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もう桃源郷はないとしても【短編小説】【旅とわたし】

「二人の初めての共同作業です。どうぞ皆さま、前の方へ」

カメラやスマホを手にした人たちが、にわかにあちこちで立ち上がる。こっち向いて、いいね、わぁかわいい、口々に言う。ケーキカットって。ベタかよ、と心の中でこぼして、でも遠くから、細長いナイフを持って顔いっぱいに笑みの溢れた紗由美を晶(アキ)は眺めていた。

「アキ、行かないの?」

隣で立ち上がった英子が言う。

「私はいいや」

紗由美とはもうほとんど3年振りだ。
カメラ片手に人だかりに埋もれていく英子の背中を見送って、晶はあの旅行を思い出していた。紗由美と二人で行った小さな島。季節外れの真夏日みたいな太陽の下で。あの旅行からもう、3年も経つのか。

***

「うわっ、陽射しやばくない?」

空港を出てすぐにムッとした熱気に包まれ、晶はいとも簡単に高揚した。

「これ絶対半袖、なんならノースリーブ」

「来たね常夏」

「最高」

それぞれが着ていた長袖のパーカとカーディガンをその場で脱いでリュックにしまい、とりあえず半袖一枚になって出発する。どうにかしてこの、当たり前みたいな顔した暑さになるべく早く馴染みたかった。

3年半前の11月、晶は紗由美と二人で沖縄に行った。
降り立ったのは石垣島。初めての沖縄なのに、晶たちは本島をすっ飛ばした。目当ては、石垣島から船で行く竹富島だ。

2ヶ月ほど前、深夜に何気なくつけたテレビ番組で、晶は初めて竹富島を知った。写真家の妻でモデルの女性が竹富島の水牛車に乗って、三線の音色に耳を傾けながら言っていた。「ここでなんにもしないのがいちばん贅沢」と。

旅行に行った先で何もしないなんてそんなもったいない、と晶は思ったけれど、番組を見ているうちにいつのまにか、ここに行かなくてはいけないと強く思うようになった。それはほとんど焦燥感に近いものだった。さほど旅行好きじゃない晶にとって、初めての感覚だった。

番組では旅の間、自由な猫みたいに軽やかにくつろぐモデルの女性を、写真家の夫がフィルムに収め続けた。写し出される竹富島の鮮やかな景色と日に焼けた女性が美しくて、「ここで何もしない贅沢というものを体験したい」、晶はそう思った。

晶と紗由美は全然似ていない。
一本気な紗由美と移り気な晶。マイペースな紗由美とせっかちな晶。
でも不思議と気が合った。一緒にいるときは話題が尽きなかった。ハマってる漫画の話、お気に入りのカフェの話、忘れられない恋人の話、最近好きになった人の話、憧れのクリエイターの話、やりたいこと、夢の話。

あのね夜中にこんな番組を見てね、と晶が鼻息荒く竹富島の話をすると、紗由美は目を見開いた。

「待って。すごい。それわたしも見た。絶対行きたいって思った」

***

石垣島にいるときにTシャツすらしゃらくさくなって、見つけた雑貨屋で麻のノースリーブワンピースとビーチサンダルを買い込んだ。竹富の民宿に着いたらすぐに着替えてそのまま畳の上に寝転んだ。

半分くらい一気飲みして置きっぱなしにした麦茶のグラスがすぐに汗をかく。じっと見ていると、氷がカラリと音を立てた。

「桃源郷じゃん」

「これぞまさに」

晶も紗由美も現実逃避していた。
服飾を学ぶ紗由美は卒業制作に向けた大量の課題を、文学部の晶は卒業論文を、東京に置いてここに飛んできたのだ。

二人して長い髪の毛を頭のてっぺんでお団子にして外へ出た。照りつける陽射しを首筋に受け、無防備すぎて倒れるんじゃないかと心配されそうな恰好で島をぐるりと散歩した。これまた二人して、カメラを首から下げている。姉妹みたいだ。

真っ青な空をバックに連なる赤瓦の屋根。規則正しく並んだ石垣に囲まれた古民家のあちこちに、大小さまざまなシーサーが鎮座している。いつもあんなにお喋りなのに、このときはどうしてかほとんど無言で写真を撮り続けた。写真を撮っていないときはただぼんやり歩いた。それぞれが好きなように歩いていたから、いつの間にかだいぶ離れたところにいた。

「ねぇ見て。これ乗っても大丈夫かな」

晶は大きい声を出して、後ろの紗由美に話しかけた。
唐突に目の前に現れたのは大きな樹の枝に縄をかけて作られた原始的なブランコだった。

「うちらが乗ったら切れるんじゃない?」

追いついてブランコを観察した紗由美が言う。

「そしたら逃げよ」

「だめだそれは」

おそるおそるブランコに乗った。交代で押し合って、切れる切れる!なんてきゃあきゃあ言いながら。

島中を見渡せるそれほど高くもない展望台に上る。
二人は空と海の間にいた。
なにもしなくてよかった。じゅうぶんだった。

砂浜に辿り着くころにはほどよく疲れていて、二人とも木陰に寝っ転がって昼寝をした。野生の猫たちもあちこちでからだを伸ばして転がっている。沖縄の離島で猫とお昼寝するなんて、晶はまさか考えたこともなかった。

宿泊する民宿で夕ごはんを食べたあと、庭先に出された椅子に座って二人でタバコを吸った。昼間の暑さは和らぎ虫の声も聞こえて、そういえば今は秋だったと思い出す。

なんてことだ。最高の夜だ。

タバコを咥えてゆっくり吸い込み、上を向いて真っ黒な空に向かって煙を細く吐き出した。それから「ハブに注意!」の看板に怯えながら海まで夜の散歩をする。防波堤の先に寝転べは、広がるのは天然のプラネタリウムだ。

「これは…好きな人と見たいな」

あまりにもきれいだったから、つい言ってしまった。

「それだよ。彼氏と来たら?」

「いいね、いつか来たい」

「わたしも来たいなぁ。そんな日が来るかな」

昼間は太陽と海の煌めきが眩しすぎて思い出さないようなことでも、満天の星空のもとでは本音を隠せない。

来たいな、一緒に。いつか。

紗由美は大好きな彼と別れたばかりで、晶はずっと片思いしていた彼と付き合い始めたばかりだった。
二人は降ってきそうな星空の下で、それぞれ別の意味で、同じ言葉を言い合った。

***

桃源郷は3日間限定だった。
私たちは旅のあと、それぞれの現実にちゃんと帰った。

紗由美は彼とヨリを戻すことになり、いつか竹富島に行こうねって彼と約束したよ、と報告があった。
それから無事卒業制作を完成させ、紗由美が尊敬するデザイナーのブランドに就職することも決まった。順風満帆とはこのことだろう。

披露宴は今、お色直しの最中だ。会場に紗由美の姿はない。プロジェクターで映し出された新郎新婦のこれまでを振り返るスライドを見ながら、晶はずっと考えていた。自分と、紗由美のことを。会わなかったこの3年のことを。

スライドは新郎の赤ん坊の頃の写真から始まった。四角い画面の中で、新郎がすくすく成長していく。

私はきっと嫉妬してた。
紗由美の素直なところも、結局は一番大事な人を手に入れたことも、好きなことに打ち込んで充実した毎日を送っていることも。

仲間内の飲み会で会っても目を合わせることも出来なくて、「最近どう?」のLINEは既読スルーした。私が目を伏せたそこには、私の知らない紗由美の気持ちがあったはずなのに。知ろうともしないで、私はバカみたいにずっと嫉妬してたんだ。始末が悪いことに、長らくそれを認めることもできなかった。

スライドは新郎が立派な社会人となったところで今度は新婦のパートに切り替わる。

だからね紗由美。
壁に大きく映る幼少期の紗由美に晶は話しかける。
だから私、全部、見えないところにしまい込んだ。島で買ったワンピースも、あんなにたくさん撮った写真も、全部、引き出しの奥に閉じ込めた。
もう二度と戻ってこない彼と過ごした日々のことも、一緒になかったことにしたかった。東京で一人の夜に思い出すとつらかった。会えない人に会いたいだけの夜になってしまうのがこわかった。紗由美も、彼も、自分の近くにいるって信じて疑わなかったあの完璧な星降る夜のこと。そんなのもう、眩しすぎて近くに置いておけなかったんだ。

新婦のパートでは、家族、友達、仕事仲間など、写っている人へのメッセージが写真に添えられていた。紗由美は丁寧に、それぞれの写真に感謝の言葉を載せている。

ねぇ紗由美、証明してよ。
晶はなおも語り掛ける。
桃源郷は続かないけど、あなたたち二人の間にあるものが永遠だっていうことを。そんなものないって、ないってわかってるからいっそ思い込んで。思い込んで、思い込んで思い込んで、本当にすればいい。
見つけるから。私も今から探すから。

スライドは紗由美の大学時代まで進んでいた。紗由美の大学で行われたファッションショーに出演したときに知り合った晶や英子の写真も、ここで何枚か映った。続いて見覚えのある青い空と猫の写真。晶の心臓が跳ねる。
真っ赤なハイビスカスに水牛車、それから石垣の横を歩くワンピースにお団子頭の後ろ姿。メッセージが浮かび上がる。

『ここはもう桃源郷じゃないけれど、わたしはずっとアキがだいすき。』

***

スライドが終了して明るくなると、お色直しを終えた新郎新婦が入場してきた。

「ちょっとアキ、すごい顔」

新郎新婦に拍手を送りながらギョッとした英子がこちらを見て言う。
晶は差し出されたティッシュで鼻をかんで、涙を拭いて滲んだ視界をどうにかこうにかクリアに戻す。高砂席から紗由美がこっちを見てるのがわかった。くすくす笑ってる。

紗由美が声に出さずに何か言う。くちびるを読めってこと?こっちを指さしながら何度もゆっくりくちびるを動かす。わかんない。

「わかんないよ」

晶は鼻を啜って小さく言った。

「かお、ブスになってる」

そこそこ大きな声で、紗由美はケラケラ笑って言った。目尻を拭って、ちょっと鼻の頭を赤くして。

「なにそれ。むかつく!」

つい大きい声を出して応戦した。前のテーブルに座ってるグループが驚いた様子でこちらを見る。なんだか気持ちがいい。

素直じゃないんだ。素直じゃないけど、そんなのずっと紗由美はわかってる。私もわかってる。

私たちはずっとこうだった。
ずっとこうだったし、たぶん、これからもこうなんだ。いつの間にか大人になって、夢みたいなことばかり言ってられなくなったけれど。

もう桃源郷はなくても平気。
忘れないから。忘れないまま、私たちはここで生きていけるから。

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子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!

ありがとうございます!ポテチあげます!
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閉じ込めるしかなかった想いを成仏させたくて言葉を吐き出す日々。誰かの物語は自分の物語でもあるし逆もまた然り/20代前半に演劇かじる。結婚前はPR関係のお仕事を少し/noteではコンテンツレビューやエッセイや小説を/note【紅茶のある風景】コンテスト入選
コメント (8)
こんにちは世界さん
祈るような気持ちで読んでいただけた…!?
ありがとうございます!!
ようこさん
なんと!そんな嬉しいことを…😭✨😭✨
マガジンにも入れてもらい感激です!!
ありがとう~~~😭♥♥
すごくすごく面白くて素敵なお話でした~~!!!!ずるい!こんなの!笑 素敵な作品ありがとうございます❤
こはるさん
初めまして、コメントいただきありがとうございます!!
そんな、ずるい!まで言っていただけて笑、とても嬉しいです✨✨
良かったらまた読みに来てくださいね✨
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