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The Emulator - ザ・エミュレータ - #15

2.7 クロックアップ

 フェニックスからの帰路、インターステート10を走っている最中もずっとバイタルが乱れたままだった。乱れたバイタルにプロセッサが反応してランダムに蓄積データがシークされた。そして、その度に細切れになった過去の出来事が鮮明に思い出される。それがどういう意味だったのかサクラに聞かなくても今なら理解できた。これまで含みを持たせて書かれている内容や、メタファを含む他人の発言の真意を読み取ることが苦手で、どういう意味だと思うかをサクラに聞かなければ理解できないことだらけだった。

 元々、サクラはシンタロウよりも洞察力が鋭かったが、PAと見分けがつかなくなってから尚更直感的な鋭さが増していた。シンタロウがサクラに何か訊ねるたびにサクラは口癖のように『そんなことも知らないの?』と大人ぶって話し始めた。シンタロウは少し癪に触りながらも、サクラを信頼していたので安心してその言葉とその解説を聞いた。

 しかし、今は違った。シンタロウは今、サクラと同じように感じたものを全て自分自身の言葉として言語化できる。例えば両親に感じていた感情だ。父親も母親も端的に言えばこれ以上多くを望んでいなかった。それは両親の意志であると同時に遺伝子によってそう仕向けられているのだとシンタロウは理解していたのだった。そういう両親を見て仕方がないという思いと、なぜそれに抵抗しないのかという思いがこみ上がる。

 この大陸に来た移民のジェレミーも、西海岸に住んでプロセッサの初期ロットを購入したケンジもそうしてきたんじゃないのか。同時に、それに気が付かないように遺伝子に仕向けられているのではないかとも考えた。それとも、わざと気が付かないように自分自身を騙し続けるために25号沿いのゴルフの練習場に通っているのだろうか。もしかしたら、もうそんなことはとうの昔に考え尽くして今では一周回って遺伝子のそれに従うのが最も幸せを感じることができるのだと気が付いたからこそBBQをしているのかもしれない。

 シンタロウ自身の年齢とともに様々な見方で両親を図ろうとする自分がいたことに気が付いた。それはシンタロウの中だけの世界の話で、当の両親は何も変わらない。その両親をその都度ああだこうだと論じる自分がいた。なぜそんなことをするのか今はっきり認識することができ、それを知って愕然とした。なんのことはない、そうすることで何とか自分にだけは価値があると見出そうとしているのだった。両親への複雑な思いも何もあったものじゃなかった。ただ単に自分の人生には価値があると思いたいだけだったのだ。ばかばかしすぎて笑ってしまった。そして、笑いながら、今度は誰に向けるということもない怒りがゆっくりと湧きあがっていた。

 俺の半分の遺伝子は東洋の端に閉じ込められていたし、もう半分は西大陸に定住する土地を持つことができないようにあちこち訪ねる度に追い払われて、形だけの救済にたらい回しにされていたのだ。だから、何とかして自分に価値を見出さなければ、また半分に引き裂かれて、閉じ込められるか追い払われてたらい回しにされてしまうのではないかと感じていた。曽祖父が苦労して東洋の端と西大陸の移民を脱出したが、いまだに俺たちはあんな草原と畑だけの田舎に閉じ込められている。だけど客観的に見れば、俺自身にはそれが一番お似合いだった。努力の才能を持ち合わせてないし、従順さや勤勉さのかけらもないので優秀とは程遠かった。

 そして何よりも頭も悪かった。頭の悪さを知るためには、逆に頭がいいとは何か理解できればいい。頭がいいとはつまり、自分の欲しいものを何か理解できることだ。そして、自分の欲しいものを手に入れられる可能性が最も高い手段を選んで実行して、欲しかったものを手に入れることだ。だが、俺を含めて自分自身が欲しいものを認識できる奴なんてどれだけいるのだろうか? 自分が欲しいものとは両親や同級生や情報チャネルやネットなんかのいわゆる世間が良いと評価を下したものの中から自分に手が届きそうなものを選ぶことではない。自分が欲しいものとは、自分以外の全員が、価値がない、くだらないと言い、全員がいらないと判断を下すようなものだ。俺にとってそれは何か?

 本当に自分が欲しいものとはなんだ?すべてをごまかして生きてきたようにすら思える自分の人生で自分が本当に欲しいものなど今さら見当がつかない。まるで煮込みすぎて何も残ってない祖母が作る豆のスープの3日後だ。目を凝らして残りカスのような破片を慎重にすくってそれが何だったのかをゆっくり味わって丁寧に推理しなければならない。とてもじゃないが俺にはできやしない。毎日毎日スマッシュしたビーフにチーズとサルサソースをべっとりつけたバーガーを食っているのに塩とコショウで薄く味付けされて煮崩れたそれがひよこ豆なのかジャガイモの破片なのかどうかなんて、とてもじゃないけど認識できるわけがない。

 俺の欲しいものも一緒だ。他人の欲しいものと他人が思う俺が欲しいものでべっとりだ。とてもじゃないけど見つけられるわけがない。馬鹿は罪だ。いつだってその罰を受け続けている。俺たちは馬鹿税を払わされて生きている。しかも馬鹿は連帯責任だ。俺が馬鹿なだけじゃ物足りない。近くにいる馬鹿のおかげで俺の罰も税も膨れ上がるばかりでもう何も残ってない。クソッ、クソクソクソッ。

 身体の熱は下がることはなく、意識まで火照るようだった。そして、感じたことがないほどの訳の分からない大きな感情の高ぶりとそのはけ口である怒りが全てを支配しているようだと他人事のように感じる自分がいた。一つはっきりしたことは、俺も両親も豆のスープを作る祖母も、最初から何も持っていないということだ。涙が流れるほどの純粋さを持ち合わせてなかったし、それどころか自分自身すら持ってなかったことにわざわざ気が付かされてしまった。

 怒りの感情が通り過ぎると、ようやく激しい感情から解放され一息つくことができた。フリーウェイの隣のレーンからシンタロウを追い越す車のヘッドライトが目の端にたまった涙を照らして滲ませる。滲んだ光はシンタロウの真横を通り過ぎる辺りで解像度が大きく崩れて光の輪となり視界を奪う。それに気が付いた時には光の輪はすでに前方に消えていた。光の輪に包まれるその瞬間が心地よかった。そして、そのうち早く次の車が来ないかな、ということだけを考えていた。インターステート10を走っている間、サクラはシンタロウの思考に干渉もせず、何もコールしてこなかった。

次話:2.8 ペーパー
前話:2.6 インターステート10

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