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「みてみて」を見ない大人たち

子供が「みてみて!」と親に言ってるところは聞いたことあっても、大人が大人に「見て見て!」と言ってるところを聞く機会は、結構少ないんじゃないかと思います。

それがつまりどういうことなのかについて、私なりの考えをまとめたnoteです。


1. みてほしい子供、見ない大人。

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家庭を持っている人に限らず、道を歩いてたら、時々こんな声を耳にすることがありますよね?

(子供の声)
「ねぇ、ママー、みてみてー!」

「ねぇ、ママー、ママー、みてみてー!」

「マーマー、みーてー!マーマー、みてみてー!」


あれ、音飛びしたのかな?

って、CDひっくり返したくなるぐらいのループ。


立てこもり犯かな?

って思うぐらいの、要求につぐ要求。


ひょっとしてお母さん失踪した?

って心配して、声のする方を見てみれば、

お母さんは子供のすぐ隣にいた。

お母さんはスマホを見ながら立っていた。


そして聞こえてきたのは、こんなやり取り。

子 「マーマー、みーてー!」

母 「見てるよー」

子 「マーマー!みーてー!」

母 「見てるよー」


私が見た限り、お母さんはスマホしか見てなかった。

何ていうか、「見てるよー」というのもまんざら嘘でもない。

すごいスマホ見てたし。


ひょっとすると、このお母さんはスマホを見ながらも、顔の角度を動かさずに、視線だけを子どもに向けることができるのかも?

職場では「視線マジシャン」と呼ばれ、大量の缶詰を瞬時に選別するスゴ腕の検品担当なのかも?

だから、このお母さんが子供のことを見てなかったなんて言うのは私の主観でしかないんじゃ?

ほかに何の根拠もない以上、この発言については撤回するのが望ましいと思う。たぶん見てない。


そして、「偉そうに言うけど、じゃあお前はどうなんだ?」って思っている読者の皆さん、これだけは言わせてほしい。


私は自分の子供のことを心から愛している。

かわいいし、美しいし、愛おしい。

目に入れても痛くない、
わけなくて、それは流石に痛い。

でも、手を繋いでずっといっしょに飛び跳ねていたいほど好きだ。


そんな子供が、

「パーパー、みーてー!」

「パーパー!みーてー!」

そう言ってくる状況を想像してみて。


私がスルーしたのは2度や3度じゃないよ。


みんな落ち着いて。

深呼吸して、一度、席に戻ってほしい。


2. そして大人は聞かなくなった

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考えてもみてほしい。

この光景はきっとこれまでも、地球上で幾万と繰り返されてきた。

何なら生まれてきた子供の数とイコールで結んでも良いぐらいの、鉄板のライフステージと呼んだっていいだろう。

そして、いざ自分が子どもを持つ親になって感じるのは、こんなに「みてみて」言われたら、「さすがに全部は見れん」。それが本音なのだ。


これはつまり、「親の都合」と「子供の都合」の対立構造。すなわち親子の陣取り合戦だ。

子供の「みてほしい」に対して、親の「下の子のごはん作らないと」「早く連れて帰らないと妻に怒られる」がぶつかる。

クライアントの「ここ修正してほしい」に対して、「ここを修正すると全体のデザインが崩れる」「これに付き合ってたら利益なくなる」、仕事ならそんな場面。


どこかで折り合いをつけなければならないのだ。

ずっと、そうやって生きてきたのだから。


目の前で繰り返される要求のすべてに応えていたら、何もできなくなってしまう。応えれば応えるほど、相手はさらに求めてくるようになる。

そんな気がして、だんだん応えなくなっていく。

応えたとしても、心ここにあらず。

そんな風に、脳は「聞こえているはずの声」をうっすら遮断していく。


そうして、少しずつ親は応えなくなって、

いつからか、子供は要求しなくなっていく。

そんな日常が、この世界にはある。


3. 聞こえなくなった声の行方

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それから、要求の声をあげなくなった子供はどうなった?

いくつかの季節をこえて、大人になっていった。


大人たちは「みてみて」と言っても見てもらえないことを知ってる。

なぜなら、大人たちこそが、自分を見てくれなかったからだ。


そんな大人たちが「みてみて」って言ってる。

その声が、あなたには聞こえますか?


子供たちはただ「みてほしかった」。

僕がここにいるよって。私こんなことができるよって。

そんな子供たちは、大人になる過程で「みてほしい」気持ちを消したの?

彼らが消したのは声で、気持ちまで消しさったわけじゃない。

じゃあ、声にならない気持ちは一体どこへ行った?


気持ちはどこにも行ってない。変わらず、今もまだその人の中にいる。

言葉を変えて、形を変えて、いまでもあなたに発してる。

Twitterやインスタの投稿
LINEのメッセージ
そして身近な人があなたの目の前で

「みてみて」って言ってる。


今も目の前で、何か言ってるよ。

その大きなヘッドフォンを、外してみてよ。


4. 耳をすませば

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「みてみて」はずっと聞こえていた。

聞こえているのに、聞こえていないフリをしていた。

「みてみて」という人の目を、狡猾に見なくなっていった。


電車の優先席で、寝てるフリをするようになった。

上司の指示に、上の空で返事するようになった。

友達のLINEに、既読をつけないようになった。


妻の話を、流し聞きするようになった。


そして自分に都合の良い「みてみて」だけを見るようになった。

それと引き換えに、相手に都合の良い「みてみて」以外は見てもらえなくなった。

見てほしい時に見てもらえない世界で人は、平気で自分を誤魔化すようになった。

見てもらえないなら、言わなければいいのかな?

そう納得させるようになった。


一体、そんな未来を誰が望んだ?


相手の要求を疎ましく思う気持ちが、

より応えようとできたはずの、相手の気持ちを削いでいた。


目の前で繰り返される要求のすべてに応えていたら、何もできなくなってしまう。応えれば応えるほど、相手はさらに求めてくるようになる。


応えれば応えるほど、相手はさらに求めてくるようになる。

それは言い換えれば、

「みてみて」に応えた時、相手は、もっと見てほしいな。もっとすごいもの見せたいな。そんな気持ちになるということ。

見てくれる人の期待に応えたいな。そのためにもっと頑張りたいな。

そうやって、その人の目がキラキラしていく未来の入り口。


いつの日か、「ねぇ、今度はこんなものが出来たよ」って、想像もしなかったアイディアを形にして、目の前で楽しそうに見せてくれる人になっていく。


だから、もう少し。

自分の最も身近にいる人に対してだけでもいい。

今よりほんの少しだけ、その人が何を言ってるのかな?って。

耳をすませてみるのも悪くないのかもしれない。


今日もみんなは「みてみて」って言ってる。

その人の目の前に行って、しゃがみこんで、目を見て、「すごいね」「これは何?」って覗き込む。

そんな人に、私はなりたい。

(宮沢賢治感)



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読んでいただきありがとうございました。

モニー@コーチング | Twitter

コーチングを通して、お相手の心の声に耳を傾け、自身の言葉で人生を動かす未来を一緒に築いていく人です。

言うなれば、あなたと、あなたの人生を真剣に考えるお手伝いをします。

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