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初めて岡山駅で下車した。コーチング・セミナーを実施するために岡山に1泊したのだ。

ネット環境を確認したり、プレゼン資料を最後まで修正したりしていたので時間と気持ちに余裕がなく、あまり街をぶらぶらできなかった。それでも宿泊したホテル上層階にあるレストランで朝食を取りながら窓の外に見える街を眺めて、周囲の山の高さや、平地の広さ、立ち並ぶビルなどからざっくりと街の様子を感じ取った。ほんの少しだけここに住んだらどんな生活になるだろうかと想像したりした。

ホテルの窓から

出張から帰って実家で母と話している時に聞いたのだが、祖父は仕事でよく岡山から宇野へ行き、宇野から船に乗って髙松に通っていたそうだ。祖父は神戸と髙松で事務所を構えて事業をしていた。そういえば、3年前に旅行で高松へ行き、そのついでに祖父が始めた会社の事務所を訪ねた時も、ここで仕事して生活するとしたら、どんな毎日になるのだろうかと考えたものだ。

向こうに見えるのは高松?

私はコーチングを西日本へ広めていきたいと考えている。それ以外の地域を除外しているわけではないのだが、なんとなく気持ちが西に向いている。その理由を自分でもずっと考えていたのだが、やはり祖父の活動領域が影響しているのではないかと思うことがある。ここで西日本という時、私が住む兵庫県を含む関西圏から西というくらいのゆるい括り方だ。当然、四国も九州も入る。

この間も鳥取、島根、山口を家族旅行で巡ったが、訪れた街の一つひとつに個性がある。そこに街があるのは、人が住むのに適した地形だったからだし、人が集まれば物資も必要だから交通の利便性も街が発展した重要な要素だっただろう。重要な幹線道路が通る場所かもしれないし、物資を船で運べる河川か港があるのかもしれない。作物を育てやすい土壌が豊富にある土地なのか、魚が獲れる海があるのか?そうしたことも街を成立させる要素だろう。要するに、単にそこに街があるといっても、街が発展してきた理由は様々なのだから、当然それが人の気質、考え方や行動様式に反映されて個性が出ると思うのである。だから行く先々の街でそれぞれ違った印象を受けるし、なにか刺激を受けて気持ちが新たになることもある。

今回、セミナー翌日に岡山から足を延ばして児島まで行き、ジーンズストリートを訪れた。児島がジーンズで有名になったのは、BIG JOHNが昭和40年代始めに国産ジーンズを売り出したことがきっかけのようだ。もともと縫製工場があったことや、藍で有名な井原が近かったことがあるのだろう。JR児島駅からは四国(たぶん、高松方面)が思った以上に近くに見えて、ふと祖父のことを思い出したりした。

児島駅の階段
ジーンズ購入!店員さん、いいお人柄でした。
買っちゃいました

これからコーチング・セミナーなどを開催しながら、少しずつ西日本の街を巡って行きたいと思う。きっとそれぞれの街で個性的な人と出会えるのを期待して。

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