グレートグランドマザー2020
コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。
今回は、私の幼少期の家庭環境について、記します。
振り返ると、私は幸いにも恵まれていたと思っています。
なぜなら、同居していた祖母に、私の人間の幅を広げてもらったからです。
私と60歳以上の年齢差がある祖母。
幼少期から、会話をする際も、通じる話題と通じない話題があるということに気づきます。
“大相撲”については、よく会話をしました。何を隠そう、私は、
「ゆうしょうは、よこづな、あけぼの!」
と話して、老人会のみなさまを驚かせた05歳児だったのです。
一方、私が“ポケモン”の話をしても、なかなか話が弾みません。
ピカチュウぐらいはわかってもらえたぐらいですかね?
ただ、“プロ野球”は祖母からもよく話してくれました。特に、中日ドラゴンズです。おそらく、テレビ・新聞から情報を仕入れてくれたのだと思います。
他、“太平洋戦争”は、経験を直に聞くことができました。
そうして学校に行くと、先生や友人から、
「よく知っているね」
と評していただくことが数回ありました。
これは、同年代の友人だけでなく、同居する祖母とも日常的にコミュニケーションをとることで、知識の幅を知らず知らずのうちに広げることに成功したためです。
別居していて、なかなか会えない祖母となら、通じる話題を探すべく勉強するという行為はほとんどしていなかったと思います。
私は、相手の嗜好やバックグラウンドを読み解き、伝わる内容を考えて話す訓練が自然とできていました。これは、祖母のおかげだと断言できます。
また、見えないところで、両親もそうなるように仕向けてくれていたようにも感じます。
また、人間に避けられない“老い”を、リアルタイムで見たことも大きかった。軽々しく言ってはいけないことも、自然に身につきました。
それぞれの家庭のご事情もありますので、難しい面があるとは思います。私はありがたいことにその機会を得ることができていましたので、これを前向きに活かしていきたいです。
その祖母からはよく、
「頑張っていると思うけど、もっとやれるよ」
と絶妙な褒められ方をしていたものです。
ひ孫の顔は見せられなかったですし、迷惑かけてしまったこともありました。
ただ、祖母が私たちに望んでいるのは、未来を見据えて明るく生きてほしいということだと思っています。
おばあちゃん、一緒に暮らせて本当によかった!
ありがとうございました。
サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。