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脱 過剰適応

ただただ、ねむたい...。

ここ数ヶ月は、外の病院で実習中。そして、なんの因果か、ひたすらオペ室にいる。(※ワタクシ精神科志望なのに)

色んな診療科を回って、それぞれで評価をうけてわかったのは、評価と興味って案外一致しないこと。
わたしの場合、オペの様子を見るのがそんな好きじゃないのに、なぜか外科の成績がいい。

それは単に、評価方法が知識や技能だけじゃなくて評価者との性格的相性だったり、

あるいは、興味ない分、求められてることを淡々と打ち返していこうというドライな在り方が、逆に向こうからしたら扱いやすく優等生に映ったりするからかもしれない。

どちらにしろ、ここで痛感するのが「今回だけは“評価されやすい”を一番の理由にキャリア選択しないようにしよう」「むやみに評価をかき集めるのはやめよう」ってこと。

1回目の就活では、自分のしたいことがよくわからなくて(今思えば興味のあることはあるものの、それを追求することを自分に許していなかった)、とりあえず色んなインターンシップにいって最も評価されやすい業界のトップファームに行こうって、安易に動いた結果...

お金や職業経験の他己評価は良かったものの、働けば働くほど蓄積する「コレジャナイ!」感がひたすら苦しかった。

それでも、既に平常運転してるレール(しかもそこそこ条件のいいレール)から、ぴょんと脱線するのって勇気が必要で、たまたま身近にいてくれた“自分の人生を生きてる人達”の背中に励まされながら、なんとかキャリアをリセットできたんだっけ。





そんな経緯を思い出しながら、オペ室の人たちに志望科を聞かれた際、気持ちを強くもって「せ、精神科志望なんです!!」と宣言する日々である。

他人からの期待や好意に応えることよりも、自分としての在り方を大切にする。

これが、今私が取り組むべき認知行動療法の一つなのである。

はからずもオペの立ち会いばかりすることになってるけれど、それを通じて、自分の内的世界が、あるいは関わるべき世界との関係性が、どう変容していくかに着目していきたい。

thank you as always for coming here!:)