにたくさんの叔父さんたちがいるのだけれど、それぞれの叔父さんたちのことを書こうと思う。

僕の親戚たちは、どの家も元々は農家で秋田で米を作っている。
米を作っている農家などは珍しくも何ともないが、うち叔父さんたちはやり続けているという意味で今となっては貴重な存在になっている。

例えば、叔父さんの1人は、今でもニワトリを飼っている。
農家がニワトリを飼うなんて、珍しくも何ともないが、今でもニワトリを飼っている農家はほとんどない。
この辺りでは、その叔父さんしかいない。
近頃、なんでも蜂を扱ってみることにしたらしく、つい先程、蜂小屋を見させられてきたところだ。
この叔父さんは、ニワトリと鳩と蜂と鯉を飼っていて、野菜や花を育て、プロの庭師でもあり、専業農家だ。
僕の父の兄にあたる。

また別の叔父さんも専業農家で米を作っているが、米以外にも野菜や花を作って売っている。
お正月に飾る締め飾り(しめ縄)も作る。
しめ縄の全ての材料も手作りだ。
麻を育てて刈って干す。
縄を手で編んで作る。
飾りの一つ一つの材料も山から採ってくる。
1月から来年のための飾りを作る一年がかりの仕事だ。
年末にはお得意さんの企業を回り、一般向けにはテント小屋を建てて路上で売る。
僕が子供の頃は、雪の中、しめ縄売りの小屋が立ち並ぶのが冬の風物詩だった。
今では、叔父さんが唯一の存在となっている。
この叔父さんは母の兄だ。

また別の叔父さんは、しめ縄の叔父さんと一緒にしめ縄を作ったり、売ったりしていた。
この叔父さんも専業農家。
いつも穏やかで、ニコニコとしていて、よく喋る奥さん(僕にとっては叔母さん)と夫婦いつも一緒。
軽トラで移動して、人の手伝いをしながら自分の仕事もこなした。
叔母さんがよく喋るので、いつもその隣でニコニコと座っている叔父さんだった。
この叔父さんの家は、旧家で、もともとは馬を飼っていて、つい最近までは囲炉裏もあった。
武家屋敷に行っても叔父さんの家と一緒じゃんと目新しさを感じないくらいに、当時からの大きな家でずっと暮らしていた。
この叔父さんの田んぼではこの時期、ホタルが舞う。
大きな栗の木を持っていて、秋には大きな栗がゴロゴロ採れる。
こういう叔父さんも今では珍しいのかもしれない。
この叔父さんは、父の従兄弟で、母の姉の旦那さんにあたる。
僕にとっては両方とも血が繋がっている不思議な関係で、僕の祖父は、この叔父さんの家からお婿さんとして嫁いでいった人になる。
なので、父系を辿っていくと僕のルーツはこの叔父さんの家に辿り着く。
僕の名前の一文字は、この叔父さんの家で代々使われる文字が入っている。
この叔父さんが先日亡くなって、今日が葬儀だった。
叔母さんが亡くなって1年半。
1人でどうやって生きていけばいいんだと言いながら、1年半頑張った。
一周忌を立派に堂々とやり切って、亡くなった。
叔母と話をするためにイタコさんに行こうとしていたぐらいだから、今頃会えて喜んでいるに違いない。

僕の叔父さんたちは、それぞれの場所で自分の田んぼを持っていて耕し続けてきた。
それぞれが、先祖から引き継いだ農地や風習や技術を絶やさないように(と意識しているかはわからないが、結果的には)生きてきた。
やり続けることというのは、誰にでも出来そうで出来ないことなのかもしれない。
数十年前は当たり前に、この辺の人たちが送ってきた自然との関係性で生きるという暮らし方をしている人が、ほとんどいなくなっている。
あと10年もすれば、実質的に、こういう暮らしをしている人はいなくなってしまうんだろう。

叔父さんたちも、何かを伝えたがっている。
僕に会うと嬉しそうにいろんなことを教えてくれる。
僕が子供のときに当たり前にあった親戚付き合い。
畑で採れるものを中心とした暮らしの中での食事。
たくさんの行事。
叔父さんたちのこどものときの記憶。
そういったたくさんの時間の積み重ねの中で、一緒に共有できていた一つの時代が終わろうとしているんだ。
葬儀というのは、一見哀しい行事だけれど、その想いを共有する優しい時間なんだな。

叔父さんたちからいろんな話を聞くことができるのは、あとどれくらいだろう。
そんなことを感じながら、葬儀や法事といった人が集まる風習に、凄く大切な意味合いを感じる。
一周、三回忌、七回忌と定期的に時間を置きながら集まるこの仕組みが凄いなと。

叔父さんどうもありがとう。
安らかに、ゆっくりと休んでください。
合掌。

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