見出し画像

私にとっては"好きな監督"、落合博満

コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。

今回は、鈴木忠平さんの著書『嫌われた監督』について、記します。

2021年09月の発売後、どの書店でも売れ筋商品として紹介されている状態で、(記憶の限り)1995年から中日ドラゴンズの試合を見ていた私にとっては、容易に中身が理解できるものです。加えて、自身が2004年に高校入学→2011年に大学卒業・新卒で就職しているので、青春のシーンを想起させてくれるものでもあります。とはいえ読む時間を作れなかったもので、2022年の02月に読み始め、一気に読み終わりました。

落合さんは信子さんあっての落合さんだとも思っていたものの、それにしてもチームを勝たせようとするための執念・冷徹さと記述がありますが、監督としての仕事のレベルの高さを改めて感じました。当時の白井オーナーの判断は大正解です。

私がとりわけ申し上げたいのは、川崎憲次郎と福留孝介の章です。
順番前後します。

福留孝介

2021年から14年ぶりに中日ドラゴンズに選手として復帰した福留孝介。2006年にはセ・リーグの最優秀選手賞(MVP)を受賞しました。
打率.351、31本、104打点でチームは優勝。3番バッターとして異論なしの大活躍です。

その年、福留に変化があります。監督である落合博満に対し、心を閉ざしてしまうことになりました。
ただ、一般的な"心を閉ざす"と違うのは、自身の仕事においては必要な言葉を重ねるということです。具体的には、広島東洋カープの前田智徳の打撃作法を参考にしてはどうかという勧めに従い、福留は前田から吸収しようと行動し、結果、大活躍となりました。
無視を決め込んだりするといったことはありません。

私には、自身の個人的な感情を極力排して仕事の事象だけに割り切って接するだなんて、できないと思います。
思いますという表現にしたのは、過去、嫌いでも吸収したいと思える人に巡り合ったことがないためです。

過去、私の仕事に対して厳しい言葉でフィードバック(注意、叱責)をしていただいた方は何人もいました。
しかし、言葉がきつくても言っている内容に筋が通っていた人は、その時以外は穏やかであったり、いい時は褒めてもらえたので、心を閉ざすこともありません。本音に近い進路相談などもしました。
一方、大きな割合で納得いかないことを言っている人には淡々としていましたが、私は、仕事上の人でも、好きと嫌いはほとんど一致します。

企業の採用担当者が、一緒に働きたいのは“人間として信用できるかどうか”だと言っていることがあるように、仕事するにあたっては信用できるかできないかが大きく関係します。

そんな中で、128ページに記載がある、

「この世界、好きとか嫌いを持ち込んだら、損するだけだよ」

という福留孝介の言葉には、これがプロフェッショナルベースボールプレーヤーだよなと、感服しました。
自分が中日ドラゴンズに憧れたきっかけを作ってくれた人を解雇することに関与した人物に好感を持つことは難しいです。不信感を持つのが自然です。私だったら、アドバイスを受けても割り引いて聞きます。

それでも、自身の仕事のためにそのことは持ち込みません。
自分に、こんな感情を持てる日は来るのか。人間としてはそうは言えなくても、自身の技術を間違いなく高めてくれる人に対して、このように割り切って接することができるか。このような経験、できる人の方が少ない気もします。

そう、本書には落合監督は完全に選手を駒として見ているという記述がありましたが(331ページ)、福留も福留で自身の価値向上のために上司も駒として見ていたという見方もできます。
そう考えたら、将来、福留孝介の監督就任も十分にありえる話でしょう。落合監督の薫陶を受けており、MLBや阪神の経験もあります。

さて、福留が中日に憧れるきっかけとなった、串間キャンプでボールをくれたスタッフです。2005年オフに解雇されたということは、もう中日球団はそのスタッフには1円も給料を払わないことを意味します。

そのようなことがあったから、2006年オフの契約更改に際して福留はこう言ったのでしょう。業績不振ならまだしも、少なくとも自分は堂々と胸を張れる成果を残した。それならば相応の給料を払うのが筋だろう、そうじゃないと納得できない。話がつながりました。

「評価は言葉ではなく金額」

2021年には、1998年ドラフト指名選手では残り02人となり、その2021年でもう1人の松坂大輔(埼玉西武ライオンズ)が引退しました。
松坂と同様に、MLBや国内他球団を経て、デビューした球団を最後の舞台としようとしています。
それが、中日ドラゴンズで、本当によかったです。

川崎憲次郎

田端信太郎さんが、ビジネス書を読んで泣いたのはこの『嫌われた監督』が初めてだと言います。シーンは荒木雅博のヘッドスライディングのようでした。

実は、私も『嫌われた監督』の川崎憲次郎の章で、嗚咽漏らして泣いてしまいました。しかも電車の中でです。

まず、川崎憲次郎の中日ドラゴンズ入団経緯はこの記事が大変参考になります。

4年で出て行ってもらっていいと、監督の星野仙一も言っていました。こうして、FAという、高い結果が求められる形で中日ドラゴンズの一員になった川崎憲次郎。
私も、その04年後が楽しみでしたよ!川崎?野口?いや、川上がエースになって開幕投手になっている?などと思っていたわけです。
しかし、2001年の開幕ローテーションに川崎の名前はありませんでした。オープン戦で肩を痛め、戦線離脱となったのです。

結局、2001年は2位から5位に沈みました。川崎が1試合も投げなかった。中日ファンは、不満を持ったはずです。
いくらなんでも来年は投げるだろう。そう思い、2003年の秋になりました。私は、中学3年生になっていました。

けがをしたとは言え、いくらなんでも年俸2億円で3年間0試合登板は許されんだろう、と厳しい目になっていました。
2001年オフに横浜からFAで獲得した谷繁元信が期待にたがわぬ活躍だったことも、川崎への逆風を強くしました。

しかし、2004年から監督を務めることになった落合博満の考えで、川崎は運よく表舞台に立つことができました。
監督が別の人なら、それこそ4年間で0試合登板で退団という、不幸度合いがさらに増した事例になりかねないところでした。

2004年04月02日(金)は、私はカラオケに行っていたはずです。曲待ちの時に友人が携帯電話を見て驚きの表情になり、中日の先発は川崎憲次郎だと言うのです。
いや待てや開幕戦だぞ川上憲伸の間違いだろ何言ってんだこいつとなりましたが、帰宅してテレビをつけ、ハイライトシーンを見ると、KAWASAKI #20のユニフォームを着た人物がマウンドに上がり、投げていました。
川崎は広島打線を抑えられずに降板しましたが、結果的にその試合は逆転勝ちしたため、

「落合さん、マジでオレ流だわ、こりゃ期待できるぞ」

と感嘆したのでした。本当に、黄金時代の幕開けとなった日でした。

正直なことを申し上げると、川崎は高収入もらって満足しきっているのではないかとも私は思っていました。
しかし、読んでみると、まったくそんなことはなく、少しでも挽回しようと、痛む身体と戦っている姿が描かれていました。
01月02日(金)からナゴヤ球場で練習するぐらいです。

そうして、私が泣いてしまいました。48ページです。

まだ一回表である。冷静に見れば、勝敗を左右するとは言いがたい場面での、一つの併殺打に過ぎなかった。だが、その何の変哲もないゲッツーに、かつての沢村賞右腕は感情をむき出しにして、右拳を強く握った。

FAで移籍してきたのに1軍にすらいられない。やっとの表舞台、感情が爆発する。
考えてみれば、それは私が大野奨太に特別な感情があることも関係あります。北海道日本ハムでキャプテン・選手会長を務めて日本一にもなったのに、FA移籍後中日で正捕手になれていないまま04年経過。減俸のうえで05年目になりはしましたが、運が悪いともっと前の段階で退団になっていた可能性もあります。Aクラスになった2020年、0試合出場でしたからね。
期待値を大きく下回る実績になってしまっている。それを跳ね返そうと、もがいている。

私も、順風満帆で表舞台で輝き続けたキャリアではありません。前職離れて環境を大きく変えることができた際には喜びがひとしおであり川崎の気持ちがわかりますし、きっとまた大きなチャンスが来たら思いっきり吠えて向かっていくはずです。
その涙でもありました。

同時に、川崎憲次郎の章を読んでいて、大いに影響を受けたと思う人物が思い浮かびました。
土谷鉄平です。

土谷は2000年のドラフトで中日に指名され入団しました。同じタイミングで川崎がヤクルトから中日に移籍してきたので同時に入団になるのですが、ふたりとも、大分県・津久見高校の卒業生です。

その高校の先輩の存在は大きな安心感をもたらしたものと推察します。ただ、予想以上に川崎先輩も2軍にいた。
そんな中で肩の痛みと戦い、巡ってきた1軍マウンドにて限界以上の力を出そうとして最後まであきらめなかった先輩の姿を忘れることはないと思いたいです。

その土谷は福留たちの外野には割って入れませんでしたが、2006年から東北楽天に移籍。活躍の場を得ました。
2009年に東北楽天は2位になりますが、首位打者・鉄平抜きには語れません。

川崎と鉄平の関係も良好のようでよかったです。

あわせて読みたい

私が『嫌われた監督』の前後に03冊読んでいたことも、理解度を増す一因となりましたのでご紹介いたします。

『なぜ日本人は落合博満が嫌いか?』

違う人物が落合監督について記した本ではこちらもおすすめです。出版は2010年の在籍中でしたし、何より読みやすい。

『証言 落合博満 オレ流を貫いた「孤高の監督」の真実』

『嫌われた監督』に登場する選手のみならず、他にも落合博満監督を見てきた選手たち本人が話しています。

『采配』

落合博満本人の名前で出した本ならこちらです。中日監督退任の2011年に出版した本であり、2004年開幕戦、2007年日本シリーズなどはこちらにも記述があります。本人と、新聞記者それぞれの視点で読むと深く知ることができます。
森野将彦がレギュラーを奪いたい気持ちを出して練習に励んでいたのは、落合博満本人も認めています。
また、256ページにはこの記述があります。

川崎の復活は、残念ながら実現しなかった。それでも、最後の1年の取り組みは若手に大きな影響を与えたと思っているし、私のチーム作りにおいても土台のような出来事になったのである。

最後に

森野将彦の章を実際に読むと、自身の仕事の環境を変えたくて躍起になった日々を思い出しました。
思いはあっても、突き動かしてくれる人との出会いがなければ具体的な行動に移すことは簡単ではありません。
私を応援しますと言ってくれた人たちに改めてお礼を言いたい。私は、充実感のある表情になっていたはずです。

私の33年の人生のうち、25年以上中日ドラゴンズを見てきたことが描写内容の理解に大きな助けとなったとはいえ、ベストセラーになるのも納得の傑作です。
仕事の成果のために、そのためになら周囲の声もあまり気にせず突き進む。あまりと書いたのは落合博満もひとりの人間であり、まったく気にならないということはないはずだからです。

私は、理想の上司はプロ野球中日ドラゴンズの落合博満監督だと思っていますが、理想の上司だけでなくいちビジネスパーソンとしての姿勢にも参考になると感じました。
仮に、巨人や阪神の監督の話だったとしても興味もって読んでいたと思えるほど勉強になり、一生本棚に残しておきたいと思った本なので、野球を切り口に仕事について考えたい人、ぜひ読んでいただければと思います。

ありがとうございました。

この記事が参加している募集

読書感想文

サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。