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人生のオーナーシップは自分が握る。 決められた枠を超え、異質と出会い、人とつながろう。

一般財団法人地域教育魅力化プラットフォームは3年を迎え、地域みらい留学生も800人を超えるまでになりました。そして、これからの10年を思い描いたときに、ビジョンを共有し、新しい発想とアイディアで力強く一緒に未来を築いていくために、日本を代表するリーダーの方々に「ビジョン・パートナー」となっていただきました。今回から始まるこのシリーズでは、ビジョン・パートナーの皆さんが思い描かれている未来についてお聞きしていきます。

ビジョンパートナー 蓑田秀策 様 
プロフィール
東京都出身。一橋大学経済学部卒業、日本興業銀行入行。ニューヨーク勤務、ロンドン勤務を経て、みずほコーポレート銀行でシンジケーション部門の統括や、グローバル投資銀行グループ統括を担当。日本における為替オプション取引制度や、シンジケートローン市場の整備を行った。みずほコーポレート銀行を退社し、世界最大のプライベート・エクイティ・ファンド運営会社コールバーグ・クラビス・ロバーツに入社。KKRジャパンの共同最高経営責任者などを歴任。2015年、若手音楽家のミニコンサートを主催する一般財団法人100万人のクラシックライブを設立し同代表理事に就任するとともに、一橋大学大学院商学研究科非常勤講師や、株式会社デジタルホールディングス取締役、株式会社東横イン取締役も務める。

インタビューアー 水谷 智之
一般財団法人 地域・教育魅力化プラットフォーム 理事・会長
1988年慶応義塾大学卒。(株)リクルート入社後、一貫して人材ビジネス領域に携わり、「リクナビNEXT」などを立ち上げる。グループ各社の代表取締役、取締役を歴任し、2012年には(株)リクルートキャリア初代代表取締役社長に就任。2016年に退任後は、社会人大学院大学「至善館」理事兼特任教授、経済産業省「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」委員、「『未来の教室』とEdTech研究会」委員、内閣官房「教育再生実行会議」委員などを務める。2017年より現職で地域みらい留学を推進。

水谷:まずは、蓑田さんが取り組んでいらっしゃる活動「100万人のクラシックライブ」について、始められたきっかけや目指すところをお聞かせください。

蓑田:一般的に敷居の高いクラシック音楽をもっと日常的に楽しめる場を作ろうということで活動しています。私自身、60歳を過ぎる頃まではクラシックにはまったく縁がなかったのですが、あるとき、目の前で生演奏を聞き、まさに心が震える思いがしたんです。素晴らしさに高揚すると同時に心が穏やかになる。そして、その場にいる人たち同士が心を通わせる。そんな体験を多くの人と共有したいと考え、64歳のときに「100万人のクラシックライブ」の活動を始めました。
この活動の目指すところは、「人を幸せにする」。とてもシンプルです。豊かで幸せな社会を作るためには、一人ひとりの人間が満たされて幸せであることが大前提です。では、「豊かで幸せ」というのはどういうことか。みんなが精神的に穏やかに暮らし、人と人とがつながって支え合う状態が、心地よい社会だと私は考えています。そんな社会を作るための方法論はいろいろとありますが、私は自分が感銘を受けたクラシック音楽を通して貢献できたらと思っています。

水谷:素晴らしいですね。蓑田さんがいつもいきいきしていらっしゃるのも印象的です。

蓑田:こう話すと、なんだか立派なことのように聞こえますが、やりたいことを好き放題やっています。この年になると、自分のために欲しいものや必要なものなんてほとんどありませんから、人のためになることにエネルギーを使いたくなる。純粋な気持ちでやりたいと思ったことを見つけられた私は、とても幸運だと思います。

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水谷:「地域みらい留学」の発端となった島根県立隠岐島前高校は、日本海沖の離島・海士町(あまちょう)にありますが、蓑田さんは約10年前、当時はまだ無名だった海士町を訪れ、それ以来、個人でふるさと納税を続けていらっしゃるんですよね。どういう出会いや思いがあってのことなのですか?

蓑田:親しくしていた地銀の頭取の方に「海士町という面白いところがあるから行ってみないか」と、誘われるがままに訪れたのが最初です。当時の山内町長や大江課長(現・町長)らを紹介していただき、いろんなお話をしました。彼らは、日本が今後直面するであろう問題にすでに直面し、その解決に向けて一歩踏み出していました。取り組みにはもちろんお金がかかります。成功するかはわからないけど、これは応援しないといけないんじゃないか、いや応援したいと思って、個人的にふるさと納税を始めたんです。

水谷:「応援したい」と思われた背景には、どのような思いがあったのでしょうか?

蓑田:彼らが島の問題を自分ごととして捉え、誰かや何かのせいにせず、なんとかしようと自ら動いていたからです。「このままじゃダメだ」と現場に難色を示したり政府の対応を批判したりするばかりで、立派なことを言っても結局何もしない。日本がそういう人にあふれる社会になっていることに、私は危機感を感じていました。そんなときに、失敗してもいいから自分たちでやってみる、という挑戦をしている海士町の人たちと出会って、目が醒める思いがしたんです。
 私は、金融業界に長く身を置いてきました。金融とはものを作り出さない世界です。そういう世界にいるからこそ、実際に体当たりで世界を変えようとしている人たち、既得権益と取っ組み合いをしているような人たちの凄まじい努力を世の中に知らしめないといけないという思いもありました。何もしないで自分のことだけを考えている人、言っていることは大きいのにやっているのは自分のことだけ。そういう世界にメスを入れたかったんです。

水谷:そうだったのですね。海士町とミクロネシア連邦との交流のきっかけを作ったのも蓑田さんでした。町と国とが対等につながるというのは、すごいことですよね。最初は完全なプライベートで行かれた旅行がきっかけだったと伺いました。

蓑田:そうなんです。いろんな人を紹介してもらって、あれよあれよと話がまとまりました。ミクロネシアは、歴史的に日本がとてもお世話になった国にもかかわらず、多くの日本人はその事実を忘れてしまっている、もしくは知りません。そして、ミクロネシアはアメリカの財政支援を受けているのですが、それが2023年で終了してしまうため、その後、経済的にどう自立していくかが大きな課題になっています。その課題解決のヒントを海士町から得られるのではないかと考えたのです。自分が触れ合える人の数には限りがあるけれど、その人たちが困っているのなら自分に何ができるのかを考えるのは当然のこと、と私は思っています。ですから、ミクロネシアと海士町とをつないだことも、自分にできることをやったまでです。

水谷:海士町とミクロネシアとは協定を結び、ミクロネシアからの研修の受け入れのほか、東京オリンピック・パラリンピックの際にホストタウンとなることも決まっています。蓑田さんは、人を巻き込むのがとてもうまいなと感じます。蓑田さんの人徳も大きいとは思うのですが、どうお考えですか?

蓑田:人と人とがつながってお互いに支え合うというのが社会の構図ですから、自分一人で何かやろうというのは、そもそも無理なんです。そんな傲慢なことを考えていたら社会は成り立ちませんし、誰かを巻き込まないことには大きなことは成し遂げられません。みんなが少しずつ誰かを支え、誰かに支えられながらつながりを増やしていくことで、アメーバのように緩やかにつながり広がる組織を作る。人とどれだけつながれるかが、これからの時代のカギになると考えています。

水谷:金融業界でバリバリ活躍されてきたビジネスマンとしての姿と、こうして地域や人とのつながりを大切にされる姿とのギャップの間にこそ蓑田さんの本質があると感じるのですが、その原点はどこにあるのでしょうか?

蓑田:やはり、高校時代だと思います。神奈川県の栄光学園というミッション系の中高一貫校に通っていました。折に触れて思い出し、今の自分の考え方の基盤ともなっているのが、初代校長を務めたドイツ人神父グスタフ・フォス師の教えです。彼が強調したのが、「規律ある自由」でした。自由とはやりたい放題にやることではない。自由は規律のもとにしか存在しない。生活態度にせよ学習面にせよとても厳しい先生でしたが、「やるべきときにやるべきことをきちんとやれ」という教えは、高校生だった私にも納得できるものでした。今こそやるべきときだと思ったら怖がらずに一歩を踏み出してきたのも、この教えがあったからこそだと思っています。
 そして、グスタフ・フォス師のもう一つの教えが、「社会の片隅を見ろ」をいうことでした。これから社会のリーダーとなる君たちのミッションは、社会の隅にいる人やことに光を当て、そこを照らすこと。光が当たっているところを見てそこで輝くことは考えない方がいい。そういうことを常々おっしゃっていました。だから先生は、私みたいに銀行や商社などに就職が決まった卒業生に対しては機嫌が悪いんです。光が当たるところで何がしたいんだと。金融業界に入った身として、最後には何か人のためになることをやろうという思考になったのも、先生の教えが根底にあるからなんでしょうね。

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水谷:やはり高校時代にどういう大人と出会ったかというのは、大きいですよね。今の都会の高校生を見ていると、いろんな機会があっても、「自分たちの思いはどうぜ社会には届かない」という諦めがあると感じます。一方、田舎には何もないけど、高校生たちは「自分たちにもできるかもしれない」と思っている。この違いは何なんだろう、都会と田舎や地域って何が違うんだろうと突き詰めると、高校生と大人との距離が近くて、かっこいい大人がいて、高校生が挑戦したいと言ったときにそれを応援する大人がいる、ここに大きな差があるなと思ったんです。今の子どもたちを取り巻く環境については、どのように感じていらっしゃいますか?

蓑田:都会のように社会の枠組みがカチッと決まっているところに住んでいると、その決められた枠の中で過ごすしかなくなり、子どもたちのなかに無力感が生まれてしまいます。いわば、窮屈な箱の中に閉じ込められたような状態です。一方、地方はその枠がゆるくて遊びの部分があるから、子どもは外に向けてエネルギーを発散させられるんです。この違いはとても大きいと思います。枠から飛び出して異質なものと出会うことはとても大事です。「地域みらい留学」の意義も、そこにあると私は考えています。
 学校はともすれば子どもを管理しようとしますが、本当はもっと子どもの意思を尊重すべきだし、放っておいた方がいい。私には子どもが3人いますが、何の縛りもしなかったら、いずれも好きなことをして自由に生きています。親や大人が唯一できるのは、子どもを枠に押し込めないこと。子どもは思いのほかたくましく自分で道を拓いていくものです。中高生に向けて授業をする際にはいつも、「親と先生の言うことは聞くな。自分の人生は自分で決めないと、誰も責任をとってくれない」と伝えています。人生のオーナーは自分自身なんだということに早いうちから気づいてほしいですし、そう考えて主体的に生きる人が増えれば、社会はもっとダイナミックになると思うんです。

水谷:枠にはめない。大切なことですが、親はつい無意識にそうしてしまいますよね。改めて、中学生のお子さんをお持ちの保護者へのメッセージをお願いします。

蓑田:「可愛い子には旅をさせよ」といいますが、子どもをいつまでも弱くて何もできない守るべき存在だと考えない方がいいと思います。親は最後まで子どもの人生に責任を持てないわけですから、自分たちがいいと思うことを押し付けたり、子どもをコントロールしようとしたりするのではなく、早く親から離すこと、言い換えれば、親が早く子どもから離れることが大事です。親は、本当に子どもが困ったときに帰ってこられる場所として、子どものあるがままを受け入れる存在として、ただそこに居ればいいのです。

水谷:では、最後に、現在も複数の企業の経営に携わっていらっしゃる蓑田さんから経営者の皆さんへのメッセージをお願いします。

蓑田:社会のサステナビリティが問われる今、自社の経営だけでなく、望ましい社会の在り方とは何か、そこに向かって自分には何ができるかを考えるときにきていると感じています。人をマネジメントするのが経営者ですが、良質な教育があって初めて「人」が生まれます。次の世代を育てていくという視点でも、教育と経済界、産業界というのは不可分なのです。
 先にも述べたように、評論しているだけでアクションを起こさなければ、何も変わりません。ソーシャルなことをやりたいという思いはあるけどアイデアがない…という経営者は少なくないと思いますが、まずは「地域みらい留学」のようにすでに動き出しているプロジェクトを資金面で支援するというのも、アクションの一つです。そうして何かに携わっているうちに社会問題への意識が高まり、「次はこういうことをしたい」という意志が湧いてきたら、そのときはまた新しいことに挑戦したらいいんです。次の世代にしっかりとバトンを渡すために、できることをできるところまで共に精一杯やりましょう。

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※本記事は、2020年7月25日・26日の『地域みらい留学フェスタ2020オンライン』の事前対談です。昨年まで、東京・名古屋・大阪・福岡で開催していた地域みらい留学フェスタが、オンライン開催で帰ってきました!高校3年間地域で学ぶ「地域みらい留学」と高校2年生の1年間地域で学ぶ 「地域みらい留学365」。オンラインだからこそ気軽に参加していただけるように多くのイベントをご用意しています。ご関心がある方は是非、以下をクリックし、ご覧ください。

地域みらい留学フェスタ2020オンライン

【カメラマン:荒川潤、ライター:笹原風花】

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