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「潜在意識の根底から見る魅了と魅力」 第20回コア学ゼミ(2021年4月)

この記事は

毎月開催されるコア学研究所の講義を書き起こししたテキスト(有料記事)となります。

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魅了したい?魅了されたい?

コア学サロンに引き続き、コア学ゼミのテーマは「魅了と魅力」です。今回は具体的に、私たちが魅了される時、潜在意識では何が起きてるかについてお話をしていきます。

魅了する、魅力がある、魅了されるって、理性とか理屈では考えられない部分があると思います。皆さんも経験あると思いますが、頭ではダメだって分かってるのにどうしても魅かれてしまうものってありますよね。 恋愛もそうだし、 夜中に食べるラーメンとかもそうだよね。

魅了する、魅了されるってことは、潜在意識の話抜きにできないと思ってます。皆さんもぜひ深いレベルで、魅了するとか魅了されることを紐解いて、自分自身が魅了する側としてどう生きるかを考えてもらえたらと思います。

魅了する、魅了されることが、潜在意識とどう関係しているか考えるうえで重要なポイントは、私たちは良くも悪くも魅了されたいという欲求が、常に誰でもある、ということです。

魅了されたい気持ちを違う言葉に言い換えると、夢中になりたいとか欲求とかとほぼイコールになります。魅了されたい、陶酔したい、何かに誰かに夢中になりたい気持ちが全人類共通で持っています。

誰かを魅了したいとか、誰かに自分の魅力を伝えて分かって欲しいという気持ちよりも、潜在的な欲求として、魅了されたい、何かにゾッコンになりたい、夢中になりたい気持ちを強く持っていることが、今回の最大のポイントです。

誰かを魅了してる時、人の潜在意識で何が起きてるか、人を魅了する方法がどんなものか知りたい方は多いと思います。好きな人がいて、好きな人に好きになってもらうとか愛されるとか、誰かが自分に夢中になってくれるとか、ファンを作るとか、そういう欲求が前面に出ると思いがちですよね。

実はその反対だってことを考えてみて欲しいんです。 魅了されたがっている、夢中になりたがっている、何かに自分の身を全部投げ出したいみたい、そういう気持ちがものすごく強いってことを、まず皆さんの中で見つけてみて欲しいんですね。

逆にちょっと想像してみてください。夢中になれるもの、魅了される人やものが人生の中でない時ってどういう日常ですか?何かに意識を奪われてしまう、心を奪われてしまうような人やものがない時間ってどういう日常でしょうか?私たちが魅了されてる時って、一体どういうエネルギーが私たちの中から出ているんでしょうか?魅了されるものが全くない世界、全くない日常ってどうでしょう?乾いた感じ、モノクロな感じ、味気ない、つまらないって感じありますよね。

人を魅了したいっていう前に、魅了されたい人の気持ちをどれだけ実感できるか、そこをしっかり感じ取れるほど、人を魅了する側に立つことは容易になります。

顕在意識では愛されたいって思っちゃうんだけど、潜在意識はどっちかっていうと愛せる対象が欲しいんです。矛盾してるように思うかも知れないけど、実はみんな潜在的なところでものすごく愛したいんです。

だから愛されたいよりも、愛したい方がものすごいんです。愛したい気持ちが強ければ強いほど、安心して愛したいっていうのがセットになります。安心して愛したいから、安心感がほしいから、愛されたいこととセットになります。

愛する、愛されるって言い方の方がわかりやすいのであえて使っていますが、魅了する、魅了されることと同じだと思って変換して考えてみてください。

愛されたい、って渇望を感じたことありますよね。必要とされている実感がほしいとかね。実はこのとき何に一番飢えてるかというと、愛することなんです。心から夢中になって、何もかも捨てて、自我も何もかも取っ払って、素っ裸で、猪突猛進に愛したいわけ。

だけど不安なんです。愛されてる実感があれば、安心して全力で愛しにいけるわけです。安心があれば全力で没入できるし、安心があれば全力でのめり込んでいけるってことです。

スタートは全員、愛したいしかないんですよ。愛したいが基本なんだけど、安心して愛したいんです。愛したいっていう強い欲求を満たせないのが嫌なんです。

安心して愛したい、安心して自分の愛を与えたい、安心して願望欲求を叶えたい、だから、自分のことを愛してくれる人なら、自分のことを好きな人だったら、自分の愛とか自分の欲求を受け取ってくれるだろうと、安心して愛することができるわけです。

みんななんで天職とか運命の人とか知りたいのかっていうと、安心して没入したい、安心して魅了されたい、安心して自分の身を委ねたいってことにすごく近いんだよね。運命の人だったら安心して心を奪われるし、天職だったら安心して夢中になれる。でも、うまくいかなかったら嫌だから、うまくいくことに夢中になりたいってことなんだよね。

魅了されるってことも同じで、誰でも安心して魅了されたいって気持ちがすごくあります。ちょっと不思議な感じがすると思うんですけど、愛したいっていうのは、相手に愛を与えたいって感情なんだけど、魅了されたいっていうのは、溶かされたいみたいな感じです。

愛で溶かしたいのと、愛で溶かされたいっていう両方を、潜在的に常に持っていることをまず認識して欲しいんです。魅了するテクニックとか、ファンを作るためのテクニックとか、魅力のトリガーとか、欲望を引き立てたり、人の不安を煽ったり、小手先のことはいろいろありますが、根底にあるのは、この2つの本能的欲求です。まずはこれをしっかり捉えてください。

安心して愛したい、愛されたいって感覚と、安心して魅了されたい感覚とはちょっと違って、魅了されたいっていうのは、安心して愛で溶かされたい、没入したいってことなので、振り回されたくはないんだよね。魅了されるものとか人に対しては、安心して魅了されたいって気持ちが常にあります。

モテる男女・魅力的な人物が持ってるものとは

溶かされたい、魅了されたい、 夢中になりたい気持ちってあるよね。だから人は一途なもの、一途な思い、一途な愛にすごく弱いんです。頭では違うってわかっていても、真っ直ぐな感じとか、絶対的に変わらない何かに人は安心感を抱きます。魅了されるものには、必ずこれを感じる傾向があります。

潜在的なところに絶対にぶれない何かを感じています。大企業がなぜ安心感とか信頼を得やすいかっていったら、そういう歴史があるからです。潜在的に一途な何か、変わらない何か、ブレない何か、芯がある何かを感じているんですよ。

恋愛で好きな人と安心はセットにならないって思うかもしれないけど、恋愛で魅了されちゃう人もよく考えてみると、絶対にブレれない何かを潜在的に感じています。自分に対する感情は安心できないかもしれないけど、魅力的な人物、モテる男女に対しては、ブレない軸、絶対に変わらない何かを感じ取っているはずなの。

頭ではこの人はチャラいからダメとか、遊ぶからダメとかと思ってても、その人の中にブレない何かを感じると、安心感をつかまれるんだよね。

例えはあんまり良くないけど、不倫に魅力を感じちゃうのは、相手のどちらかが結婚してる時点で絶対的な何かを感じるわけ。すごく矛盾してるなって思うんだけど、そっちの方が魅了されやすいんだよね。

なぜかって言ったら、ただ安心して愛したいし、安心して愛されたいから、安心の源となるブレない軸に、人はグッとひきつけられるわけです。

ここから先のポイントは何かっていうと、ぶっちゃけた話、実はブレなきゃなんでもいいんです。例えば、食べ方が下品な人がいたとして、表面的には下品なんだけど、その人にとっては本能的な自然な食べ方で、堂々としたものを感じちゃうと、食べ方が汚いことは魅力的じゃないにも関わらず、どこか下品な食べ方に心を掴まれちゃう、魅了されちゃうってことがあるんだよね。

私たちは潜在的に、安心して愛したい、安心して愛されたい。そのために対象物の中に変わらない何かを感じる必要があるんです。対象の人とかものとか企業とかブランドとか、その奥に何か変わらない強いエネルギーを感じたり、自分の中に届いたりすると、表面的には下品だったり、ちょっとなぁ…ってことでも、理性を揺さぶれば揺さぶるほど強烈なギャップになってガッと心がつかまれちゃうの。

だからね、いい人をやっちゃうと本当に魅了されなくて、真剣に自分自身を貫いてる人であれば、表面的にどうであれ、魅了する力はめちゃくちゃ上がっちゃうんだよね。

表面には表れない強い安定感、表面では見えない自分を強く生きる力、ブレない何かがある人ほど、潜在意識が強い安心感を抱いちゃって、あとはもう好きにして!とか、私を溶かしちゃって!みたいな感じで、その人とかものに投げうっちゃうんだよね。

だから安定的に商品を出してる企業よりも、企業理念が全くブレないんだけどいろんなチャレンジをしてる企業に魅了されてしまうんです。

潜在的に人の安心感を掴むことが得意な人は、理性で考える安心感と全く違う次元で、何かに対してとことんブレなかったり、頑固だったりします。

逆に、頭ではすごくいいと思ってるのに魅了されないって人とかものってありますよね。 頭ではすごく拒否反応とか拒絶反応を起こしちゃうんだけど、心をつかまれて持っていかれるってあると思いませんか。魅了されるってことは、表面の魅力では全くないことがわかりますよね。

皆さんが誰かを魅了していきたいと思った時、魅了する側に立ちたいなと思った時、「こういう人は好かれるかなぁ」とか「こういう自分は好かれるかな」って、頭でいい人をやると、逆に相手にとって安心感にはならないんです。逆の立場だったら分かると思いますが、自分の気を引こうとする人って信頼置けない気がしませんか。

本人の意思を貫いてるだけの人と、自分の気を引こうと一生懸命な人、どっちが信頼できますか?どっちが安心できますか?ってことなんです。すぐ分かりますよね。自分の気を引こうとしてる人とか、自分を惚れさせようとしてる人から、その匂いを感じた瞬間、一気に冷めますよね。

人を魅了するために、どう振舞えば相手は自分のことを好きになってくれるかって考えることが、相手を魅了することから最も遠ざけてしまうんです。

じゃあどうしたらいいかっていうと、単純に絶対にブレない何かを持つことなんです。絶対にこれだけは守るとか、絶対にこれだけは貫くとか、いわゆる自分軸を持つと、光の柱みたいなものが自分の中に立って猛烈なフェロモンが出るの。

自分軸を貫く覚悟や姿勢が、潜在意識の根底のところで絶大なる安心感を与えることになるんです。その安心感を与えた上で、表面的に素敵な自分を装うとか、素敵な自分を振る舞うとかすると、たちまちそれがいいギャップになって心をつかまれます。

わがままな人がモテるってよく言われるのもそうだよね。自分中心で生きてる人が何で人を魅了する力に長けてるかっていったら、潜在的に持っている安心して愛したいとか。

安心して愛されたいって気持ちの“安心”の部分を満たしてくれるので、私たちは安心して相手に魅了される、安心して没入できる、委ねられる、安心して相手を愛することができるんです。

これを押さえておかないと、小手先のテクニックをやっても魅了のレベルまで全然行きません。

マイブームは何でもいいし、変わってもいい

ちなみに私は自分の中に覚悟みたいな自分軸がありますが、これは時と場合によって変えていいんです。ちょっと前までの私は、自分の中にある誠意や誠実さを何があっても曲げない、いつだって自分の誠実さから物事を考える、これをインテグリティとか自分のコアって言ったりするんだけど、自分のコアからすべてを考えることを軸にしてたんだけど、ずっと守れるかどうかなんて関係なくて、大事なことは自分はこれに対して一途になるって姿勢なの。ブレても間違ったとしてもそれを大事にするっていう姿勢です。

最近はちょっと変わってきて、今の私は誰のものにもならないっていう軸を持っています。マイブームは何でもいいし、変わってもいいんです。自分は今これを中心に、これのために生きてる、これを守り通す、これを貫き通すために自分は生きてるっていう“これ”は変えていいの。

みんな変えちゃいけないとか、 一生ものを見つけなきゃいけないと思うからしんどいんだけど、変えていいの。感覚は変わらないけど、表現は変わります。

昔の私のコアの軸は誠実さだったけど、今の私は、誰のものにもならない、私を幸せにできるのは私だけ、私の幸せは誰にも譲らない、私が私を一番幸せにするってことなの。

だから誰かに幸せにしてもらうのではなく、私が私の幸せのために全力を尽くすっていう感覚が、今のマイブームなんです。自分のあらゆる選択とか、あらゆる物事の基準をそこに持ってるわけ。私の一途さはそこにあるの。そこに自分のブレない焦点があって、そこに自分の光の柱が立つ感じです。

これがあるとどうなるかって言うと、軽い言い方すると、パッパラパーになれるんだよね。いつだってここに戻れるから大胆になれるって感じかな。

今回のコアな部分の結論をお伝えすると、みんな好きに軸を持っていいよってことが、まず1つあります。自分が守り通したいこととか、自分の絶対的な基準とか、自分の選択や行動に対して貫きたい一番大事なこととか、その都度変えていいから、まずは軸を持ちましょう。それをしっかり持った上でパッパラパーになってみて。このギャップがとんでもなく魅力的だから。

私はいろんな人から、綺麗ですね。可愛いですね、素敵ですね、面白いですね、素晴らしいことしてますねとか声をかけてもらって、いろんな人からいろんな愛情を受け取るわけだけど、誰の愛情でも心から私を奪うことはできません、ふふふ…みたいな気分がいつもあるの。 

私の幸せは私だけのもの、誰にも私はあげないとかね。楽しいでしょう?今はそうなんだよね。昔は男性性的だったけど、最近は女性性をすごく楽しんでいて、自分の中にあるものは誰にもあげない、私のことを自分のものにしたいって思うかもしれないけど、残念ながら誰のものにもなりませんって、今めちゃめちゃ楽しんでるの。

分かりやすくいうと人生のコンセプトだよね。昔は「Just say yes. それでも世界にイエスと言おう」ってコンセプトを持ってたけど、今はちょっと違います。

今持ってるコンセプト、軸みたいなものを中心に、全ての自分を考えていく、全ての基準を作っていくって考えた時、これを握りしめた上で他の力を全部抜くって感じなんだよね。

なんでみんな細かいところで力が抜けないかっていうと、ガッとした一本軸がないからなんです。一本軸っていっても、好きなところにダーツの矢を刺すみたいな感じでなんでもいいわけ。刺して違うなって思ったら、抜いて別のところに刺せばいいのよ。日によって変わってもいいくらいです。

それを言語化できなくてもいいけど、言語化したら楽だから、自分は何をする?って考えてもらえたらいいと思うし、見つからないのは正解を探してる時だったりするので、別に変わってもいいんだから、あの人いいなとかこの人いいなって思った人からヒントをもらってもいいと思うし、誰かと被ってもいいわけ。

今これを中心に生きるとか世界の中心を自分で決めて、今はこの価値観とか、今はこれを全力で一途に集中するとか、今これをブームとして貫くとか、そこに立つとブレずに自分の軸に全力集中できるようになります。

そこが根底となって安心感を与えて、人の心をガッと掴むわけです。その上で他を解放していきます。全部解放しちゃうの。ヨダレ垂らすぐらいの勢いで口をバーッと開けて、それ以外はパッパラパーになってみて。その時、自分からしか出ないものすごい魅力が出るんだよね。

仕事の時にはこれ、恋愛ではこれって、いろいろ変えていいのよ、めちゃくちゃいいよね。なんでこれがいいって思えるかっていうと、皆さんが私の話を理解してるからなんですね。

潜在的に人は安心して夢中になりたい、安心して愛に溶かされたいっていうのと同時に、安心して愛したい、安心して自分の愛を与えたいんだよね。

アーティストになんで没入しちゃうかっていうと、変わらないブレない世界観が安心感を与えてくれてるから、安心して没入できるわけ。安心して惜しみなくアーティストを推したいんだよね。

いざという時、選ばれる人

振り返ってみてください。好きになった人、頭ではなく心を奪われちゃった人、異性でも同性でもいいし、一時的にハマったアーティストでも作家でもいいし、スポーツでもいいです。

スポーツは分かりやすいよね。なんでスポーツがあんなに人を魅了しちゃうかっていうと、スポーツしてる人達って自分達に全力集中だから、観客側に気が向いてないんだよね。

だけどパフォーマンスで観客のためにいいプレーしようとか、観客にすごく気を使ってサッカーしてたらどう?そうじゃなくてサッカーのプレーに全力集中してるあの姿勢が安心なの。あれが安心して魅了させられるっていう安心感の根底なの。

だから矛盾してるように聞こえるかもしれないけど、私たちも誰かを魅了していきたかったら、まずその人たちを全部忘れて、その人たちが世界に存在していないかのように振る舞うぐらい自分が決めた何かに全集中すること。これが基盤として大事になります。

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