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自己肯定感が低い人の7つの特徴

私も参加しているオンラインサロン習慣塾の塾長である三浦将さんが、clubhouseで「自己肯定感」について話していた。

三浦さんは、『自己肯定感が高まる習慣力』『心の知能指数を高める習慣』『自分を変える習慣力』などの著書があり、習慣の伝道師とも言える存在だ。
エグゼクティブコーチもしておられるので、いわば同業の大先輩にあたる。


私もコーチという仕事柄、自己肯定感について講演をしたり、自己肯定感の高め方のワークショップを開いたりしているのだが、今回の三浦さんの話は「そういうことだったのかぁ」級の話だったので、改めて文字にしてお伝えしたい。

自己肯定感とは、文字通り自分自身を無条件に肯定できる力のことである。
この「無条件に」というところがポイントである。
何かが出来たから、目標が達成できたから自分を認めるのは、自己肯定感が高いとは言わない。
何もしていなくても、いや失敗したとしても、自分の存在を価値あるものと認識する力を自己肯定感というのである。

自己肯定感が高いと、他人の評価も気にならないし、人に優越しなければとも思わないのでマウントを取ったりすることもない。
人間関係がスムーズになるのである。

また、何かにチャレンジする時、なんとはなしに「自分はできる」と思っているので、事前に言い訳する必要もないし、失敗の可能性について予防線を張ったりする必要もない。だから行動に移すのが早い。

習慣化についても、自己肯定感が高い人ほど習慣は定着しやすい。
習慣が途切れたとしても「やっぱり俺は3日坊主なんだ」と自己否定したり、
「難しいとは思っていたけれど、やはり自分には手が届かなかった」などと自己憐憫に陥ったりしないので、言い訳も罪の意識もなく再開していたりする。

そして、やろうと思ったことが習慣化できると、今度は自己肯定感が高まってくるという複利効果があるのだ。


私はこれまで、自己肯定感を高める方法や、習慣化の方法ばかりに目を奪われていて、自己肯定感が低いとはどういうことなのかについては、深く考えて来なかった。本当に教えられることの多いクラハであった。



三浦さんが語った自己肯定感の低い人の主な特徴は以下の7つである。


1. 欠乏感を満たすために、他人と比較ばかりしている

2. 「他人がどう言うか」を度を越して気にする

3. 所属するものとアイデンティティを同一化しようとする

4. 多様な意見を受け容れられない

5. 自己顕示欲が強い

6. 自分は相手のことを分かろうとしないのに、相手には「自分のことを分かって欲しい」と期待する

7. 結局、自分のことばかりを考えている


1〜7まで、どれもこれも思い当たるという人も多いだろう。
人の目も気になるし、自分が正しいと思い込み、違う意見を持つ人を「おかしな奴」だと思ったり、「変な奴」とか「非常識だ」と言ってしまった経験は誰にでもあるだろう。
だから、ここに挙げた特徴を持つ人たちは実にたくさんいるし、日常生活で出くわすことも多い。

ただ、これらの特徴を「自己肯定感の低さ」という共通の原因が引き起こしている現象であるという視点で考えてみたことがなかったのだ。
しかし、言われてみればおっしゃる通りです、ということばかりである。


私が、特に今回clubhouseを聴いて「そういうことだったのか!」と膝を打ったのは、

3の「所属するものとアイデンティティーを同一化しようとする」
である。

実は、所属するものとアイデンティティーを同一化しようとする気持ちは、幸せの条件でもあるのだ。

自分が所属する「家族」を、この世で唯一無二のものとして大切にし、家族が共有する価値観を尊重していく。これは、所属コミュニティーの中で円滑で前向きな関係を築いて行くための必要条件なのだ。

「家族」を「故郷」とか「会社」とかに置き換えてみてほしい。
この気持ちがなかったら、家族愛も郷土愛も愛社精神も生まれようがない。

では、どんなケースが自己肯定感が低きがゆえの行動なのだろうか。

MAGAを例に取ろう。「Make America Great Again!」トランプ元アメリカ大統領である。

この台詞は、アメリカを再び偉大な国にしよう!と、当たり前のことを言っている様に聞こえるかもしれないが、彼らがみているのは唯一の超大国としてのアメリカである。世界で突出して豊かで、どの国も及ばない軍事力を持ち、世界中に軍隊を展開するアメリカである。いわば世界に君臨するアメリカへの郷愁だ。

さらに、メキシコをはじめとするラテンアメリカ諸国からの移民を、国境に壁を築いてまで阻止する姿勢は、アメリカ国内の雇用はアメリカ人のものであり他の国の民は排除して構わないという考え方が元にある。
「アメリカを偉大な国に」ではなく
「アメリカだけを偉大な国に」という主張なのだ。

その主張は、アメリカ国内でも不協和音を引き起こす。
民主主義体制をとり、資本主義経済体制をとる多くの国々と対等の関係を築いて行こう!と考えるアメリカ国民は「非国民」だと考えるのだ。
自分の主張に賛同する人たち、つまりアイデンティティーを同じくする人たちだけがアメリカ国民なのであり、アメリカの中に存する多様性(今回の三浦さんの説明の4に該当する)を尊重するのではなく、非同調者として分断して行く姿勢を取っているのだ。

政治というのが、異なる考え方の国民の合意を形成して、ひとつのアイデンティティーを作り上げていくものだとすると、トランプ大統領がやったことは、自己肯定感の低い国民の心の隙につけこみ、敵を作り上げることで自分の主張に賛同する者を結束させただけに見える。

トランプを支持し、彼を大統領にまで押し上げた人々は、自分たちと同じアイデンティティーを持つ人たちだけを正しい考えだとして、それ以外の国民を排除していった。例えば、白人の黒人差別や、アジア系移民への暴力などもその例だろう。

こうした態度は、必然的に「意見の多様性」をも排除して行くことになる。


人の意見を受け入れ、多様性を求めることは「寛容さ」とか「柔軟性がある」などと表現してきたが、その人は「なぜ寛容でいられるのか?」「なぜ柔軟に物事を捉えることができるのか?」と踏み込んで考えてみたことがなかった。
性格の問題だと捉えていたからかもしれない。

しかし、自己肯定感という観点を、人物公式に代入してみると、見事に解が出るではないか。

自己肯定感が低いというのは、自分一人の問題ではなく、社会の不安定要素ともなりうる社会的な問題なのだということに気付く事もできた。

隣国であるがゆえに、自己肯定感が低い人は何かと、中国や韓国を、日本と比べて下に見ようとする傾向はないだろうか。
中国の現在や韓国の伝統文化も知ろうともせずに、なぜ日本のことを理解しようとしないのだ!と腹を立ててはいないだろうか。

私たちは、歴史上幾度となく、他の民族と自分たち日本人を比べて「我々こそ優位なのだ」と叫んだ時期がある。

欧米列強に開国を迫れらた幕末がそうだ。
欧米を知ろうとせずに、我らが天皇をいただく日の本は負ける筈がないと考えるうねりが尊王攘夷だろう。

幸いなことに、欧米に学べと唱えた日本人も数多くいた。

しかし、太平洋戦争の時はそうではなかった。
鬼畜米英と、外国を排斥し、領土を拡大するのだと中国大陸や東南アジアに進出し侵略を行った。

国の平和が損なわれようとする不安が大きければ大きいほど、私たちの自己肯定感は下がり、排外主義的な主張が繰り返し語られ、熱狂的な支持を集めた。

自己肯定感は、個人の感覚でありながら、集団を同一の価値観で染め上げてしまうこと、つまりは反対や異論を認めない一色の状態を作り出すことで、不安定な個人の自我を社会に救ってもらおうとする状態を生み出してきた。

心が弱っている時ほど、何かに身を委ねてしまいたくなる気持ちは、十分に理解できる。

だからこそ、身を委ねてしまわずとも他者に寛容で多様性を認められる強さを持ちたいと強く願うのである。

「自己肯定感」、とてつもなく大切なキーワードである。



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