"嫌い"をちゃんと理解しないと、好きなものまで嫌いになってしまう

最近、朗読を初めてみたり、オイルパステル画を描きはじめてみたりして、自分はどうやら表現することが好きなのかもしれないと思い始めた。もともと高校の頃は好きで放送部に入って朗読をやっていたし、歌を歌うことは好きだったから、表現することが好きなのは間違いないことだと思う。

でも逆に、今までなんで気づかなかったのかということについても気になった。24年も生きてきて、それに気付けるタイミングやヒントは今までにもたくさんあったはずだから。

ちょっと考えてみたけど、多分、私はとても人の目を気にして生きてきたから、才能もないのに自分を表現することが恥ずかしかったんだと思う。それに、私はコンビニに行くのですら車で行かなきゃいけないような田舎に住んでいたんだけど、田舎ではちょっと変わったことをするとすぐバカにされてしまうから、自分を表現するのが怖いと言う気持ちもあったと思う。

それと、これは今でもそうだけど、絵を書いたり朗読をしたりしているところは、絶対に人に見られたくない。心の中でバカにされているんじゃないかと思うから。だから、朗読したり絵を描いたりするときは、同居人がいない時だけ。できた作品も、知り合いには絶対に見られたくない。文章もみられたくないから、知り合いにこのnoteを教えたことはない。

つまり私は、好きと言う気持ちを封じ込めて、好きじゃないことにしていただけで、本当に私が嫌いなのは、人にバカにされることなんだ。好きなのは行為ではなく、人の視線だった。実際、人は別に自分をバカになんてしていなくて、そもそもみんな私のことにそんなに興味がないと言うのは頭では理解しているんだけど、これは強迫観念みたいなもので、どうしても気になってしまう。

でもきっと、自分のことをバカにしているのは自分自身なんだと思う。自分のことをどこかでバカにしているから、胸を張って自分を表現できない。だから、自分が自分のことをバカにしなくなったら、全部解決する話なんだと思う。

もしかしたら、自分自身をバカにしなくなったら、今まで苦手だと思っていたものも、本当は好きだったということを思い出すかもしれない。今まで避けていた運動することや人と関わることも、もしかしたら心の奥底では好きなのかもしれない。

本当に嫌いなのはどの部分なのかちゃんと掘り下げてみないと、好きなことまで嫌いと思い込んでしまう。これはあまりにももったいないことだ。ちゃんと掘り下げて、原因を突き止めて、できることなら解決していきたいと思う。

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ちょっと前にも似たようなことを書いていたのでこちらも載せておく。


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