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人と仲良くしたかったのは、劣等感をなくすためだった

ゼミの同期が集まるグループLINEで、久しぶりに集まろうという話が持ち上がっている。結構みんな盛り上がっていて、人数も集まりそうな気配だ。

楽しそうだし、もう1年以上ゼミの同期のみんなと会っていないから、ちょっと会いたい気持ちはある。でも、理由があって、行くという決断ができずにいる。

その理由は、大きく二つある。

まず一つ目は、しばらく人に会わない期間があったから、ちゃんとコミュニケーションが取れるか不安という理由だ。

実はこの、人と会わない期間に、ゼミの集まりの誘いを二度ほど断ってしまっている。人と会うことに自信を持てず、消極的になってしまったのだ。わざわざ個人LINEでも連絡してくれたというのに、断ってしまった。

ゼミの同期は結構仲良くしていたはずなのに、それでも会えなかった。

そしてもう一つは、ゼミの同期の一人が、前にいた会社の同期でもあるという理由だ。

会社の人には、もう合わせる顔が無い。だって、会社にいけなくなってからは一度も会社の人に会うことなく、義理も通さずに辞めたのだから。

正直いうと、ゼミ生時代も前の会社にいた頃も特に仲良くもなかったし、一生会わなくていいと思っている。というか、会いたくない。だから、必然的にその子が参加する回にはもう私は参加できないということになる。

そんなこんなで、ゼミの集まりに参加することに、強い抵抗感を抱いてしまっている。


大学時代や、会社に元気よく通えていた頃は、人と会うのが大好きだった。呼ばれれば終電が有る限りどこまでも飛んでいっていた。

それが今は、どんなに近くで開催されている集まりも、参加することに抵抗感を持ってしまっている。

でも、今思い返してみれば、もともと私は人と関わることへの恐怖心が強い人間だった。自分の状況を一言で表すと、「コミュ障」とか「人見知り」ってことばがぴったりだ。今も「コミュ障」「人見知り」には違いないけど。

だからこそ、ずっと人と関わることが苦手であることに強い劣等感を持っていて、人とうまく関係性を築くことのできる人たちに憧れを抱いていた。

特にその劣等感が強くなったのは、高校時代だと思う。友人から「ぼっち」って言葉で友達が少ないことを揶揄されたり、部活では仲良くしてくれるのに何故かクラスでは無視されたりした時に、劣等感が膨れ上がって行ったのだと思う。

私は人より劣っている。だから、人は私に見向きもしない。だったら、人とうまく関係性を築くことができることを人にアピールできれば、きっと私のことを見てくれるようになる。そんなふうに思ったのかもしれない。

無理して人と関わることで、人とうまく関われないという自分の劣等感を払拭しようとした。お酒の力を借りれるようになってからは、かなり無理をして人と関わっていた。

今思えば、一番酷かったのは大学卒業後だった。一対一ではうまく話せないくせに、飲みの場に人を呼んだり、人を引き合わせようとしたり、とにかく「私は人と関わるのが下手じゃないですよ」と、アピールしまくっていた。

でも、劣等感っていうのは、優越することじゃ消えないのだ。たとえ傍から見て人よりも劣等していたとしても、本人がそれを問題と思わなければ、劣等感は生まれないのだから。

私は大学生の頃までは、人と関わりたいという気持ちが自分の劣等感から生まれているものだということに気づいていなかった。だから、自分の弱点を克服するために人と関わろうと頑張っていると勘違いしていた。劣等感を払拭しようと無理をしていただけなのに。

大学4年間を通して、無理をしても結果的に何も残らないということを学んだし、会社に行けなくなってから自分には劣等感があることに気づくことができた。

もう、無理をする必要なんてないのだ。劣等感を消すために優越しようと頑張ったって意味がないのだから。たとえ劣等していても、劣等感を覚えなくて済むように生きれるようにしていきたい。難しいことだけど。

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