家族のかたち
朝目が覚めると、玉のように光り輝く赤子がそばにいた...。
いつの間に産み落としたのだろうと、寝ぼけた頭でかんがえていたら、近くで母がニヤニヤして見ている。
そうだ、昨晩から、兄夫婦も実家に帰省していたんだ。
0歳6ヶ月の甥っ子を、母が寝ているわたしの上にのっけたというのが、事の顛末だった。
よかった、21世紀の聖母マリアにならなくて...
弟(大型犬)や甥っ子(乳児)のそばにいると、いつも不思議な気持ちになる。
血の繋がった母や兄と一緒に、血の繋がらない義姉や弟(大型犬)や甥っ子(乳児)もいる。みーんな当たり前に家族。
血を超えて、種までも超えて、一緒に共存できるって、すごいことだ。
ゴゴゴーっと尾てい骨のあたりから、感動のエネルギーがのぼってくる。
そして、最近ひしひしと感じることがある。
家族になるのに、血の繋がりはあまり関係ないのかもしれない。
結婚だって、もとは他人同士がしてるもの。
養子という形で子供と出逢い、深い絆を結ぶ人だっている。
血の繋がりや血統(ってヒトでも使うのかしら?)を大切にするような人々が親族には少なからずいる。
その影響は無意識に受けてきてると思う。
そして、大人になって、自分の頭で考えられるようになって、自分の感性を信じられるようになった。
すると、なんとなく当たり前として受け入れていた、家族にまつわる色んな価値観が、絶対的なものじゃないことに気付く。
当たり前として受け入れていたこと...
バックグラウンドの近い誰かと結婚して、ほぼ毎日一緒にいて、子供を産んで、一年の何度かは親族とあつまって、老後を迎える。
そんな当たり前の核家族な在り方は、まだまだタイミングじゃないなぁと思って、早28年。未だにピンとこない。
関わるさまざまな人に「結婚したくないの?」「一人で自由にしてたいの?」と聞かれるけど、決してそんな視点でいるわけではない。
でも、もっと自由に、そして自然な流れで、家族という形ができあがってくのを、自分に許していきたいのかもしれない。
なんとなく受け入れていた〝当たり前〟の先には、わたしにとって自然な家族はあるのだろうか。
将来(半年後か数十年後かわからないけれど)結婚や出産をすることがあるかもしれない。そうしたら、相手も子供も、自分と同じくらいに大切にしたいし、何より共有できる時間を最大限たのしみたいと思う。
そして、それに加えてやはり、もっと幅広い意味での家族みたいなものも、育んでいきたいなと思う。それはきっと、血とか種とか越えたようなもの。
家族というものをつくっていくのは、血の繋がりや婚姻契約とかじゃなくて、むしろ抗いようのない縁だったり、寄り添うと自分で決めた覚悟みたいなものだったりするんじゃないかな。
こんな話を母や兄にすると、「また言ってる....」みたいな顔をされる。けれど、本人はけっこう真剣だったりする。
なんでこんなこと考えるようになったのだろう。
振り返ると、案外なにげない体験からきてる。
小さい頃よくみていたドラマ「ドクタークイン 大西部の女医物語」...この主人公(女医)と、主人公が引き取った亡き友人の子供たち、そして主人公と共に様々な問題を解決する男性は、いつしか自然と家族になっていく。あ、犬もいたかな。
ふわふわしているし、夢見がちなのかもしれないけれど、ずっとそのドラマのイメージが頭にある。
それが、自分にとってもっともピュアな家族のアーキタイプだから。
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これからどうなっていくか本当に未知数で、楽しみにしてる。
thank you as always for coming here!:)