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深夜の物想い

きがつけば丑三つ時。
子どもがぐっすり眠れる日は、わたしがまったり遊べる日...気ままに医学のアレコレを脳に流してく。

この日は調子がよくて、素直に知識が頭に入ってきて、スムーズに繋がっていった。

ここ数日やたらとわたしのアンテナにひっかかるのは腎臓、次点で心臓で、どちらもそんなに得意じゃなかった範囲である。

そして今日からは内分泌のあたりにアンテナが向いていってる気がする。

あともうちょっとで個々の知識が一気につながって、内科全般にわたる体系ができるんじゃないかな。

その直感をたよりに、見ては理解し、気がつけば忘れ、また見て調べて思い出し...を繰り返す。

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身体の中のことを把握するには、アプローチとしてまず臓器毎のイメージをもつことになる。

たとえば腎臓さん。

ひとことでいうと腎臓さんは血液濾過装置として存在してる(と思ってる)。

血液をこして、そこから大事なものは残して、余分なものは取り除き尿として外に出す。細かいことをいうと腎臓の機能ってもっと複雑なのかもしれないし、腎臓を構成する部位ごとにそこが障害された場合の疾患があるわけだけど、つまるところは血液濾過が適切にできなくなって、その結果、血液の内容や組成がおかしくなったり、おしっこに変なものがでてきたりするわけなんだな。

腎臓さんのことを真剣に語り出したら、人の一生じゃ足りないくらい多くのことがあるのだろうけど、腎臓だけにかまってられない人間からしたら「血液濾過装置」で充分な認識なのだと思う。

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さて、そんな風にまわりのものを一言でいうと、はたまた自分自身をもそれだけシンプルにしたらどんな言葉が残るのだろう。

腎臓でいう「血液濾過装置」のような機能をあらわす言葉は、主観的にはなかなかわかりづらいし、死ぬ直前にふりかえると違ってるのかもしれないけれど、

なんとなく周りに言われて自分も納得するのは、healとかそのあたりなのかな。

healはギリシャ語の「holos」が語源で、本来の姿に戻るという意味をもっている。

holosに関わるのは、必ずしも医学だけじゃなくって、信仰や芸術、あるいは文化もかかわってくる。

その信仰、芸術、文化を受け止める場所は、わたしたちのカラダ、特に高次脳機能になってくるわけで、これを精神神経科とかに身を置きながら深く学んでいけたらいいなぁ。

あら、子どもの夜泣きがきこえてきたので、今回はここまで。
明日の朝にアップしようかな。

thank you as always for coming here!:)